先日、NHKテレビで中国の激しい貧富の差を見た。3000万円のマンションに住む人と、150円の子供の運動靴が買えない人。
親は出稼ぎに行き、1年に一度しか戻ってこない。子供達が貧しい小学校の寮で、暖房もなく薄い汚れた布団に身を寄せ合って眠る。少女は「一生懸命に頑張って勉強をする。パパ、ママにはもうこれ以上苦労をして欲しくない。・・」作文の途中で泣き伏してしまった。他の子供達も目に涙を浮かべる、彼らはわずか7歳!
金は金持ちの間を回って膨れあがって行き、物価は高騰していく。唯一の望みは家族の誰かに教育を受けさせて這い上がること。しかし、高等学校さえも、値上がりする学費に家族全員が苦闘する。兄嫁までもが手の中の幼い子供を親に預けて、成績の良い妹の学費稼ぎのために出稼ぎに行かなければならない。その兄嫁の手を握って涙を流す妹の心中を思うととても切ない。そんな出稼ぎも、年に1度の里帰りに子供の好きなおもちゃさえ、高くて手が出ず買って上げることができない夫婦。
この放送から数日が経った。けれども私の中では、悲しみがちっとも薄まっていかない。しかし、今日ふっと気づいた。彼らは大丈夫だ。彼らの方が大丈夫だ。なぜなら彼らには家族がある。強い強い絆で愛し合い、互いに涙を流しあっている。例え物理的には共に居る時間がわずかであっても、分け合える物がどんなにわずかであっても、そこにはすべてを補う家族の愛が濃厚に流れて続けている。
いつも共に居て、すべての物が何不足なく整っていても、互いの心が遠く離れてばらばらであれば、それは、どのようにして埋めればよいのか、どうすれば近づくことが出来るのか、そのほうがどれほど寂しいことだろう・・その方がずっと深刻かもしれないではないか・・・。
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