石ころ

「主よ、来てください。」(コリント)

 

兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。(Ⅰコリント2:1~2)

 

言葉数が多ければ必要なみことばは、もろもろの記憶の中で見失なわれて行く。

自分の知恵や経験を通して神のことばを伝えても、それは知識の満足に留まって肉を肥やし、霊の目と霊の耳が開かれない限り、キリストを「私の救い主」と悟ってひれ伏すことはない。

 

知った事柄が人の思いを動かし、その理解によって口から言葉が放たれる。それゆえパウロは神から発したものでない限り「知らない」ことにしたのだ。

 

神は霊なので、神から発せられたみことばは聖霊によって聞いた人に届けられ、解き明かされなければならない。
人の霊が御霊と共に働いて、キリストが十字架で与えてくださった罪からの解放を知る時、御名をあがめて御前にひれ伏すようになる。

 

パウロなら自分の知識に拠って、簡単に反論をねじ伏せることが可能でも、神を知るためには何の役にも立たないことを、自分で経験していた。

 

しかし私たちは、成熟した人たちの間では知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でも、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。(Ⅰコリント2:6)

 

語り伝えるべきは、移りゆく世の知識や、過行く支配者への心遣いではなく、永遠に変わることのない神のことば神の知恵である。

 

私たちは、奥義のうちにある、隠された神の知恵を語るのであって、その知恵は、神が私たちの栄光のために、世界の始まる前から定めておられたものです。(Ⅰコリント2:7)

 

創造主なる神を見たことも聞いたこともなく、神の愛の備えを経験していても理解出来ず、ただ、キリストに出会った時始めて、御子をたまわるほどに愛されていた神を知るのである。

それは死んだようであった人の霊が、キリストのよみがえりを信じて生かされ、「アバ、父」と呼ぶ神をキリストを通して見る時である。

 

パウロはイエス・キリストに出会って倒された時、キリスト者を迫害する者から殉教するまで仕える者とされ、誰よりも多くの働きをして神に仕えた。彼はその働きを、キリストがあれば無用となったものを捨てることから始めた。

 

私には、肉においても頼れるところがあります。ほかのだれかが肉に頼れると思うなら、私はそれ以上です。
私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、
その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。(Ⅱコリント3:4~6)

 

純粋な血筋と、熱心な働きと、完璧な知力。それがキリストに出会うまでのパウロの誇り、拠り所であった。ただ、その信仰の熱心が的外れであったために、それらの良きものは神に逆らう力であった。

 

しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。(Ⅱコリント3:7)

 

もし、パウロがこれらの優れたものを持っていなかったなら、キリスト者を迫害することはなく罪を嘆いてキリストにひれ伏し、倒されるまでもなく憐みによる救いを得ていただろう。

 

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。それは、私がキリストを得て、
キリストにある者と認められるようになるためです。私は律法による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。(Ⅱコリント3:8~9)

 

パウロが自分にある優れたものをキリストのゆえに捨てたのは、それらがどれほどキリストを知るための回り道となり、妨げとなり、目くらましであったかを悟ったからである。

 

自分に罪は無いというならキリストの十字架は無用、いや疎ましくさえあり、神の備えたあがないによる義とは無関係である。自分を信じて己の何かを誇りとし自己実現のために生きて、悔い改めのために与えられていた時が終了するのである。

 

私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、
何とかして死者の中からの復活に達したいのです。(ピリピ3:10~11)

 

キリスト者が、世のすべてに勝って切に追い求めるものは、世の何かではなく携挙と再臨の望みである。
黙示録の到来を知っており、日々世でみことばを叫びつつ「主よ。来てください」と御名を呼ぶ者である。


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