神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。(9)
イエス・キリストは歴史から誰でも知っている。また、聖書は世界のベストセラーであり、キリストによって現わされた神の愛を、人が知ることはそれほど困難なことではない。そのように神は人への愛を公にされている。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(10)
神が、御子キリストを世に遣わせて、人類の罪をあがなうことを計画してくださった時、人が神を神としてあがめることはなく、世に来られたキリストを礼拝する人もほとんどなかった。
神は一方的に人を愛して救いの道を備えてくださった。それも御子をたまわるほどに・・。それが愛であると知らせておられる。
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。(11)
神の愛を経験した者はその愛の中に安らぎを得て、みことばを慕い求める中で、キリストの愛の形を造りこまれて行く。自分を惜しむことのない、ただ、みこころを愛する愛である。
キリストのいのちを吹き込まれて、神の愛を完成してゆく愛である。キリストのからだとして各器官に働いて、忍耐強い望みのうちに補いあって働く愛である。
いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。(12)
神は御子キリストを通してご自身の愛を見せてくださった。今もみことばを通して私たちにみこころを知らせ、私たち神の子の必要を満たしていてくださる。
それでも、「愛」という言葉の前に自分を省みて、忸怩たる思いを抱える者に望みを与えてくださるのは、うちにおられるキリストである。
神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。(13)
聖霊は私たちを知り尽くし、その弱さの中に働いてすべてのことを教えてくださる。日々みことばを解き明かし、手を取るように神の愛の深みに導いてくださる。
日々の出来事を通して神の備えと助けを経験させ、感謝に導き、日々新しく主に出会わせて信仰を成長させてくださる。