イエスさまの十字架の死は、父なる神様のご計画に従って死なれたのであって、私たちの罪によって死なれただけではありません。イエスさまは自ら進んで十字架に御父のご計画を成就されたのです。
造り主なる神の御名が崇められ、イエスさまの喜びのために死なれたのです。私たちのいのちを救うためだけなら虚しいことです。
この世で、人の身代わりに死ぬ人は居られるかもしれません。尊いことだと思いますが、イエスさまとはまるで違うと思います。
なぜなら、イエスさまは父なる神様のために死なれたからです。
まして、巻き添えのように死ぬことと、イエスさまの死は同じではありません。
私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、
神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:6~8)
私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。(コリント8:6)
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、
父なる神がほめたたえられるためです。ピリピ2:10~11
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