石ころ

顔を火打石のようにする

 

神である主は私を助けてくださる。それゆえ、私は侮辱されることがない。それゆえ、私は顔を火打石のようにして自分が恥を見ないことを知っている。(イザヤ50:7)

 

神に従順する者が傷つけられようとする時、その額は火打石のようになる。死にさえもキリスト・イエスによる勝利を持っており、主が彼らを強めて計画を成し遂げさせるので、事を妨げるものは何も無い。

 

火打石を打ち合えば火が出る、人に当てれば切り裂いて割礼を施す刃物ともなる。
「面の皮が厚い」という言葉は恥知らずを言うが、主に在っては恥も外聞もなく、ただ、聴いたみことばに「アーメン」と言い、委ねられたことを行うのである。

 

あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。
わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。(ヨハネ15:3~4)

 

彼らを強めるのは信頼するみことばであり、いつも主に在って安息している。キリストの血潮に洗いきよめられて、火打石の顔を備えて、臆することなく前進させるのは主である。主の道具はただ御手のうちに在れば良いのだ。

 

わたしはあなたの額を、火打石よりも硬いダイヤモンドのようにする。彼らを恐れるな。彼らの顔におびえるな。彼らは反逆の家なのだから。」(エゼキエル3:9)


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