石ころ

使徒の力




「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(Ⅰコリント2:9)

見たことも聞いたこともないことが起ころうとしていた時代には、聖霊による細やかな導きと、完全に聞き従う使徒が必要であった。だから神はこのとき饒舌であった。
使徒たちは主の奴隷のように、一切の私心を挟まず聞いたままを行った。自分たちの出自も仲間意識も組織も一切を置いて、完全に神の計画に拠って働いた。

聖霊の顕著な働きは、それがどうしても彼らに必要だったからである。
仲間を迫害したパウロを、アナニヤは主の言葉によって「兄弟」と呼んで目を開き、弟子たちはバルナバの執り成しによって、恐れる心を捨ててパウロを受け入れ命を助けた。

異邦人コルネリオに聖霊を授ける働きをして、ユダヤ人としての律法を犯したペテロに、割礼を受けていた者たちは説明を求めたが、一部始終を聞いて神の臨在を悟った彼らは沈黙した。そうして異邦人をも救う神のわざを賛美したのだ。
神は饒舌に語り導かれる。その時キリスト者はすべての理屈を捨てて御前に沈黙するなら、心の底から主をほめたたえる賛美が溢れてくる。

これらのことはすごいことなのである。彼らが、うらみもねたみも持たなかったのは、聖霊に満たされていたからである。聖霊によって神の愛に満たされている者は、幼子のように素直にな心を持つのである。
聖霊の満たしにはこのような力がある。それが主の働き人にはどうしても必要なのであり、激しい迫害の中でも喜びを持って、命じられたままに働くには明確な導きを悟ることが不可欠なのである。

ペンテコステは御約束によって上から与えられた備え。今、彼らは迫害の中でみことばを恐れずに語るために力を求めて祈った。主を証しするための力である。
すべてはこの祈りから出発した。彼らは戦いのための備えを祈り求め、彼らの祈りはみこころのど真ん中を射貫いた。

「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。
御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」
彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。(使徒4:29~31)

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