石ころ

神から出たもの(ヨハネ4章)

 

子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。(4)


キリスト者の勝利は死に対する勝利である。
キリストのあがないによって、キリスト者の死はみことばの約束によって、すでに永遠のいのちに移されているからである。


今、世を支配しているサタンはすでに神に裁かれており、永遠の滅びを待っている身である。それゆえ彼は、神が愛しておられる人々を道連れにしようと働いているのだ。
人はどれほど善人であっても、キリストによらない限り勝利できない死があり、信じない人々を支配して神に反抗させ滅びに引き込むのである。


また、キリスト者は罪に対しても勝利している。
世で生きる間も神のうち居り、世が知ることのない平安を持っている。キリストのあがないによってたまわった義により、責められることのない神との平和があるのだ。


世は絶えず自他の善悪によって縛られ、心を責められながら他人と比べ続けて、自分の正しさを証明するために、心の落ち着くことがないのだ。罪は意識すればするほど執着となり、身を縛るものだからである。


彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もまた彼らの言うことに耳を傾けます。(5)


世は死の恐れを共有して互いにそこで繋がり、共に慰める言葉を語り憂さを晴らす場を持つ。「死は誰にでも同じ」と思うことで、必ず訪れる死を受け入れているが、キリスト者はその運命を共有しないから嫌われる。
もっとも根源的な共有の場である死の恐怖を共有しないことで、彼らの慰めが崩れるからである。


私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。(6)


キリストのことばを信じることによってどんな罪人であっても救われる。神の救いはただ、キリスト信仰に依ることであり無条件である。それでも神の救いに耳を貸さない者を、神から出ていない者といわれる。それは彼らが選んだことである。


愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。(7)


私たちの知っている愛は、ひとり子をたまわった神の愛である。世はその愛を理解することができない。彼らの中に聖霊の神がいないからである。
世の愛はどこかに自分を中心とした愛であるが、神の子の愛は神から出ており、みこころを愛する愛である。


愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。(8~9)


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事