天理教を見てこられて、天理教の前で皆さんで記念撮影をされたとのことで爆笑。おちゃめな一面を話され、メッセージもユーモアたっぷりで笑いが絶えなかった。聖書を忘れたなどとおっしゃいながらも、わかりやすく深いメッセージをしてくださった。聖書は、本に価値があるのではなく、みことばそのものの価値だと気づかされた。
メッセージは
「 また、第二の垂れ幕のうしろには、至聖所と呼ばれる幕屋が設けられ、そこには金の香壇と、全面を金でおおわれた契約の箱があり、」(ヘブル9:3~4)
「それをあかしの箱をおおう垂れ幕(至聖所の幕)の手前、わたしがあなたとそこで会うあかしの箱の上の『贖いのふた』の手前に置く。アロンはその上でかおりの高い香をたく。」(出エジプト30:6~7)
新旧の聖書箇所を比較して、旧約時代は至聖所の幕の手前つまり聖所(魂)に香壇は置かれてあり、魂において祈っていたが、今、新訳の時代は至聖所(霊)に香壇が置かれてある。だから今は霊において祈っており無意識の時にも息のように祈っているのである。聖霊の祈りはイエスの祈りであり、イエスの祈りは必ず神に受け入れられる祈りである。
だから、今私たちには何も足りないものはなく、ヘブル4:3「信じた私たちは安息にはいるのです。」と、天理教の入門書を買って読まれたとのことで、「陽気ぐらし」の教えはキリスト教にこそ実現しているのだから、クリスチャン生活を楽しもうと笑いを交えて話してくださった。
また、「霊とまことの礼拝」の「まこと」とは「真理」であり、それは「イエスのなしたみわざ」による礼拝であるということ。私たちの何か、かたちのようなものではないことは深い平安であり、大きな自由があることに感謝を覚えた。 なんて今日は楽しい礼拝だっただろう!
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