いつの間にか沈んで行く心を止められなかった。
「ただの言い放しで何も出来ないではないか・・それでは何も変わらない。」そんな惑わしの声を聞いてしまってから・・。
わかってはいるのだ。主に聞いたことを語るだけの者であることも、見張ったり心配して気落ちすることは僭越なことであることも。
ずっとみことばから、救いは主のみわざであると聞き続けているけれど、それは心までで腹に落ちてこないのだ。心などはコロコロと揺れるものである。腹に据わるところまで落ちないといのちとならないのだ。
腹に落ちる一つのことばを探して、聴き続け賛美しつつみことばを待っていた。
神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。
ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。(ヘブル4:10~11)
「安息に入るように力を尽くして努め」休むために力を尽くす?なんと変なことばだろうと思った瞬間、腹に落ちた。
安息に入るには努力が要るのだ。渇いてみことばを求め続ける中にあった主の安息。探しものをしている間も、主に在って安息の中に居たのだ。確かに、ただ主を求めていたから・・「勝った!」と思った。
ごめんなさい。「タイトル」が間違っておりましたので、投稿しなおさせていただきました。
先ほど、「いいね」を付けてくださった方、本当に申し訳ありません。お気を悪くなさらないでください。感謝いたします。
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