石ころ

ゴールに立って明日を振り返る者




 新しい年に、どのような事が待っているのだろうと思う時・・、キリスト者のゴールが天の御国であることを思った。
それはイエス・キリストの御わざによって、信仰に拠ればすでに立っている所である。
年々の良い事においても、悪いと思えることにおいても、それをゴールに立って振り返る時には、すべてが懐かしいものとなるだろう。

 経て来た日々をゴールで見るとき、御使いは「あの時は、足が石に打ち当たることがないように受け止めていたのですよ。」
「あの時は、真っ逆さまに倒れることがないように支えていたのですよ。また、四方八方に働いて助けを備えておいたのですよ。」と説明してくれるだろう。

主は「あの時お前はわたしの名を呼んだね。だからわたしはすぐに行って、キリストの信仰を満たし祝福の喜びに溢れさせたのだよ。」
聖霊も「イエスさまのご真実を、日々のみことばを導いてピッタリのタイミングで知らせていたでしょう」と明かしてくださるだろう。

 御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」(黙示録7:17)

そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21:9~4)


主に在る悲しみの涙や、弱さ故の悔悟の涙、痛みに思わずこぼした涙を、主は永遠の時の中で一つひとつ拭ってくださる。その涙の数だけ主に触れていただくのだ。

殉教の先人達は、どのような深い主とのお交わりの中におられるのだろう。
尽きることのない主のお交わりは、この世のでの悲しみ、痛み、悩み、恥は幾万倍もの歓喜となることだろう。

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