DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

俺って何者?(3)

2015-08-16 05:03:21 | 雑感

 小学3年生頃に、ようやく自転車に乗れるようになった。それは、俺にとって、衝撃的な出来事だった。

 自転車に乗れるようになって、それ程経たないころ、母親の実家に自転車で出かけて行った。もちろん、親には内緒だ。行きは順調で、途中、転ぶようなこともなかった。着いて、母親の実家ではたいそう驚かれ、俺は有頂天になって、意気揚々と帰途に着いた。行きと同じで順調に自転車に乗って戻ってきたが、どういう弾みか分からないが、気付いたら、川の中にドボンと落ちて、濡れ鼠になった。泣こうにも周りには人影はなく、ただただ鼻をしくしくさせながら、家に辿り着いた。川に落ちたということはあまり問題ではなく、それよりも何よりも、自転車で行って帰って来れたということで、「俺は凄いんだ。」と思った。

 当時、中耳炎のために、隣町の耳鼻科に通う必要があったが、通院もひとりで行くようになった。俺の町は本当のど田舎だったが、隣町にはアーケードもあるようなところがあって、お店もたくさん並んでいた。当時としてはかなり栄えていた町だった。耳鼻科に通う途中で、少し足を延ばし、ぶらりぶらりすることもできた。お袋が自転車に乗れないため、買い物は親父がやっていたが、自分で必要な物は、自分で買って来れるようになった。

<次に続く>

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俺って何者(2)

2015-08-16 04:05:25 | 雑感

 俺の交通手段と言えば、親父に頼んで、バイクの後ろに熨せて貰って移動するのが唯一の手段だった。だから、余程のことがない限り、遠くへ出かけていくことはできなかった。そんな中、今でも強く印象に残っていることが1つある。それは、隣町(隣の県にある)に行く時に、大きな長い川を渡ることになる。その川の傍に交番があった。いつも交番の少し手前でバイクから降ろされ、親父は交番の先まで進んで、そこで待っていた。私は、緊張し、警官の目を気にしながら、びくびくと交番の前を歩いて通過したものだった。通り過ぎると、親父の待っているバイクに乗って先に進んだ。当時、1つの儀式のようなもので、ほぼ自動的に行っていた。それで、バイクの二人乗りはいけないことなんだと思った。その一方で、交番の警官だって、バイクを停め、子どもを降ろし、通過した先でバイクが待っている、その後、また二人乗りになることは分かっていたのだろう、でも、注意されることは一度もなかった、これが按配というものだと感じとっていた。小学校の高学年になって、バイクに乗るようになって、道路交通法なるものを始めて知った時に、親父のこの行動が非常に気になった。50ccの原付自転車は、二人乗りが禁止されているが、当時の親父のバイクは100ccだった。では、なぜ、交番の前を堂々と通過しなかったのだろう。よくよく調べてみると、乗車するための座席があるかないかで、二人乗りができるかどうかが決まるというものだと分かった。(次に続く)

 

 

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