伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

裁くのは誰?

2008-06-18 20:04:11 | Weblog

質問 :
リ-マンさんにお聞きしたいのは、いろいろな間違いや過ちを私はこれまで生
きてきている間にたくさん犯かしてしまっています。
そんな私でも、神様は許してくれるのだろうかということです。
私の良心がいつも私を見ているように感じます。
返答 :
人間は、過ちや後悔すべき事をした経験があるものです。
現在進行形の方もいるでしょう。 その内容の深刻具合は
人それぞれです。
この読者が心配する、「神様は許してくれるのか?」・・・。
心の外に居る様な神が、許す、許さないを采配するのでは
ありません。
人間が神に許されるとは、悪事をしても、自分に悪い事が起
こらなければ、許された事に成るのでしょうか?
バチが当たれば、神が許さなかった事に成りますか?
本当の神は、許すも、許さ無いも有りません。
私達と共に、楽しむか悲しむか、するだけです。

あえて言えば、罪を犯せば自分の良心が許して呉れません。
霊的世界とは、想念が誇張する世界です。
現実界で肉体を持つ間は、悪事を働いても自分は悪くない、
相手にも非が有る・・・などなど、自分を誤魔化したり、罪を
忘れる事は出来ます。
しかし、肉体を無くした霊魂の状態では、そうはいきません。
自分でも忘れている罪の認識があれば、増幅されます。
そして、自戒自責の念が生じます。 自分で自分を裁く事が
始まります。 赦す、赦さ無いの鍵を握るのは、自分の良心
(=内在神)です。
自分が悪い事をしたと思うならば、それ以上の善行を、
見返りを期待せずに実践すれば良いのです。

神霊から観た、人間の罪に対する考えは、サッパリし過ぎて
誤解を生む程のものです。
言葉で説明すると、語弊が生じますが、カンナガラ(神と共に)
の見地から観ると正しいと私は思っています。
それは、「潔ぎ良ければ罪は無し」と、伝えて来ます。
罪を犯しても、それを認めて、その裁きが有るならば受けれ
ば良いのです。 裁きから逃げたい、罪を軽減させたいと思
う考えが有ると、神に許しを乞い不安に悩むという、みっとも
ない事をします。
自己の内面宇宙に預かる神と共に、この現実界を思いっ切り
生きれば良いのです。 自身に起こる事は、全て潔ぎ良く受
け入れて、良い事も悪い事も有り難く味合うのです。
そこに有るのは、ただただ現状への感謝の思いです。

自分が罪を犯すことは、内在神にも罪を犯させる事に成り
ます。 内在神は、萎むばかりです。
これは、とても申し訳ない事です。
現実界を同行してくれる、内在神を喜ばすのも、悲しませる
のも、自分次第です。 出来れば、内在神を喜ばす生き方を
するのが望ましいのです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (117)
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