石ころ

福音を聴く喜び




 私は今夢中になって、中川健一師のメッセージを聴いている。パソコンの前に座って文字に起こし、文章をみことばと照らして初めて聞いたみたいに味わっている。
疲れては部屋中を歩き回り、ラジオ体操をはじめたり、お菓子をつまんだりして・・気分転換してはまたパソコンに戻る・・。

実は行き詰まりを感じていた。クリスチャンの脱出の道はみことばしかないので、行き詰まったら1から出直すしかないとは思っていた。
自分で「知っている」と思う部分にも、あいまいさや確信のなさがあることに気づいていたが、ひとりで解決するには行き詰まってしまっていた。

 主が脱出の道を備えてくださった。それは、たまたまpcで見つけた中川師のメッセージに聴き入ったことから始まった。聖霊の働きに素直な喜びを感じ、みことばに照らして確信をもって語られていたので安心もした。

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(マタイ7:7)


 私は、出直すために何かを失うことは良い事だと思っている。古いものを崩さないと新しいものを建てることはできないから・・。
ブログにbachan-no-1というアドレスを選んだ理由は、何度もやり直すだろうから2~3と変える準備だった。
10年も(何度も「もう止める」とは言ってきたけれど・・)続いたことは奇跡。どんな時も主が共に居てくださったので今日まで残してくださったのだと思う。

今はひとり暮らしで時間はたっぷりあり、関節を痛めていた指もなめらかにキーボードを打てるようになった。pcのトラブルがあれば息子に連絡して修理もしてもらえる。
主が、すべてを備えてくださっていることを見せられて深く感謝している。

「主を知りたい」と求めたたらすべてを備えてくださっていた。私はやりたいことを自由にさせて貰っている。みことばを「アーメン。アーメン」と聴くことはとても嬉しい。
主はまことに優しいお方である。

信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。(ローマ10:17)
このことは繰り返し必要なのだろうなぁと思った。主は多くの人にたまものを分け与えられたのだから。

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コメント一覧

ムベ
電気屋さんコメント感謝します
電気屋さん。おはようございます
丁寧に書いてくださって、ありがとうございます。

でも・・。ちょっと違っています。
今回中川先生のメッセージ、「クリスチャンライフ、この麗しきもの1回~4回」では、とても鋭くクリスチャンに向かって、純粋な福音をはっきりと語っておられます。
そこに私は聴き入りました。

あはは・・そうですね。
クリスチャンが自分で、何者であれマジ勝負する必要はないですね。

電気屋
おはようございます。
中川さんの話は素麺の様に時に食べたくなり、そしていつもスルスルと心地よくそしてもたれずヘルシーで程度に美味しいというスタイルで以前から変からず、聞く側としても嬉しいです。

話は変わりますが以前書いてらっしゃった


「あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。」

お気持ちわかります。
私は男なのでヘビは見つけちゃうと何とかなりますが、それでもくさむらなどに踏み入った時に、
ガサガサ」音がすると真っ先に「へび?」って考えて体がこわばります。
野ネズミであることを確認できると「なんだネズミか~驚かせやがって」などと胸を撫で下ろすのですが、男でも「女の子孫」なので特別の嫌悪感が植えつけられている感じです。

そもそも神様の造り方みると下等(知能がある)な動物ほど足の数が多い傾向がある気がして、ゲジゲジヤムカデ、ついて蜘蛛やゴキブリ、そしてヘビは動物の中では最も狡猾とあるので人と同じ様に2本足で立っていた可能性が高いなーなどと妄想しています。(今、足が無いのである意味全身数えきれないほど、、足(?)でなお怖い

それを踏みつけるって考えただけで嫌です。バイクヤ車でも気持ちのイイものではありません。
出来たら避けたいものです。
先日もうちのテラスでほぼ毎年抜け殻が、、
家内が見つけて

「ぎゃー、早く片付けてー(やっぱり俺?俺も夫だから平気な顔してやるけど、、本当は嫌だよ)」

そんな感じなのです。

では何故神はそう仰ったかなのですが
私の頂いている分と聖書理解の範囲だけの話ですが

神様は一度も

「その蛇を踏みなさい」とか

「コブラを穴から引き出して殺しなさい」などという

感じのことばは言ってない終始一貫して仰っているのは

「喜びなさい」
「感謝しなさい」
「主を褒めよ」

という感じです。
動物の赤ちゃんって可愛くって羊や牛でも喜びが抑えられない様に牧場や牛舎でも飛び跳ねるように歩きます。
私達も同じで健康な神の子なら多くの時、喜んで飛び跳ねているハズです。
そして知らないうちに、意図していないのに、気が付きもせずサタンを足の下に踏んでしまっていて

後で主のことばが成就している事を知る
その程度の事なんじゃないかと
だから踏みに行く必要などないと

「あー、よかったー」って

勝手に胸を撫で下ろしているのです。

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