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石ころ

家族は一緒に居たいけれど

 のんびりと主人とテレビを見ていて地震を知った。大阪でも揺れたとのことだったけれど、私のところは揺れなかった。
その時はまだ落ち着いたもので、「大きな地震らしいね。」なんて他人事だったのだけれど、大津波をリアルタイムに見てこれはただ事ではないと、今起こっている事の重大さに息をのんだ。

関東に住んでいる息子宅に電話を入れようとしたけれど、まったく通じない。ああ、そうだと、公衆電話は通じやすいことを思い出して走る。そんな間も心の震えが止まらない。
何度か試している間に息子には通じたけれど、家族がバラバラであることを知った。
息子と嫁さんはそれぞれの職場に居り、子供達は小学校と保育所。特にさくらが小学校を出た頃と言うことで居場所がわからなくなっていた。電話が一切通じないという。

息子は完全な帰宅困難者、自宅に向かってこれから5時間ほど歩いて帰るという。
孫達が今どうしているのかと心配で居ても立ってもいられない。公衆電話でやっと通じた自宅は、空しく呼び出すばかりで誰も出ない。そのことから、孫が帰っていないことが分かった。

嫁さんからメールが届いて、子供達の行方を捜して欲しいという。彼女も家に向かって歩いているという。やはり5時間はかかるだろうという・・。
学童保育所と保育園の電話番号に繰り返し掛けるが、何度も何度も掛け直しても一向に通じない。何度も公衆電話を行き来しながら、それでも、何度も繰り返して掛ける。彼女がどんなに心配だろうと思うと、手は汗ばみ心が振るえる。

何度も時間をおいてかけ直す。
公民館の公衆電話を使っていたけれど、時間で閉鎖されてしまい、バス停の公衆電話に走る。やはり、通じなくてしょんぼりと電話ボックスから出ると、いつの間にかみぞれが降っていた。でも、嫁さんの買ってくれたコートは少しも冷たくはなくて、そのことを思い出したら元気が出た。

何度も繰り返しても駄目な帰り道、ふっと主の眼差しに気づいた。「ああ、大丈夫だったんだ・・。」心の震えがすっと止まった。イエスさまが一緒にいてくださる。ちっとも心配することはない。孫は少しも恐い思いなんかしては居ない。何処かでお友達と楽しくいる。

息子からは通じるのか電話が時々かかってくる。彼の息せき切って歩いている様子が電話を通して伝わってくる。だから、なんとか良い知らせを・・と一生懸命になったのだけれど、良い知らせとはイエスさまだったのだ。伝えることは、ただ、「イエスさまがいてくださるから大丈夫。」それだけだった。

嫁さんからも電話が掛かってきた。健気に元気な声で「子供のこともきっと大丈夫だよ。」と自分を励まして歩いている。
それでも、もう一度公衆電話に走っても、通じなくて結局孫の居場所はつかめなかった。でも、もう恐れはなかった。大丈夫。イエスさまが最善にお守りくださる。


 不信仰な私には、便利が全部なくなったとき、人の賢さがまったく役立たなくなったとき、本当にイエスさまにつながることができるようになる。
イエスさまにすべてをお任せしようと心を決めることができるようになる。

自宅に戻って落ち着いたとき、嫁さんのお母さんからお電話があって、さくらが学校で保護されていることを教えて下さった。
電話が本当に掛かりにくいのに、小学校の教頭先生が知らせて下さったとのこと。本当に心から感謝だった。「良かった。良かった。ありがとう。ありがとうございます。」同じ言葉ばかり繰り返していた・・。

ひとりの事をみんなが心配をしている。ひとりのことを知らせて下さることは沢山の人の大きな安心、喜びになる。
息子にもメールをする。嫁さんがもう知っているということだったので、そのことも嬉しかった。ほっとしただろうと思うから。

しばらくして、あかりも保育所で眠っていると知らせて下さり、息子も自宅の近くまで無事に帰ってきたという連絡を受けて、張り詰めていた力が抜けて行くような安堵を覚えた。
嫁さんも息子と連絡が付いたとのことで、家族がひとつに繋がったと、心からホッとした。

 居場所、互いの距離だけが問題なのではなく、情報によって繋がれることが安心なのだと改めて思った。
そうしてイエスさまは、私たちをどんな環境、境遇においても、繋いで下さることができるお方であると、このお方を知っていることが、どんな時でもすべてなのだと、また経験することができた。

家族はいつも一緒にいたい。けれども夫婦も、子供といえどもそれぞれの場所があり、いつも一緒にはいられない。すごい苦労をしてやっとひとつになっても、月曜日になると再びバラバラになって、ある時間みんなひとりで生きるのだ。
けれども、心配性のばあさんが、こんな瞬間もまた絆を強め愛を深めるのだと思えるのは、やはりイエスさまという強い味方があるからだろう・・。


静まりて 我の神たるを知れ

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コメント一覧

ムベ
本当に・・
私たちは憐れみに与ったのですが・・
今も、寒さと空腹の中で、家族を心配しつつ震えている人々を思うと胸がつまります。

ただただ、主が憐れんで下さいますようにと祈るばかりです。
エシュコル
本当に・・・
http://hswofach-wtl.jugem.jp/
無事で良かったですね。
主のみことばに頼る事を思う今日この頃です。ヨブ41:11ですね?
長野も地震が頻発しています。主が守って下さいます様に。
ムベ
かずさんへ
コメントとても嬉しいです。
神様は一人子のイエスさまを下さったのですね。
家族のことで心を騒がせる度に、改めてその愛の偉大さを覚えます。

これからどうなるのかしら・・と
何かと不安な世を思うとき、
ただ、良き方の真実なみことばによって、
しっかり立っていなければならないのでしょうね。
ムベ
のばなさんへ
心を合わせて下さって嬉しいです。ありがとうございます。
主がいつも一緒にいて下さるのですが、時々一人相撲をして、あたふたと回り道をしています。

今日は今日で、停電騒ぎで大変です。
当分落ち着かない日々が続きそうですが、
主を覚えて落ち着きたいです。
日頃の信仰が問われますね。
かず
痛ましい地震の爪跡に、心が苦しく、痛いです。
息子さん、ご家族が無事であられた事に感謝します。

最近は、私も、ヨブ記を読んでいます。

美しい言葉や、装いではなく、
苦しみの中にも、主の贖いを見れる者でありたい・・・。
そして、何より主が痛んで下さっているのだと深く刻まれています。
のばな
よかったです。
子どもさんと連絡が取れない・・・
どれほど心配されたことでしょう。

よかったです。
ほんとうに、よかった。

「イエス様が居てくださるから大丈夫。」
アーメン



石ころ
ワッフルさんへ
ありがとうございます。
本当に、呆然とするほど多くの方が、亡くなっておられるこのような時に、
些細な私事で大騒ぎをしてしまって・・恥ずかしいことです。

ワッフルさんのところも、大変に揺れたのではないかと案じていました。
被害がなくて何よりです。主に感謝致します。

最近はヨブ記ばかり読んでいます。
「天の下にあるものはみな、わたしのものだ。」(ヨブ43:11b)
ご自身のものをこのように・・神様にとっても痛みなのだと思いました。



ワッフル
息子さん家族がご無事であり本当に
良かったです。
安否がわからないのは、不安で辛いことです。
こちらも揺れましたが、被害もなく日常生活を送っています。

地震、津波で被害が起こっているのをテレビで見るにつけ心が痛みます。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのほとりに伴われます。主に祈ります。
石ころ
コメントありがとうございます
エシュコルさんへ

長く揺れたそうですね。
息子もこのビル大丈夫か・・って思ったそうです。

無残な様子を見ると心が振るえます。
暖かいお布団に入ると、申し訳ない気持ちになります。
本当に心から主を恐れます。

エシュコル
知人も
http://hswofach-wtl.jugem.jp/
二人が6時間以上掛けて自宅に戻ったそうです。
息子さん達家族が無事で本当に良かったです。こちらも物が少し落ちた程度で済みました。
かなり大きく長い地震でした。
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