石ころ

山上の垂訓

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」
 今の私にはこのおことばはなぐさめに満ちていると思った。私の中にはイエスさまのほかには何もなく、イエスさまを取ったら空っぽになるだろうからと・・。でも、それはイエスさまをもっているということ。それは、すべてをもっていること。天の御国はその人のものとはそういうこと。

「 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」
 一番悲しいことは、人がこの世の事柄にこだわって、イエスさまご自身に飛び込めずに救い主を避けてしまうこと。
そんな悲しみを、慰めてくださるということなのかしら・・、「大丈夫、主のお導きがある」という望なのかしら。

「 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。」
 柔和には犠牲が伴う。「私」というものが死ぬ時、柔和が生まれるから。それはイエスさまのご性質。柔和をもって、王なるイエスさまから地を相続するのだろう。

「 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」
 神の義を待ち望む者が満ち足りる時が来る。この戦いは主の戦い。

「 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。」
 私が、イエスさまのお憐れみを一方的に受けているだけの者であることを、決して忘れないようにお守りください。

「 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。」
 十字架からしたたり落ちるイエスさまの血潮によって、洗い清められて私は神を見ます。
今は覆いを通して。そして御国に行ってからはリアルに、永遠に。ああ、それはなんということでしょう!

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