石ころ

キリスト者のうちにおられる愛(Ⅰペテロ4章)

 

何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(8)

私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。(1ヨハネ4:16)


神の愛に拠って神は私たちのうちに居てくださり、私たちも神のうちに居る。それは、初めに私たちに満たしてくださった神の愛であり、キリスト者が互いに分け合うに完全な愛である。


愛によって罪を覆われるキリストを体験したことで、私たちは愛を良く知っている者である。また、みことばによって、絶えず神の愛を確認している者である。それによって互いに祝福を祈り合い、幸せであれと祈り続けるる者である。


つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。(9~10)


その愛の親切はキリストの忍耐を持っており、備えられたたまものを分け合って、不足を覆って喜び合うのである。
すべては、神の備えてくださったたまものによることで、たまものはキリストのからだのためにあり、完全な捧げものと成長して行く神の喜びなのである。


語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。(11)


福音を語る者は、聖霊によって聴いた神のことばを語り、それもみことばに相応しく、聴いたままを真っ直ぐに語るのである。それは神のことばの通り良き管としてであり、みことばの責任は神に在るからである。


すべての奉仕は、神が備えてくださったものに拠らなければならない。それが神から出たことだからである。備えられたものによって、たまわった分の働きをするから聖いのであり、そうでなければ、神があがめられるものとはならないからである。


それには、まずみことばを聴くことが必要であり、キリストを通して祈ることでみこころを知ることが必要なのである。
キリスト者は良いことをする者ではなく。神の御計画を行う者であり、御名があがめられることを願う者だからである。


 クリスマスの準備の季節である。

すべてがキリストによって備えられた祝会でありますように。キリストの豊かな臨在があり、イエス・キリストにある喜びが溢れるところとなりますように。
また、クリスマスはある日終わってしまうイベントではなく、キリストが永遠の祝福の神であることを、命の限り証させてくださいますように。


すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11:36)


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