石ころ

屋根の穴




 若い頃唯一の楽しみは、スカラ座で早朝割引の映画を見ることだった。色々な映画を見たと思うが当然のことながら覚えてはいない。
しかし、一つだけ心の中に重く重く沈んでいたのがイタリア映画の「屋根」である。それは地味な映画だったが、自分の置かれた境遇と重なって痛みと感動が消えず、60年近くも・・時々思い出し続けていた。

私の人生は、昔の映画を覚えているほど平穏ではなかった。幼くして父を亡くし、中学生の時に母を亡くし、祖父母も亡くして未成年の内に保護者はいなくなったのだ。世の嵐の中、木の葉一枚のような存在であったから・・。

 この映画は戦後の住宅難のローマが舞台で、新婚の夫婦には住む所がなくプライバシーもない生活に苦労し、荷物を持って彷徨ったりする姿があった。それがまったく自分の姿と重なったのだった。

そこで彼らは、不法建築だが一夜にして屋根付きの家を建てると、居住権が認められることにすべてをかける。
思うように進まず時間が経って行く中で、新妻の頼みを聞いて駆けつけた兄の助けによって仕事は進むが、屋根が完成する前に夜は明け見回りの警官がやってくる。
囲ったばかりで屋根に穴の空いた家に入る新妻。そのとき差し出された赤ちゃんを彼女は抱き取る。警官は赤ちゃんを抱いた姿にほだされて去る。

 今日は小雪混じりの強い風が吹いていた。それでも一枚多く着て、主人が買ってくれた革手袋をはめて風の中に出て行った。
歩きたくて溜まらなくなるときがあるのだ。それは頭の中を整理したい時。心の中を整理したいとき。ひとつのことを思いめぐらせたい時など・・。

強い風に向かって坂道を登っている間も、なぜか映画のことが次々と思い出され今に重なって行った。そうして60年の時を経て、今日まで記憶に焼き付けられていた意味がスルスルと解けて行った。

 新妻が抱いて助けを得た赤ちゃんは自分の子どもではなかった。彼女はその赤ちゃんによって、得られないはずの安住の場所を得た。それはまったくの恩恵であった。

私は御子イエスさまを抱かせて頂いた。そうして永遠に安住する場所を得た。それは私の何かから出たことではなく、まったくの神の恩恵である。
新妻が得た場所が不正から得たものであるように、私も天国に相応しくない不正の者であるが、恩恵によってイエスさまという救いを頂いて義とされた。

ずっと心に沈んでいた「屋根」が、今日神様への深い感謝となって完成したように感じた。明日からの映像は、屋根に空いた穴は天国へと登って行く階段になっているだろう・・。

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