石ころ

天地は滅びる (ルカ21章)




「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(ルカ21:33)
終末のことが書かれているルカ21章を何日も読んでいる。
世の終わりのことを考える時、まず創造主なる神様のみこころを噛みしめる。それは、神様がこれほどに愛された人の滅びなのである。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。(ヨハネ3:16~18)


 終末の徴はあらゆる天変地異が起こり、戦争や疫病、キリスト者の迫害が起こる。世はやがて恐怖の中で再臨の主を見ることになる。しかしその時では遅すぎるのだ。
信仰は神が与えた厳粛な自由であるが、「(キリスト)信仰は聞くことから始まる」とあるから知って欲しいと切に願っている。
イエス様が十字架で流してくださった血潮は、すべての人の罪の贖いのためであった。
わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。(ホセア13:14)新改訳

 人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。(ルカ21:26~28)


恐怖の時は、主を待ち望む者には死からの解放の時なのである。そのことを感じ取って世は迫害するのだろう。
世の噂に惑わされず、
「あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」(ルカ21:36)

それは日々主に依存して生きている者にはすでに日常であり、何が起ころうともどんな時代になろうとも変わることのない日々なのである。
主を唯一のいのちの望みとして待ち望む者は、主の訪れに誰よりも早く気付くだろう。
それは主が呼んでくださる名を聞きわけ、その瞬間すべてを振り捨てて身を起こして頭を上げるのである。


 主を待ち望む日々の中で、捕らえられて証しをすることになったとき、あらかじめ何を語ろうかと準備をしないとあった。
どのように話せば通じるか、感情を害しないように語るにはどのような言い方がよいだろうとか、あらかじめ考える言葉は人のやり繰りである。

自分の宝物倉にみことばを蓄えて、いつでも自由に取り出せるようにしていれば、聖霊の導きのままに証しすることが出来る。
イエス様のおことばはいかなる宗教者の罠をも退けた。
完全な主の備えの中にあるいのちはすでに永遠に繋がっているのだ。

だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。
どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。(ルカ21:14~15)

知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。(コロサイ2:3)

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