でも、でも先日、いつもみことばを教えているつもりの彼女が、
「私は自分が今日しようと思っていることは、痛みをこらえてでもするよ。もう、この年になったら、毎日、何処かが痛いし、しんどいから、そんなことをかまっていたら何も出来ない。」
このひとことにお尻蹴飛ばされた。私よりだいぶ年上なのに、いつも行動的な彼女の努力を教わり、甘ったれな自分を反省した。
それでも、それから数日経過して、やっと今日クリスチャンなのに御神輿があがったというわけだけど、それでもなお玄関先で、主人が取ってきた破竹の子が、「私を始末してから行けばどう?」なんて誘惑してきた、さすがに心で蹴飛ばして家を出た。この手で、昨日も一昨日も歩けなかったんだから・・。
歩き出すとたちまち足、腰が痛い・・。体がやっぱり鉛化している。足が思うように上がらない・・。でも、この間、柳本駅から教会まで歩いたときには何ともなかったのはなぜだろう?この不思議はなんども経験している。
今日は体が一足ごとに「止めて。止めて」と言う。「帰ろう、帰ろう」と言う。ブツクサブツクサ言う体と格闘しつつ、ふと目を上げると、そこは緑、みどりの世界。それぞれの木々の小杖に、ピッカピッカの若葉が幾重にも重なって、木々ごと微妙に色を変え、かたちを変えて若緑。目が眩むほどに鮮やかでまぶしい。
感動で心の中まで緑になってしまったよう・・。桜の木の下は特別気持ちがいい。ひんやりとフィトンチッドがしたたり落ちてきて、体を包みこんでくれそうな心地よさがある。
それに、大好きなアザミの赤紫の花に沢山であった。そう、そうアザミの季節だったんだ。ジャーマンアイリスにも出会った。矢車草にも・・。
つぶやきは感動になり、体の痛みは忘れてしまっていた。
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