羽生結弦選手 応援ブログ~kosumo70

日々の出来事や、フィギュアスケート、羽生選手の情報や感想など。
楽しく羽生選手を語りたいと思います。

羽生選手の金メダルへの想い!女子いよいよ出陣だ~

2014-02-19 09:56:14 | 日記
 【特別インタビュー】羽生結弦/男子フィギュアに新たな
 歴史を刻んだ19歳
 
 ソチオリンピックのフィギュアスケート男子シングルで優勝し、チームジャパンに
 2大会ぶりの金メダルをもたらした羽生結弦選手。19歳で初出場したオリンピックで
 何を感じ、どのように戦ったのか。自身の考える「オリンピックの魔物」とは。
 そして、「フィギュアスケーター・羽生結弦」のルーツである仙台への思い――。
 1932年レークプラシッド大会に初参加してから82年、男子シングル史上初めての
 快挙を達成した羽生選手に、今大会を振り返っていただきました。(取材日:2月15日)

 ■初めての大舞台は「普段と同じ試合」

 ――初めてのオリンピックはどうでしたか?

 僕にとってオリンピックというのは、祭典とか特別な試合という枠ではなくて、
 ただただ最高の舞台、という感じで漠然としていました。ソチに入った後や、
 団体戦が終わった後からショートプログラムまでの間は、「これがオリンピックか!」
 という感じがすごくしていたのですが、いざスケート靴を履いて練習してみたら、
 もうほとんどオリンピックだという感覚はなかったですね。
 どんな試合でも緊張するから、それが一緒なんだなと思いました。

 ――「自分は今、オリンピックで演技をしている」という感覚はなかったのですね。

 実際に行ってみると、あまり感じませんでした。ただそれは、あくまでも自分の解釈
 ですが、頭の中で感じないように処理していたんだと思います。
 人間の体ってショックを受けると痛みを感じなくなりますよね。そういう現象に
 陥ってたんじゃないかと。それが緊張や体の硬直、呼吸の速さ、脈拍数、そういうものに
 すべてつながっていって、最終的にはベストパフォーマンスができない。
 それが“オリンピックの魔物”なのかなと思います。

 ――実際に脈拍が上がっていると感じていたのですか? 

 すごく感じていました。ただ、僕はどちらかというと緊張している時の方が結構 
 いいパフォーマンスができるタイプなので、緊張は嫌いではないですし、何とかなる
 という感覚はありました。やっぱりどこかしら処理できない、見つめ切れない自分の
 緊張感というものがあったんだと思います。

 

 ■個人戦に向けていい収穫になった団体戦

 ――お客さんの雰囲気はどうでしたか? 団体戦の時は雰囲気が独特でしたね。

 そうですね。でも実は僕、「ロシア」コールじゃなくて自分のコールだと思っていて、
 すっごくうれしかったんですよ(笑)。(リンクに)入る前からコールされて、
 こんなに気持ちいいことはないと。

 ――自分でそう思うようにしたのではなくて、勘違いだったのですか?

 完全に勘違いです(笑)。緊張していて、自分の演技が始まる前の1分間でも
 「絶対に俺のコールだろ」と思って、すごくうれしくて。それでいい演技ができて、
 帰って(映像を)見直したら、どうしても「ロシア」にしか聞こえないから、
 「あれ、おかしいな」と(笑)。そのとき初めて気づきました。

 ――あとから気づいてよかったですね。

 よかったです! 「ロシア」だと分かったら、精神的に違っていたかもしれません。
 初めての団体戦で先頭バッターというプレッシャーもありましたし、そのなかでいい
 滑り出しができたので、すごくうれしかったです。

 ――団体戦は初めての経験ですが、チームで戦ってみてどうでしたか?

 緊張しましたね。すごく緊張しました。自分がまずやらなきゃと思って……やらなきゃと
 思ってる時点でマイナスなんですけど(笑)。
 「エース羽生」と報道されるプレッシャーもありましたし、その中でできたということは
 個人戦に向けてのいい収穫、経験になったなと思います。

  
 
 ――個人戦に入ってから日本のファンも増えたと思いますが、声援は聞こえましたか?

 すごく聞こえました。団体戦でもチームの浅田(真央)さんや鈴木(明子)さんも
 応援してくれましたし、個人戦のときもたくさんの応援が聞こえました。
 テレビの前で応援して下さる方の雰囲気もやっていて感じられたので、ギリギリの
 勝負でしたが、(ファンの皆さんに)助けてもらいました。

 ――自身の競技は終わりましたが、女子の応援には行きますか?

 もうすぐ始まってしまうので、行けたら行きたいですね。

 ――演技直後はかなり悔しかったと思うのですが、フラワーセレモニーやウイニングランで
   はうれしそうにしていたのが印象的でした。

 うれしさというよりも、びっくりしてハイになっていたという感じでした(笑)。
 やっぱり自分が納得できなかったし、悔しかったし、最後のポーズで「ダン!」と
 手をついた瞬間に「あ、俺のオリンピックはこれで終わった」と思いました。
 誰しもがそう思いましたよね(笑)。うれしくないと言ったら嘘になりますが、
 うれしさというか、そういうものを感じることはまだなかったです。

 ――パトリック・チャン選手(カナダ)とは何か話をしましたか?

 僕自身がパトリック選手の演技をすごく応援していたので、「どうしたの? 何が起きたの?」
 という話はしました。彼も「分からない」って言っていましたし、自分もいい演技が
 できなかったので、多分同じ境遇にいたと思います。彼とはまた試合で会うと思うので
 今度はお互いに全力でぶつかりたいと思います。

 

 ■生まれ育った仙台、東北への思い

 ――宮城県出身ということで、東北の皆さんにすごく勇気や元気を与えられたのでは
   ないかと思いますが、改めて皆さんへの思いを教えて下さい。

 震災があったシーズン(2011年~12年シーズン)は練習環境もあまり整っていなくて
 つらかったです。そのシーズンの初めごろは「僕が何かしなきゃ」とずっと
 思っていました。シーズン最後の世界選手権で銅メダルが取れたのですが、そのとき、
 被災地の方々、東北の方々がすごく僕を支えて下さって、逆に勇気をもらっていたなと
 思ったんです。

 今回も被災地を含めた東北の方々や宮城県、仙台市のみなさん、また日本で応援して
 下さっている人たちがたくさんいました。その方々にどれだけ勇気をもらえたか、
 どれだけ背中を押してもらえたかをすごく感じているので、逆に本当にありがとう
 ございましたと言いたいです。
 もしかしたら、この金メダルは羽生結弦じゃなくてもよかったかもしれません。
 でも、僕というその存在の中にたくさんの思いが宿っていると思うので、決して
 一人じゃないということを忘れないようにしたいですね。本当にうれしかったです。
 (日本オリンピック委員会より)

 

 

 おまけの画像(これ、凄い好きなんです)
  

 【ソチ】メダリストインタビュー/羽生結弦選手(フィギュアスケート
 ソチオリンピックのフィギュアスケート男子シングルで金メダルを獲得した
 羽生結弦選手­にインタビューしました。
 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ロシアの皇帝から日本のプリンス・羽生結弦に渡されたバトン
 フィギュアスケート男子シングルで日本に初の金メダルをもたらした羽生結弦
 (はにゅう・ゆづる)。無限の可能性を秘めた19歳に、多大なる影響を与え続けて
 きたのが、ロシアの“皇帝”エフゲニー・プルシェンコだ。
 ロシアの英雄と日本が生んだ新世代のプリンスの邂逅(かいこう)をたどる。

 

 羽生を虜にした2強対決

 1994年12月7日、宮城県仙台市で羽生は生まれた。フィギュアスケートと出合ったのは
 4歳のとき。荒川静香、本田武史ら、仙台のリンクで育った選手が1998年2月にあった
 長野五輪に4人も出場していたことで、当時の仙台ではフィギュアスケートブームが
 起きていた。

 元五輪代表の佐野稔氏が仙台で開いたスケート教室に、姉についていく形で通い始めた
 4歳の羽生。数年の月日が流れたころ、楽しく滑っていた無垢な少年の目の前に現れた
 ヒーローが、プルシェンコだった。

 2002年ソルトレークシティー五輪。羽生はテレビに釘付けだった。当時19歳の
 プルシェンコと、アレクセイ・ヤグディンの“ロシア人対決”に胸を躍らせていたのだ。
 2強のうち、最初に頭角を現したのは、15歳で出た1998年3月の世界選手権で
 銅メダルに輝いたプルシェンコ。その翌年にヤグディンが台頭してきた。
 2人のトップ争いは熾烈だった。4回転、コンビネーション——。
 互いが互いに勝つために、プログラムをどんどんレベルの高いものに切り替えていく。

「僕にとって、五輪のイメージは“プルシェンコとヤグディンが激しいバトルを
 繰り広げた場所”なんです」

 こうして迎えた2002年2月14日、男子シングルフリー。ショートプログラム4位から
 猛追を見せたプルシェンコを振り切って金メダルを獲得したのは、ヤグディンだった。
 しかし、羽生を虜(とりこ)にしたのは、銀メダルに終わりながらも強烈な印象を
 世に与えたプルシェンコの方だったのである。

 たくましい踏み切りから繰り出される4回転トゥループジャンプはもちろんのこと、
 高い柔軟性が求められるため男子にとっては非常に難しいビールマンスピン
 (片足を頭上に伸ばし、体を反らした姿勢でブレードを持ち上げながら回転するスピン技)
 は圧巻だった。

 体の柔らかさには自信のあった羽生は、すぐにビールマンスピンを練習した。
 髪型はプルシェンコを真似てマッシュルームカットに。
 サイン色紙には自分の名前よりも大きな、キノコのイラストを丁寧に書き添えていた。

 「一枚書くのにも時間がかかって大変だったけど、あのころは僕にとってキノコが
  ラッキーチャームだった。プルシェンコ選手は、僕にとってあこがれの選手で、
  今もあこがれている」

 あこがれの人を超えた瞬間

 それから12年の歳月が流れた2014年2月。羽生とプルシェンコは、ソチのリンクで
 初めてともに戦った。羽生19歳、プルシェンコ31歳。団体の男子ショートプログラム(
 SP)が2人の最初の“そろい踏み”だった。

 

 トリノ五輪以降、ケガなどの紆余曲折を経てきたプルシェンコは、故障のため
 今シーズンは公式戦に出ていなかった。しかし、過去の実績をひっさげて一人だけの
 特別な選考会を開き、力技で代表入りを果たした。それだけ、地元五輪での
 金メダル獲得に意欲を燃やしていた。

 先に滑ったプルシェンコの演技はさすがだった。五輪の団体戦だったが今シーズン初の
 国際舞台とは思えないような安定ぶりで自己ベストの91.39点をマーク。
 会場はスタンディングオベーションに包まれる。

 だが、プルシェンコを上回ったただ一人の選手がいた。その人物こそが羽生だった。
 4回転トゥループジャンプをはじめとする3つのジャンプをすべて成功させ、ステップも
 会心の出来映え。97.98点で文句なしの首位だ。羽生の五輪デビューは“満点”の
 内容だった。

 最終的に団体はロシアが優勝し、プルシェンコは2つ目の金メダルを獲得。
 日本は5位に終わった。さあ、次は男子シングル——。

 金メダルが新たなスタート

 ところが、ここでアクシデントが起きた。SPの直前練習でプルシェンコが転倒して
 腰を強打し、棄権を申し出たのだ。結果、羽生がSP1位、フリーも1位で金メダルを獲得。
 プルシェンコの演技に衝撃を受けてからちょうど12年目の2月14日、羽生は世界の
 頂点に立っていた。

 「プルシェンコ選手が棄権したことは残念だった。でも団体戦で一緒に滑ることが
 できて良かった。幸せだった。それだけで夢のようだった。
 今まで感動できる演技を届けてくれてありがとうと言いたい」

 羽生は今、「僕のスケート人生はまだまだ続いていく」と前を見つめる。次世代プリンスと
 目された時期を一足飛びに突き進み、王座に就いた羽生にとって、ソチ五輪の金メダルは
 世界最高のフィギュアスケーターになりたいとの思いに新たな炎が宿ったに過ぎない。

 一方で、過去3度出た五輪で銀金銀とすべてメダルを獲得しているプルシェンコが、
 痛んだ体にムチ打ってソチ五輪出場にこだわったのには、2010年バンクーバー五輪で、
 4回転を飛ばないエヴァン・ライサチェク(米国)が金メダルを獲ったことへのアンチテーゼの
 意味合いが含まれている。

 フィギュアスケートは進化していくべきであり、チャレンジしてこその競技である。
 なのに、リスクを恐れて4回転を跳ばない選手に最高の評価を与えるのは
 おかしいのではないか。

 プルシェンコの「4回転論争」にこたえた羽生

 プルシェンコのこの訴えは「4回転論争」を巻き起こし、その後の採点基準の改正に
 つながった。ソチ五輪では4回転トゥループを完璧にこなし、もっと難しい4回転サルコウにも
 挑戦した羽生が金メダルを獲得したのだから、皇帝も心安らかだろう。

 「今回の五輪では、はっきり言って自分の演技には満足していない。でも、結果として
 優勝したということを、日本人として誇らしく思う。
 金メダルを取って、ここからこそがスタートだと思っている」

 そう言って己を律する羽生の目標は、プルシェンコのような選手になるということだ。
 「今後はプルシェンコ選手みたいに、どんなときでも、どんな場所でもノーミスで
 できるくらい、強い選手になりたいと思っている」。
 12年のときを経てあこがれの存在と同じリンクで勝負した羽生。
 たった1日の邂逅は、謙虚な新王者が皇帝のバトンを受け継ぐための儀式だった。
 矢内 由美子(2014年2月18日 記

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 【ソチオリンピック リポート】 羽生結弦を中心に始まった「4回転時代」
  への新たな挑戦
 ソチ五輪での、男子シングルフリー。試合としては上位ふたりを筆頭にミスが多く、
 他にも4回転を転倒する者が相次ぎ、試合としては盛り上がりに欠けるものだった……
 という意見も多い。確かに今回の男子シングル、思い返せばショートプログラムから
 ミスの目立つ試合、特に4回転の転倒はいつも以上に目にすることが多い一戦
 となってしまった。

 オリンピックという4年に一度の場だからこそ、パーフェクト演技続出! 
 という壮絶な展開が見たかった……というのは、正直なところ。
 試合の開始時間が遅かったためではないか、とか、リンクの氷の質が通常と
 違っていたのではないか、とか、ミス続きの理由を探す動きも見られたが、
 筆者はひたすら、男子シングルの競技性そのものに起因するのではないか、
 と思う。

 考えてみてほしい。4回転を跳んで、その他の要素ももれなくレベル4が求められ、
 プログラム構成点で演技力や滑りこなしも細かくチェックされる……
 そんなオリンピックは、実は初めてなのだ。

 4年前はチャンピオンが4回転に挑戦しなかったことで話題になったし、
 8年前はまだ新採点方式がスタートしたばかりで、システムが成熟していなかった。
 今ほどジャンプも跳べてステップ、スピンも最上級、パフォーマンスで観衆を
 引き込み……そのすべてを求められる時代は、かつてなかったのである。

 それでもこれまで、グランプリシリーズや四大陸選手権、世界選手権ならば、
 この複雑な要素のすべてを満たした、完璧に近い演技を何度か見ることができた。
 今シーズンでいえばグランプリシリーズ・エリック杯でのパトリック・チャン(カナダ)、
 NHK杯での高橋大輔、スケートアメリカでの町田樹のそれぞれのフリーは、
 オリンピックでもう一度見たかった……そんな演技だろう。

 しかしすべての要素にハイレベルを求められることにプラス、オリンピックという場の
 尋常でない緊張感が加わると、ミスの少ないはずのトップスケーターでもこうなってしまう
 ……それが、ソチオリンピックだった。WEBRONZAから
 (朝日新聞 より)

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 <Twitter目に止まったコメント特集>
 プル選手が引退は撤回というニュース記事に対して
 
 mint ‏@MINT8211 · 1時間
 ジェーニャ、日本ではみんなに愛と勇気をあたえて宇宙に帰ったウルトラヒーロー的
 扱いになってるよ。空気読んで…そういえば帰ってきたウルトラマンってのも
 あったけど。

 くっくり ‏@boyakuri · 2月14日
 SP演技終了後、客席に向かって手を合わせた理由を、直後のインタビューで、
 「日本の国旗、日本の国、あと、応援して下さった日本の方々に、感謝の気持ち
 をこめました」と答えていた羽生くん。君こそ日本男児!(^▽^)

 ひなこ ‏@Hinatic · 2月17日
 真央ちゃんが尊敬する選手は誰かと訊かれて(直前の記者会見で訊く事かよ…)とか
 思ってたら「私がバンクーバーで銀メダルを取った時も、試合が終わった後とか
 いつも気にかけてくれて…今回も体調が悪い中素晴らしい演技をした
 エフゲニー・プルシェンコ選手が一番…尊敬しています」と答えて目から水が・・

 Rosarinn ‏@rosarinn · 2時間
 ソチ五輪フィギュア女子SP滑走予定日本時間 今夜
 2:17頃〜ゲデ子選手
 2:24頃〜キムヨナ選手
 2:51頃〜村上佳菜子選手
 3:18頃〜鈴木明子選手
 3:40頃〜最終グループ6分間練習
 :47頃〜ユリア・リプニツカヤ選手
 3:54頃〜コストナー選手
 4:20頃〜浅田真央選手

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 真央 金色(ゴールド)の頂に挑む
 ソチ五輪のフィギュアスケート女子シングルは19日(日本時間20日)に
 ショートプログラム、20日(同21日)にフリーを行う。出場する浅田真央(23)、
 村上佳菜子(19)=いずれも中京大、鈴木明子(28)=邦和スポーツランド=が
 華麗な演技で世界を魅了できるか、3選手に期待がかかる。

 順調なときもあれば、苦しいときもあった。それを乗り越えてきた浅田真央は信念を
 貫く女性でもある。姉・舞の背中を追い、5歳でフィギュアスケートを始めた。
 負けず嫌い、熱い思いを胸に秘めるタイプだった。見よう見まねで滑り、ほんの少しでも
 姉より高く跳ぼうとする。何度、尻もちをついても「もう一回、もう一回」と
 繰り返したという。

 執念という言葉は可憐(かれん)な少女には似合わないかもしれない。でも、
 飽くなきチャレンジ精神で難度の高いトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を
 身につけ、最強の武器にした。
MSN産経 より)

フィギュア3人娘、そろいのリップで大舞台へ
 【ソチ=読売取材団】ソチ五輪は19日、フィギュアスケートの女子が始まる。
 ショートプログラム(SP)で、日本は前回バンクーバー大会銀メダルの浅田真央
 (23)(中京大)、同8位の鈴木明子(28)(邦和スポーツランド)、
 初出場の村上佳菜子(19)(中京大)が出場。フリーは20日午後7時
 (日本時間21日午前0時)にスタートする。

 フィギュアスケート女子の日本勢は、ライバルであると同時に固い絆で結ばれた 
 不思議な関係だ。

 23歳の浅田は「昨年も一昨年も、日本代表として一緒に頑張ってきた。
 五輪でもみんなで頑張ろうと話してきた」と説明する。現地入り後の記者会見では、
 19歳の村上が、「二人ともすてきなお姉ちゃん。アッコちゃん(鈴木)と
 真央ちゃんを尊敬しています」と話すと、3人でほほ笑みあった。

 個人競技であるフィギュアの世界では、同じチームの選手でも口をきかないこと
 が珍しくない。世界の強豪国と比べても3人の仲の良さは目をひく。

 今大会、3人の〈結束の証し〉は、鈴木が2人に贈った「おそろいのリップクリーム」。
 大舞台を勝ち抜こうという思いを、唇の輝きに込めている。

 さあ、いよいよ決戦の日が近づいてきました。
 浅田真央ちゃん、トリプルアクセル絶対頑張ってね!!
 あっこさん、笑顔でコーチへの愛の讃歌最高に演じてくださるよう祈ってます。
 かなちゃん!明るい笑顔を忘れずにパワー温存して頑張ってください。
 真央ちゃ~~ん、金メダル待ってます。羽生選手と金メダル二人で
 並ぶ所を今からイメージしてますから~~!!!

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 金メダル獲得の羽生結弦が練習再開
 フィギュアスケート男子シングルで日本男子初の金メダルを獲得した羽生結弦(19)
 =ANA=が19日、練習を再開した。当初は日本が拠点を置くアルメニアで
 エキシビションと、来月の世界選手権に向けた調整を行う予定だったが、
 金メダル獲得以降、テレビ出演や表彰式などのイベントラッシュもあり
 疲労による体調不良のため、取りやめていた。

 この日はフリー以来となる滑りで、じっくり氷の感触を確かめた。
 フリーで転倒した3回転フリップなども入念に跳んだ。また、22日のエキシビションで
 滑ると見られる「白鳥の湖」を掛け、振り付けを確認していた。
 (お~、やはりチャイコフスキーの白鳥の湖なんですね。)
 ななみ先生が振り付けした白鳥の湖・・!!ぜひ、見たいです。
 デイリースポーツ より

 また、元気にエキシの練習を始めた羽生選手!
 (良かったですね)
 

 

 

羽生結弦 EX 白鳥の湖 解説なしno commentary 2012
2012世界フィギュア・スケート選手権


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ホワイトレジェンド(白鳥の湖)

  
 
 
 ゆづ君愛の応援クリックどうぞよろしくお願いします。
 ソチまで羽生選手の金メダルを目指して応援クリック
 よろしくお願いします!
 ゆづ君の金メダルを願って、皆様のパワーを押して頂けたらありがたいです。
 

 
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする