石ころ

解かれたこと



 火曜日の人のお宅に伺ったとき、「今まで3年間お世話になってきたけれど、これからは自分で聖書を読んで行きます。聖書は何時でも自分で読んでいるし、今まで頂いたプリントも沢山あるから・・」と伝えられた。

私は始めから、「自分でイエスさまにお祈りするのが一番です。聖書は自分で読むことが大切です。」
とお話ししていたので、彼女の選択を主にあって尊重しようと思った。主は私たちに選ぶ自由を与えてくださったのだから・・。

お祈りをしたとき、「よくやった。良い忠実なしもべだ。」というみことばが出てきて、主が私に「良し」とされた確信が与えられて嬉しかった。
もう一回頼まれているので、たんたんと聖書の続きを一緒に読んで行こうと思っている。


 今日は、マルコの福音書14:51~64

 亜麻布を一枚はおってイエスさまに付いてきた青年は、群衆によってつかまれ、裸で逃げて行きました。これは恥ずかしい姿です。
クリスチャンがイエスさまについて行くには、無防備な姿では世に恥をさらすだけです。

エペソ6:14~18
6:14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け・・

真理とはイエスさまのことです。イエスさまに繋がって、しっかりとみことばによって武装していなければ、誰もイエスさまについて行くことはできません。サタンが常に私たちをねらっているからです。

着物の上からしゃんと帯を締めるように、みことばをつかんでいることが必要です。そうすればイエスさまの守りの中で、この世でも平安に暮らすことが出来るからです。

 イエスさまが連れて行かれた所は、今で言う裁判所です。
一応裁判の手順がありました。しかし、どう探してもイエスさまに罪を見つけることは出来なかったのです。イエスさまは罪のない方だからです。
ですから、嘘の証言を仕立て上げましたが、嘘というものはちぐはぐであり、言葉は一致しないものです。

裁判官である大祭司は、沈黙しておられるイエスさまの前に進み出て
「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」と尋ねました。
イエスさまは嘘に対しては無視されました。
さらに大祭司は「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」と真実を言ったとき、

そこでイエスは言われた。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」

ここで始めて口をきかれたのです。イエスさまは嘘に対しては無視されます。ただ真実に対してのみ答えてくださるお方なのです。
私たちの祈りが偽善であるなら、イエスさまのお答えはないでしょう。真実を祈るとき、イエスさまは私たちの祈りに応えてくださいます。

イエスさまは今、私たちにも「人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」
このように再び来られると言っておられます。あなたはこの言葉を信じますか。

お弟子に裏切られて、ボロボロの様で捕らえられたイエスさまから出たこの言葉は、この当時の群衆に信じることは困難だったでしょう。
でも、彼らもイエスさまのなさった多くのわざを、真っ直ぐな目で見て覚えているなら、信じることが出来たはずです。

わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。(ヨハネ14:11)

そのためにイエスさまは、昔も今も私たちの日常にわざを現して信仰を助けていてくださいます。イエスさまは私たちがどの様な者であるかをごぞんじだからです。

大祭司の結論は、「イエスは自分を神の子と偽って、神を汚した」としました。それは彼らがイエスさまを殺したかったからです。始めから、自分たちの立場を守るためにイエスさまを葬る裁判だったのです。
しかし、それはイエスさまが私たちの救いのために、御父に従って選択してくださったことでした。

イエスさまを信じない人は、イエスさまに救いを求めることもせず、イエスさまのわざを経験することはなく、肉体の死はそのまま永遠の滅びに至るのです。
また、信じてもこの世の欲に捕らえられた人は、イエスさまのわざを経験しても、覚えていることが出来なくなります。サタンが来て、その人からその記憶を持ち去ってしまうからです。

イエスさまはすべての人類のために十字架にかかって、すべての罪を負ってくださいました。けれども、救いに至る人はイエスさまの十字架を信じた人だけです。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。(ヨハネ3:16~18)

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