ローズマリー(ヨーダ改め)

人形制作、大自然の恵みを頂いての手作り、日々の暮らしなど発信していきたいと思います。

母と一緒の日 ⑵

2022-09-06 | 実母の事

母と一緒の日 ⑴ の続きです。

 

母と一緒の日 ⑴ - ヨーダ(工房 銀嶺)

8月は母に来てもらうことが出来ませんでした。と言うのもすぐ近くで(お店で)コロナのクラスターが発生し仕事関係でうちに来られる方々が良く利用していたお店だったのとそれ...

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朝食をしっかり食べ、嫌いなものは『いらん!』

と言う母を見て弟はヨーダが取り繕ってウソを言っていたのではないことが解り

少し気落ちした様子で

『夕方6時ごろ迎えに来る、晩御飯は帰ってから家で食べさせるから

それまで頼むわぁ~。』と帰って行きました。

母は朝食後『眠たい』と言ってソファーで少し横になりました。

 

 

その後、遠くに住む家族にお願してスカイプで母と話してもらいました。

この家族はいつも愛をもって母に接してくれるので

母も気分よく色々話すことが出来ました。

Skypeの後、母の目は生き生きしています。

弟はなぜか遠くに住むこの家族だけには

田舎で作っている畑の様子をLineしています。

そのLineの写真を母に見せてあげるようにと転送してくれました。

 

田舎の畑の写真をPCで大きくして見せてあげると

母の顔が笑顔になります。

  母 『まあ懐かしい! ここは中○○やねえ。』

ヨーダ 『そうよ、○○ちゃん(弟)が綺麗に畑を作ってるよ。』

  母 『ナスも瓜もジャガイモもキビ(トウモロコシ)もスイカも

     お母さんが作りよったのとおんなじ物を植えたがやねえ。』

     これはイチゴの葉っぱじゃないかねえ?

     ようできたろうか?』

 

ヨーダ 『今は暑いから、涼しくなったら連れて行ってもらおうか?』

  母 『行けるならもう1回行ってみたい。』

 

 

弟夫婦は、母はもう何にも認識できなくなって、話しかけてもその内容を理解できなくなっている。何を聞いても一切返事もせず、動きもせずじっとして何もしゃべらずお地蔵さんと一緒。

といつも言ってますが。

私にはそんな風には見えません。

 

母がまだ足腰達者な頃、外出中に一度道に迷ったことから、弟夫婦に外出を禁止され。

私が空いている時は、いつもうちに来ていたのに来れなくなりました。

なのでヨーダが2週間に一回は母に会いに行くようになりました。

もっと行きたい気持ちはありましたが

弟嫁はいつも不機嫌で、ヨーダは母の好物を多めに持って行き

『みんなで食べてね』と手渡してきても

次に行くと手も付けられていないので

段々行き辛くなり、それでも母が楽しみにしてくれているので

弟嫁の不機嫌には気づかないふりをして通っていました。

 

弟嫁はよく気の付く人で母が元気な時は私との間も問題なくスムーズにいっていました。

弟嫁を悪く思った事はありません。

ただ、嫁姑間のことでは見てはいけないような場面に遭遇したこともありましたが

ヨーダの父は婿養子なので

ヨーダは嫁姑の微妙な関係が理解できず

深刻にとらえることが出来ていませんでした。

母も姑としての学びは全くなく姑若葉マークでした。

 

母が足腰達者な時は、歌好きの母の為にカラオケに行ってました。

母は芸事が大好き。

若い頃は剣舞もやっていました。

歌も、演歌、歌謡曲はこぶしを回して上手に歌います。

歌はヨーダより上手です。

母の誕生日には少し日をずらして(弟の家と重ならないように)

母の好物を一緒に食べて家族でお祝いし、必ずカラオケに行っていました。

先日は母の誕生日だったのですが

弟が母の携帯を解約したのと

固定電話はとるなと言われているので(オレオレ詐欺を警戒してのようです)

おめでとうを言いそびれてしまいました。

なので、今回家族で軽くお祝いの昼食の後

家カラオケをしました。

コロナ事情やらで長い間行ってないのと、家では全くしゃべらないという母は

好きな歌の歌詞は全部覚えていたのに怪しくなっていました。

まずは童謡から発声練習

何度か歌っているうちに

最初は蚊の鳴くような声しか出なかったのが

しっかり歌えるようになりました。

母の好きな演歌を何曲か歌い、シャキッとしていたころのような表情になりました。

持病もあるので歌いすぎて疲れてはいけないので。

『疲れすぎはいかんから、また今度来た時、一緒に歌おうね。』

と言うと

晴れやかな表情で

『そうやね。』と満足してくれたようです。

 

その後私がちょっと用事を済ます間

テレビの歌謡ポップスチャンネルをつけていたら丁度

懐メロ演歌をやっていて字幕も出るので母もじっと見ていました。

 

夕方になって、弟が迎えに来ました。

母の様子を見た弟は朝と同じように

『うちでは全然言うことを聞かんお地蔵さんやに、どうしてここでは、ええこながや・・・?』

と独り言を言いながら母と帰って行きました。

弟が来ると母は何も話さなくなります。

 

 

弟よ

嫁にとっては姑は他人と言い切ったけれど

自分は紛れもなく母の血を濃く受け継いだ

母の最愛の息子。

他人が母にすることと同じことを

決してするなかれ!!

 

 

ここに来てくれた時だけでも

母が心を開いて自由でいられるよう願っています。

 



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6 コメント

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Unknown (1948219suisen)
2022-09-06 14:32:39
お母様はお可哀想ですね。私も読ませてもらって晩年の母を思い出して泣けてきました。

母が元気な間は、嫁姑の問題はないように見えていましたが、母が弱ってから兄嫁我母を無視するようになったのです。それとなく兄嫁に理由を聞いてみましたら、私の母が教育熱心で孫の進学先が気に入らず嫌味を言われたそうです。それを兄嫁は根に持っていたのです。

そう言えば、我が家の姑も私が若い頃、里帰りを許さなかったことを私はずっと恨んでいました。姑が元気な間は言えなかったのでしたが、姑が認知症になりかけた頃、ずっと我慢していたことを言いました。姑は泣いて謝ってくれましたが、今度は義妹が私が姑を虐めたと私を恨むようになりました。つくづく義理の関係は難しいと思いました。

ですから、私は、お嫁さんたちには何も言わないようにしています。これは自分が辛い思いをしたお陰かもしれません。人生なにが幸いするかわからないと思います。

以上、長々と書いてしまいましたので読み流してくださいね。
Unknown (ginrei0556)
2022-09-06 15:25:37
948219suisenさんへ

いつもコメントありがとうございます。

本当に義理の関係はむずかしいですね。

素朴で正直な方たちばかりの、山奥の小さな集落で育ったヨーダは、人の言葉の裏側まで考えることがとても苦手です。
自分では気が付かないで弟嫁の気に障るような言動があったかのかもしれません。

生まれつき病弱で難病を患ったヨーダは母のコンプレックスでした。
ヨーダの難病がわかった時、弟を溺愛する母は、こんな姉がいては弟にろくな嫁ももらえない、親が死んだあとは弟がお前(ヨーダは母からお前と呼ばれていました)の面倒をみなくてはいけなくなる、お前は弟の足を引っ張ることしかできないのか、とヨーダよりも弟の心配をしていて父が激怒したことがあります。
幸いにも難病は癒え普通に元気になれました。
何度も生死の境目まで行きましたら、小さなことや過去のことはどうでもよくなり、母へのわだかまりも捨てることが出来ました。
そんな母娘関係もあり、母にヨーダの家に来ないかと言っても
プライドの高いのと弟を溺愛してるのとで母は承諾しません。母はどんなことを言われても、どんなことをされても弟のすべてを受け入れています。
前世からの深い絆があったのかもしれません。

948219suisenさんが母に心を寄せて下さることがとても嬉しく感謝しております。
Unknown (rikarinrin)
2022-09-08 08:33:22
はじめまして。こんにちは。
私は、主人の両親は亡くなり、実の両親が近くに住んでいるので、ほぼ毎日通っています。
父91歳、母88歳…だんだんと老いていく2人を見て色々と思うところがあり、フォローさせていただきました。
よろしくお願いします!
Unknown (ginrei0556)
2022-09-08 12:15:42
rikarinrinさんへ

フォロー&コメントありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いします。
ご両親がご健在でお幸せですね。
親が高齢になると心配事も増えますね。
ヨーダは父が早逝し、母は弟夫婦と同居ですが高齢になりました。
rikarinrinさんのご両親は毎日通ってくれる娘さんがいてどんなにか心強いことでしょう。
Unknown (yamaguti2520)
2022-09-12 19:49:03
お母様が自由にのびのびできるとこがあって凄くいいですネ❕嫁姑の問題はなかなか難しいです。オジンの所は、亡くなっていますのでありませんが、昔はありました。永遠の課題でしょうか?
ブログフォローありがとうございます!これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
Unknown (ginrei0556)
2022-09-13 09:37:43
yamaguti2520さんへ
コメント&フォローありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いします。
外から見れば些細なことのように思えても、嫁にとっては大問題で譲れないこともあるのかもしれません。
母は嫁姑関係がなかったので、姑の心得がなく受け流し方が下手です。
残り少ない母の人生心、穏やかに過ごせることを願っています。

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