石ころ

生かされて




 スーパーで買い物をすませ荷物を満載したバイクで国道を走っていた。すると、前の乗用車が指示器を出した直後に止まって右折した。私のバイクはぎりぎり追突することはなかったけれど、後ろの車の鋭いブレーキ音に驚いた。それっきり後ろの車はずっ~と離れてしまった。よほどびっくりしたのだろう。
私は、今朝のみことばが実現したのだと思っていた。「あなたのいのちを穴からあがない」朝からずっと心に在り、口にあって離れない言葉だったから・・。

家に着いて、玄関の戸に鍵を差し込むと戸は開いたが鍵が抜けなくなった。溶接でもしたようにがっちりとくっついて、引こうと押そうとビクともしない。ペンチを持って来て引っ張っても無反応。
「ああ、そうだ」と祈って、潤滑油を差すことに思い至った。

しかし・・抜けない。何かある・・主は身近なことを通して導かれる。まだ主に聴いていないと気付いて座ると、すぐに言葉が広がった。
「守られた命をどのように扱ったのか。神が与えた命の価値をどう見積もっているのか」
私の毎日は主の癒しと、執り成しと、満たしの中に在るのだ。すべてが神さまの恵みのであり、そのことがすっかり日常になっていた。
しかし残り少ないこの肉の命にさえ、主の備えてくださっているご計画はあり、私はそのことを軽んじていたのかもしれない。
生かされたのはなにゆえか、癒されるのはなにゆえか、若くされるのはなにゆえか・・そのことを尋ねていなかった。

主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。(詩編103:3~5)


 立ち上がった時、あることに気付いた。家の中から鍵をかけて外に回り、戸に差しまれたままの鍵を開ける方に回して引くと鍵はスッと抜けた。やはりこれは主の導きの道具に過ぎなかったのだ。
買い物を冷蔵庫に仕舞って詩編に戻った。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩編103:1~2)

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