ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

上田ダム

2024-05-16 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 上田ダム
2024年4月14日
 
上田(うわだ)ダムは左岸が福島県大沼郡金山町中川、右岸が同町水沼の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正以降電源開発が本格化しますが、その多くは首都圏への送電を目的としていました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電が分割され新たに9電力会社が誕生しました。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川に4基のダム式発電所の建設を進め、本名ダムとともに1954年(昭和29年)に完成したのが上田ダムです。
ダムの完成により上田発電所で最大4万2600キロワット(のちに6万3900キロワットに増強)のダム式発電が開始されました。
阿賀野川および只見川は東北電力管内の包蔵水力の過半を占め、白洲の尽力がなければ戦後の東北の発展はなかったと言っても過言ではありません。

2023年(令和5年)に上田ダム・発電所を含めた東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され、『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
上田ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

上田ダムは国道252号線が走る右岸側からのアプローチとなり、天端は車両通行可能です。
まずは左岸に渡りダム下流から。
右岸側に洪水吐ローラーゲート5門、左岸側に上田発電所という配置。
(2016年5月28日)

 
先行して完成した片門ダム柳津ダムと異なりゲートピアは鉄骨トラス剥き出し。
ローラーゲートはいずれも2段ゲートになっています。
(2016年5月28日)

 
上田発電所
完成当初は出力4万2600キロワットでしたが、のちに6万3900キロワットに増強されました。
(2016年5月28日)

 
発電所の放流口。
(2024年4月14日)

 
左岸上流側にあるコンクリートの遺構
クレーンの台座?
奥にはグリーンの作業船。
(2024年4月14日)

 
左岸上流から上流面
手前に発電用取水ゲート6門、奥に洪水吐ゲート5門
本名ダムと同様ピアは鉄骨トラス剥き出し。
豪雪地帯ということで被覆されています。
(2024年4月14日)

 
取水ゲートとピア。
(2024年4月14日)

 
天端からの下流の眺め
2011年(平成23年)新潟・福島豪雨の際には右手の集落があわや流出という水量だったそうです。
(2024年4月14日)

 
取水ゲート上流側の除塵機
右奥は分割式予備ゲート。
(2016年5月28日)


右岸から下流面
ゲート数は異なりますが、左岸に洪水吐ゲート、右岸にダム式発電所という配置は同時に建設された本名ダムと瓜二つ。
減勢工には四角いバッフルブロックが並び、左岸側(向かって右手)の1番ゲートだけ導流壁で仕切られています。
(2016年5月28日)

 
天端は車両通行ができますが、道路は対岸で途切れます。
たぶん山への入会権への配慮から開放されていると思われます。
手前の青いトラスは分割式予備ゲート運搬用のクレーン。
(2024年4月14日)

 
右岸にはおなじみ白洲の石碑と上田発電所の説明板。
碑文は
『建設に盡力したみなさん これは諸君の熱と力の 永遠の記念碑だ
             上田発電所竣功に際して   白洲次郎』
(2024年4月14日)

 
上流面
手前から予備ゲート運搬用クレーン、洪水吐ゲート、発電用取水ゲートという並び。
(2024年4月14日)

 
発電用取水ゲート上流側の除塵機。
(2024年4月14日)

 
選奨土木遺産のプレート。
(2024年4月14日)

 
上流から遠望
(2024年4月14日)

 
(追記)
上田ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0487 上田ダム(0409)
左岸 福島県大沼郡金山町中川
右岸        同町水沼 
阿賀野川水系只見川
34メートル
283.7メートル
20500千㎥/4426千㎥
東北電力(株)
1954年
◎治水協定が締結されたダム

宮下ダム

2024-05-14 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 宮下ダム
2024年4月14日
 
宮下ダムは左岸が福島県大沼郡三島町名入、右岸が同町宮下の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正期に猪苗代湖から流下する日橋川で猪苗代水力(のちに東京電燈)が電源開発に着手、一方阿賀野川本流では昭和初期より東信電気による電源開発が開始されました。
一連の発電施設は配電統制令により日本発送電が接収しますが、同社も阿賀野川水系での電源開発の手を緩めることはなく、1941年(昭和16年)に支流の只見川で着工されたのが宮下ダムです。
宮下ダム及び発電所は終戦後の1946年(昭和21年)に完成し当初は3万2100キロワット(のちに9万4000キロワットに増強)のダム水路式発電が開始されました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電は分割され新たに9電力会社が誕生します。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川での新規電源開発に着手します。
宮下ダムにおいては新たに当ダムを下部調整池、自然湖である沼沢湖を上部調整池とする揚水式発電所である沼沢沼発電所(最大出力4万3700キロワット)が新設されました。
当発電所は日本最初の純揚水式発電所とされています。
さらに1982年(昭和57年)には沼沢沼発電所を再開発し、新たに第2沼沢発電所が建設され最大出力は10倍以上の47万キロワットに増強されました。

宮下ダム・発電所を含む東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され2023年(令和5年)に『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。

宮下ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。

宮下ダムは国道252号沿いにあり、下流の高清水橋から遠望できます。
右岸下流(向かって左手前)にあるのが宮下発電所です。


宮下発電所の脇から川沿いの山道を300メートルほど進むと至近からダムと正対できます。
東北電力只見川5ダムのうち宮下ダムは唯一日本発送電によって建設されたこともあり、その形状は他の4ダムとは大いに異なります。
まず発電方式は他の4発電所がダム式発電なのに対し、宮下ダムはダム水路式、さらに洪水吐ゲートも他の4ダムがローラーゲートなのに対し、宮下ダムはラジアルゲートとなっています。
ダムの全体的なデザインは鹿瀬ダムをプロトタイプとする東信電気の系譜です。


14門並ぶゲートのうち4番ゲート(向かって右から4番目)だけが他と異なりローラーゲートになっています。
実はダム建設期は只見線はダム直下の会津宮下までしか開通しておらず、只見川上流の木材運搬は舟運に依りました。
4号ゲートは舟筏路でこのゲートから木材を流下させるため減勢工も水叩きが切れ擂鉢状になっているのです。
しかし、ダム完成の翌年に只見線が全通し、この舟筏路が使われたのはわずか1年の間だけでした。


一方一番右岸側(向かって左)14番ゲートは塵芥ゲートになっており、かつては貯水池内のごみや流木をここから流下させました。
現在は河川法の改正でダムが捕捉したごみや流木の放流は禁止されています。


右岸から
被覆されたピアと扶壁前面に架かる歩廊の組み合わせも鹿瀬ダム以来の東信電気の特徴。


宮下ダム一番の特徴は減勢部。
先に建設された下流の山郷ダム新郷ダムでは減勢部にはコンクリートの叩きが設けられていますが、宮下では右岸側の叩きにはジャンプ台が設けられれいます。
さらに舟筏路のある左岸側には1940年ごろより普及し始めたすり鉢状の減勢工が採用されています。


右岸ダムサイトの選奨土木遺産のプレート。


水利使用標識
こちらは宮下発電所の水利使用標識。


上流面
一番右手の小さなゲートが14番の塵芥ゲート。


浮桟橋と作業船
先端にミニシャベルのついた作業船は他の4ダムと同型。


そばを走る只見線越しに宮下ダムへの二つの取水ゲートがあります。


今度は左岸の国道252号線へ移動
国道からの宮下発電所
当初は出力3万2100キロワットでしたが、のちに3倍近い9万4000キロワットに増強されました。
2011年(平成23年)の新潟・福島豪雨で甚大な被害を被りました。


国道252号線から俯瞰。


さらに上流から。


ここから見ると取水口のスクリーンや取水ゲートの配置がよくわかります。


湖岸には巡視艇が格納されていました。

(追記)
宮下ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たな洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0481 宮下ダム(0414)
左岸 福島県大沼郡三島町名入
右岸        同町宮下
阿賀野川水系只見川
53メートル
168.5メートル
20500千㎥/4056千㎥
東北電力(株)
1946年
◎治水協定が締結されたダム

柳津ダム

2024-05-13 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 柳津ダム
2024年4月14日
 
柳津ダムは左岸が福島県河沼郡柳津町飯谷、右岸が同町柳津の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正以降電源開発が本格化しますが、その多くは首都圏への送電を目的としていました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電が分割され新たに9電力会社が誕生しました。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川に4基のダム式発電所の建設を進め、片門ダムとともに1953年(昭和28年)に完成したのが柳津ダムです。
ダムの完成により柳津発電所で最大5万キロワット(のちに7万5000キロワットに増強)のダム式発電が開始されました。
阿賀野川および只見川は東北電力管内の包蔵水力の過半を占め、白洲の尽力がなければ戦後の東北の発展はなかったと言っても過言ではありません。

2023年(令和5年)に柳津ダム・発電所を含めた東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され、『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
柳津ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

下流高台の野老沢集会所から。
(2016年5月28日)

 
ダム左岸下流から
発電所はダムの左岸側にあり、同時に建設された片門ダムとは左右対称ですが、ゲート数やピアの形状などは瓜二つ。
(2024年4月14日)  


再訪時は融雪期で水量が多く3番ゲートから放流中。
(2024年4月14日)  

 
右岸高台から
ダムの手前に分割式予備ゲートが置かれ、ダムの右岸には予備ゲート運搬用のクレーンが設置されています。
(2016年5月28日)


右岸から下流面
対岸が柳津発電所。
(2024年4月14日)  

 
減勢工には鋸歯上のブロックが並びます。
(2016年5月28日)

 
右岸には白洲の石碑が建ちます。
碑文には片門ダムと同じく
『この発電所の完成は 地元の人々の理解ある 協力と東北電力従業員
不抜の努力なくしては 不可能であった その感激と感謝の 記録にこれを書く
                                白洲次郎』
と刻されています。
(2024年4月14日)  

 
同じく右岸に建つ選奨土木遺産のプレート。
(2024年4月14日)  

 
天端は地元の生活道路として開放され、6トン車まで通行可能。
片門ダムの天端は軽車両のみ通行可でしたが、こちらは普通自動車や小型トラックも通れます。
(2016年5月28日)

 
水利使用標識。
(2024年4月14日)  
 
天端から下流を見ると
ちょうど川が蛇行する手前にダム・発電所が建設され、放流水は正面の断崖にぶつかる形となります。
1枚目の写真は左奥の杉林の切れ目から撮りました。
(2024年4月14日)  


総貯水容量2430万9000立米、有効貯水容量は586万4000立米
かなり堆砂が進んでいますが、発電ダムの性格上取水できれば堆砂は問題ないという考え方なんでしょう。
(2024年4月14日)  


浮桟橋の係留された作業船
東北電力只見川5ダムはすべて同型の作業船です。
(2024年4月14日)  

 
左岸から下流面
手前が発電所と取水ゲート、奥が洪水吐ゲート
片門ダムと同じくコンクリート製ピアに鉄骨トラスが内包されています。
(2024年4月14日)  


左岸にあるコンクリートの遺構
バッチャープラント跡か?
(2024年4月14日)  

 
上流から
洪水吐ゲート5門、取水ゲート6門は片門ダムと全く同じ。
(2016年5月28日)

 
(追記)
柳津ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0486 柳津ダム(0415)
左岸 福島県河沼郡柳津町飯谷
右岸        同町柳津
阿賀野川水系只見川
34メートル
216.7メートル
24309千㎥/5864千㎥
東北電力(株)
1953年
◎治水協定が締結されたダム

片門ダム

2024-05-10 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 片門ダム
2024年4月14日
 
片門ダムは左岸が福島県河沼郡会津坂下町片門、右岸が同町坂本の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正以降電源開発が本格化しますが、その多くは首都圏への送電を目的としていました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電が分割され新たに9電力会社が誕生しました。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川に4基のダム式発電所の建設を進め、着工翌年の1953年(昭和28年)に柳津ダムとともに完成したのが片門ダムです。
ダムの完成により片門発電所で最大3万8000キロワット(のちに5万7000キロワットに増強)のダム式発電が開始されました。
阿賀野川および只見川は東北電力管内の包蔵水力の過半を占め、白洲の尽力がなければ戦後の東北の発展はなかったと言っても過言ではありません。

2023年(令和5年)に片門ダム・発電所を含めた東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され、『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
片門ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

まずはダムの下流へ
ダムの下流を磐越自動車道が跨ぎアーチ橋越しのダムの眺めはなかなかにフォトジェニック。
橋の橋脚の色は異なりますが、埼玉県の玉淀ダムとよく似た構図。
(2024年4月14日)  

洪水吐はローラーゲート5門。
(2024年4月14日)

右岸高台からダムを見下ろします。
右岸(手前側)に取水ゲートが6門、奥に洪水吐ゲートが5門
取水ゲートの下流側に片門発電所があります。
(2016年5月28日)

右岸の高台にある白洲次郎の石碑
この時期に建設された片門、柳津、上田、本名各ダムに白洲の碑が設置されています。
碑には
『この発電所の完成は 地元の人々の理解ある 協力と東北電力従業員
不抜の努力なくしては 不可能であった その感激と感謝の 記録にこれを書く
                                白洲次郎』
と記されています。
(2024年4月14日)


こちらは2023年(令和5年)土木学会選奨土木遺産のプレート。
(2024年4月14日)


ゲート上流側にはレール移動式の除塵設備。
(2024年4月14日)

 
取水ゲートは6門
奥の1A~2Bゲートは昭和28年(1953年)日立造船製
手前の3Aと3Bゲートは昭和44年(1969年)石川島播磨重工業製
完成当初の片門発電所は1号機、2号機体制で最大出力3万8000キロワットでしたが昭和44年に3号機が増設され最大出力は5万7000キロワットに増強されました。
これが取水ゲートの製造時期とメーカーが異なる理由です。
(2024年4月14日)

 
右の2Bゲートは日立造船
左の3Aは石川島播磨
16年の年月でゲートの形状も随分変わりました。
(2024年4月14日)

発電所に掲示された発電所横断面図。
(2016年5月28日)

水利使用標識。
(2024年4月14日)

 
減勢工に並ぶバッフルブロック
左岸側が窪んでおり通常はこちらのゲートを開放するんでしょう。
(2016年5月28日)

天端から
正面には磐越自動車道のアーチ橋
高速からだと眺めがよさそうですが、実は橋梁には高い塀があり視界を妨げられます。
(2024年4月14日)

 
貯水池は総貯水容量1617万2000立米
でも堆砂が進み有効貯水容量は449万7000立米。
基本、取水ができればいい発電ダムあるある。
(2024年4月14日)


天端は車両通行可能ですが、道幅が1.5メートルなので軽自動車か二輪じゃないと通れません。
頭上には予備ゲート運搬用のクレーン。
(2024年4月14日)

左岸ダムサイトのクレーン終点に積まれた予備ゲート
奥に繋留された作業船は只見川の東北電力共通。。
(2024年4月14日)


左岸から。
(2024年4月14日)

同時並行で建設された柳津ダムと同じく様コンクリート製のピアの中に鉄骨トラスが隠れています。
一方完成が1年遅れの上田ダム本名ダムはピアは鉄骨トラス製。
(2024年4月14日)


片門発電所を真横から
2011年(平成23年)の新潟・福島豪雨の際にはあわや発電機水没の危機だったそうです。
(2016年5月28日)


(追記)
片門ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0485 片門ダム(0416)
左岸 福島県河沼郡会津坂下町片門
右岸          同町坂本
阿賀野川水系只見川
29メートル
194.8メートル
16172千㎥/4497千㎥
東北電力(株)
1953年
◎治水協定が締結されたダム

吉ヶ平ダム

2024-05-09 08:00:00 | 福島県
2017年5月28日 吉ヶ平ダム
2024年4月13日
 
吉ヶ平(よしがだいら)ダムは福島県会津若松市湊町共和の阿賀野川水系原川左支流大清沢川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
会津若松市湊町は猪苗代湖西側の南北に延びる谷筋に位置しますが、猪苗代湖との間は山で隔てられ揚水技術のない時代は水利に乏しく、安定した水源確保は地域農家の宿願となっていました。
1964年(昭和39年)に大清水沢川源流にある陣馬湖という自然湖をダム化し灌漑用水源とする県営かんがい排水事業が着手、現地竣工記念碑では1969年(昭和44年)、ダム便覧では1972年(昭和47年)に吉ヶ平ダムが竣工し約600ヘクタールの水田への灌漑設備が整備されました。
ダムの管理は会津若松市湊土地改良区が受託し、ここで貯留された水はダム直下の頭首工で取水され吉ヶ平用水路を経由して受益農地に供給されます。
吉ヶ平ダムには2017年(平成29年)に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。
 
国道294号線から県道374号線に入ると吉ヶ平ダムを示す標識が現れます。これに従って左折すると右岸ダムサイトに到着します。
ダムサイトに建つ立入り規制板。


天端はダートですが車両の通行ができます。
かつては上流に数軒の集落があったようですが今は廃村。
下流面はきれいに草が刈られ今も貴重な水源であることが伺えます。

 
上流面は石積み護岸。

 
総貯水容量は125万3000立米と本州の農業用アースフィルダムとしては結構なサイズ。
向かって左側、ダム湖右岸沿いに別荘が並んでいます。
バブル期に別荘地として開発されたようですがデベロッパーはすでに破綻。
私有地のため立入り制限となっていますが、居住者がいるのかどうかは不明。

 
右岸の斜樋。

 
右岸の竣工記
一見監査廊入り口のような形状。

 
記念碑をズームアップ
裏面には諸元等の記載がありますが字が薄れて読み取り困難。

 
左岸の円形越流式余水吐
いわゆる『パイ生地型』。

 
余水吐の擁壁にはめ込まれた定礎石
こんなところに鎮座するのはちょっと珍しいかも?


ダム下に降りてみます。
堤体は犬走を挟んで2段、基部は石積みの擁壁。
手前側にわずかに雪が残ります。
左手のコンクリート構造物はドレーン施設。

余水吐導流部
一応ジャンプ台。


減勢工からそのまま大清水沢川となります。


右岸ダム下の底樋門
まだ灌漑期ではなく河川維持放流分だけ放流中。


すぐ先に頭首工の吞口が見えます。
取水された水は吉ヶ平用水路を経て約600ヘクタールの水田に灌漑用水を供給します。


ダムに至る道路が吉ヶ平用水路と交差しています。
非灌漑期なので水は流れていません。


0512 吉ヶ平ダム(1013)
福島県会津若松市湊町共和
阿賀野川水系大清水沢川
22.5メートル
190メートル
1253千㎥/1222千㎥
会津若松市湊土地改良区
1969年竣工(現地記念碑)
1972年竣工(ダム便覧)

東山ダム

2024-05-08 08:00:00 | 福島県
2017年5月28日 東山ダム 
2024年4月13日
 
東山ダムは左岸が福島県会津若松市門田町黒岩、右岸が同市門田町湯川の一級河川阿賀野川水系湯川にある福島県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
東山温泉を抜け会津若松中心部を東西に横断する湯川は古来より出水が多く抜本的な治水対策が求められていました。
一方高度成長期以降の人口増加や生活様式の変化を受け、会津若松市の都市用水需要が急増し安定した水源確保が喫緊の課題となっていました。
これを受け、福島県は湯川総合開発事業を採択し1982年(昭和57年)に竣工したのが東山ダムです。
東山ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、湯川の洪水調節(最大毎秒315立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持、会津若松市への上水道用水の供給を目的とし併せて河川維持放流を利用した管理用小水力発電も行っています。
また着工ベースでは日本で初めて堤趾導流壁を採用したダムとされています。
東山ダムには2017年(平成29年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時が記載してあります。
 
会津若松中心部から東山温泉の標識に従って県道325号線を南下、東山温泉街を抜けてさらに進むと東山ダムに到着します。
東山温泉の先右手にダム下へ通じる管理道路入口があります。
ゲートがあり立ち入りは微妙でしたが、ダム管理所に確認したら徒歩での立入りは規制していないとのこと。
ということでまずはダム下へ
入り口から約600メートル、歩くこと10分ほどでダム下に到着。
堤高70メートル、堤頂長275メートル
堤体は左岸側が折れています。
堤趾導流壁を採用しクレストには16門の自由越流頂が並びます。
(2024年4月13日)

 
常用洪水吐であるオリフィスゲートは洪水期と非洪水期の2門
このほか放流設備としてジェットフローゲートを装備
また河川維持放流を利用した管理用発電所があり、平時は小水力発電所経由で放流されます。
(2024年4月13日)

 
非洪水期(10月11日~6月20日)はEL396.5メートルが常時満水位
洪水期(6月21日~10月10日)はEL393.2が洪水期制限水位となります。
訪問時は非洪水期のため上部のオリフィスから越流中。
(2024年4月13日)

 
管理用発電所の水利使用標識。
(2024年4月13日)

 
ダムに通じる管理道路沿いには会津若松市向け上水道用水の水路管があります。
(2024年4月13日)

 
右岸ダムサイトに上がります。
管理事務所はスペースがないせいか基礎をコンクリートで固めバットレスで支える構造。
(2017年5月18日)

 
上流から遠望
右手は多段式取水設備
左はオリフィスゲート
ゴミ除けのスクリーンでよく見えませんが、右手の洪水期用ゲートはスライドゲートで塞がれています、。
6月20日~10月10日までの洪水期にはこのゲートが開けられます。
(2024年4月13日)
 
 
管理所および天端への入口
ここから先は車両進入禁止。
(2024年4月13日)

上水道用水の水利使用標識
ダムで直接取水され導水管で浄水場に送られます。
(2024年4月13日)

 
管理事務所わきの竣工記念碑。
(2024年4月13日)

 
ダムの概要説明板。
(2024年4月13日)

 
下流面
着工ベースでは日本で最初に導流された堤趾導流壁
今どきのがっつりした堤趾導流壁と比べるとフーチングの幅や導流壁の厚さがかなり華奢。
(2017年5月18日)

 
天端は徒歩のみ開放。
(2024年4月13日)

 
天端からダム下を見下ろす
減勢工右手奥が管理用発電所、手前は放流設備となるジェットフローゲート
基本河川維持放流は発電所経由で行われます
左手には『東山ダム』の植栽
完成から40年以上経過していますが、手入れが行き届いているのか?東山ダムの文字がきれいな状態に保たれています。
(2024年4月13日)

 
ダム湖は総貯水容量1250万立米
『湯の入湖』と命名されています。
東山温泉から上流を『湯の入』と呼んだことに由来します。
(2017年5月18日)

 
左岸の艇庫とインクライン
残念ながら左岸側の道は落石の恐れがあるため全面通行止め。
(2017年5月18日)


左岸から
堤体が折れているのがよくわかります。
こちらから見ても堤趾導流壁とフーチングがか細い。
(2017年5月18日)

東山ダムのホームページではダムのパンフレットがアップされています。
詳しくはリンクをご覧ください。
 
(追記)
東山ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0520 東山ダム(1012)
左岸 福島県会津若松市門田町黒岩
右岸       同市門田町湯川
阿賀野川水系湯川
FNW
70メートル
275メートル
12500千㎥/11500千㎥
福島県土木部
1982年
◎治水協定が締結されたダム

田島ダム

2024-05-06 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 田島ダム
2024年4月13日
 
田島ダムは福島県南会津郡南会津町高野の阿賀野川水系高野川にある福島県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国土交通省)の小規模ダム事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、高野川の洪水調節(最大毎秒35立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、旧田島町への上水道用水の供給を目的として1998年(平成10年)に竣工しました。
田島ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載する写真はすべて再訪時のものです。
 
会津田島市街から国道400号を北上すると右手に田島ダムが見えてきます。 
まずはダム下へ。
堤高36メートルに対し堤頂長200メートルの横長堤体。
洪水吐は堤体左岸側に寄っています。
ダム下は公園として整備され遊歩道や東屋が設けられています。


減勢工から
洪水吐はクレスト・オリフィスともに自由調節のゲートレス
融雪期ということでオリフィスから越流しています。

 
右手は放流設備
左手に監査廊入り口があり、堤体に直接触れることができます。
ダム下公園から右岸ダムサイトまで遊歩道が続いており今回は歩いて天端へ向かいました。


右岸ダムサイトから


ダムの説明板


天端は車両通行可能。


上流面
建屋は選択取水設備機械室。


右岸の舟鼻湖の石碑。


その舟鼻湖は総貯水容量52万3000立米
奥に貯砂ダムがあり、その先を国道400号線が跨ぎます。


貯砂ダムをズームアップ
湖岸には桜が植えられており、花の季節はもっと艶やかな眺めになるんでしょう。


天端から減勢工を見下ろします。
オリフィスの放流とは別に放流設備から河川維持放流が行われています。


生活貯水池ダムではおなじみ、ダムのすぐ下流に田島浄水場があります。
日量1500立米を浄水します。


左岸から上流面
建屋はエンジの早稲田カラーで統一
対岸は管理事務所ですが、職員は巡回のみで平時は常駐はありません。


上流の国道400号浅市大橋から遠望

(追記)
田島ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

3008 田島ダム(0407)
福島県南会津郡南会津町高野
阿賀野川水系高野川
FNW
36メートル
200メートル
523千㎥/451千㎥
福島県土木部
1998年
◎治水協定が締結されたダム

広田堰

2024-05-03 08:00:00 | 千葉県
2017年1月28日 広田堰
2024年3月31日
 
広田堰は千葉県南房総市海老敷の平久里川水系海老敷川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
房総半島南端の館山市や南房総市周辺では大正期より灌漑設備の整備や新田開発に合わせて溜池築造機運が高まります。
広田堰もそうした溜池群の一つで、ダム便覧には1928年(昭和3年)に三芳村国府第一土地改良区の事業により竣工と記されており、県の補助を受けた耕地整理組合の事業で建設されたと思われます。
現在は耕地整理組合を引き継いだ南房総市国府土地改良区が管理し、約120ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。

ダム便覧では広田堰は立坑と隧道を組み合わせた珍しい『垂直落下式余水吐隧道』を備えていると記されていますが、天端や余水吐のある右岸側は立入禁止のためその全容は明らかではありません。
広田堰には2017年(平成29年)1月に訪問しましたが、その際も左岸からの見学にとどまりました。
2024年(令和6年)の再訪時は安房中央ダム見学の際に知己を得た安房中央土地改良区の事務局長さまに取次していただき、国府土地改良区の幹部一同の同行での見学が叶いました。
掲載写真はすべて再訪時のものとなります。
 
南房総市海老敷から海老敷川沿いの隘路を約2キロ北上すると広田堰に到着します。
この道はダートの悪路で四輪駆動や軽トラ以外での進入は困難です。
左岸から
池への悪路とは裏腹に、堤体はきれいに刈りこまれいまだ重要な水源であることが伺えます。

 
天端は中ほどから立入禁止
注目の余水吐は対岸にあるため、通常は目にすることはできません。
 
堤体を下りてみます。
堤高は便覧が16.7メートル、ため池DBは20.8メートル。
左岸側(向かって右手)は林道工事の際の残土をが盛り立てられています。
 
右岸池下の底樋樋門
取水設備及び垂直落下式立坑型余水吐からの水がここから放流されます。
このまま海老敷川となり灌漑用水は下流の取水堰から取り入れられます。
 
総貯水容量は30万4000立米
房総らしく濁水です。
 
天端貯水池側には転落防止用のフェンスが設けられ、上流面はコンクリートで護岸されています。

 
右岸沿いを10メートルほど進むと注目の余水吐です。
手前に階段式の斜樋、その奥の金属ネットで覆われているのが立坑式余水吐
それに続く隧道も余水吐隧道となります。
 
余水吐をズームアップ
図面や工事史などがないため詳細は不明ですが、当初は立坑式余水吐のみだったのが塵芥の落下や放流量増大のためにのちに余水吐隧道が追加されたと思われます。
 
 
取水設備も当初は木栓を差し込むタイプだったものが、改修で階段式斜樋になりました。

余水吐側から
立坑には安全に配慮し転落防止の金属ネットが設けられています。
併せて余水吐に至る手前にもゲートが設けられ関係者以外立入り禁止としてなっています。

 
さらに奥から
隧道入り口部分は断面保護のため金属製の覆工が設けらています。
 
隧道下流側
上記のように余水吐隧道は後付けと思われます。
周辺は掘削が容易な泥岩で余水吐隧道は素掘りで掘り込まれています。
 
感度を上げたためノイズの多い写真になっています。
隧道の全長は30メートルほど、
流下した水は4枚目写真の底樋樋門の上段に流下します。

ダム便覧の記事から興味深い物件でありながら、立入り禁止のためにその全容がわからなかった余水吐ですが、管理する土地改良区のご配慮で間近に目にすることができました。
管理する南房総市国府土地改良区の皆様、および取次していただいた安房中央土地改良区の事務局長様には厚く御礼申し上げます。
 
0648 広田堰(0816)
ため池コード 122340021
千葉県南房総市海老敷
平久里川水系海老敷川
16.7メートル(ため池データベース20.8メートル)
57メートル
304千㎥/304千㎥
南房総市国府土地改良区
1928年

山田溜池

2024-05-01 08:00:00 | 千葉県
2017年1月28日 山田溜池
2024年3月31日
 
山田溜池は千葉県南房総市和田町中三原の温石川水系温石川左支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
房総半島の南端の館山市や南房総市周辺は地味豊富ながら大河がないなど水利に乏しく長く零細な農業経営を余儀なくされていました。
大正期に入り南房総一帯では新田開発や耕地整理に合わせた溜池築造機運が高まります。
山田溜池もそんな溜池の一つで、千葉県の補助を受けた当時の南北三原耕地整理組合の事業で1922年(大正11年)に建設されました
その後沼松田耕地整理組合との溜池統合決議を受け溜池のかさ上げが実施され1932年(昭和7年)にかさ上げ改修が竣工し今の山田溜池の規模となりました。
現在は耕地整理組合を引き継いだ南房総市南三原土地改良区が管理を行い、南房総市和田町中三原から南三原に至る約110ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
なおダム便覧では堤高17メートルとなっていますが、ため池データベースでは同14.1メートルとなっておりこれを採れば河川法のダムの要件を満たしていません。

山田溜池は池の入口に厳重なゲートが設置され関係者以外の立入りを禁じており、2017年(平成29年)1月初訪時は堤体を下流から見るのみでした。
2024年(令和6年)3月の再訪時は安房中央ダム見学の際に知己を得た安房中央土地改良区の事務局長様に取次していただき、南三原土地改良区の理事長さま同行での見学が叶いました。
掲載写真のうち最初の3枚が初訪時、撮影日時のないものはすべて再訪時のものとなります。
 
県道296号の寺谷トンネル西側に山田溜池へ通じる道路が分岐しています。
農耕車以外進入禁止になっており、初回訪問時はここに車をデポし徒歩で溜池へ向かいました。
(2017年1月28日)


県道から約600メートル、歩くこと10分ほどで溜池に到着。
便覧では堤高17メートル、ため池DBでは14.1メートル。
見た目には17メートルあるかな?といった感じ。
(2017年1月28日)


堤頂まで九十九折れの道が続きますが、入口に厳重な門扉が設置され関係者以外の立入りを禁じています。
また天端には転落防止用と思われる牧柵のような木の柵が並びます。
初訪時はここで引き返しました。
(2017年1月28日)


ここからは再訪時の写真となります。
警告看板は減りましたが依然として関係者以外の立入りを禁じています。

 
右岸池下の底樋管。
訪問時は非灌漑期のため放流はありません。

 
門扉そばの警告板。


堤体右岸中段に建つ竣工記念碑
溜池築造およびかさ上げに至る経緯が詳しく刻されています。

 
初訪時、木の柵が並んでいた天端にはフェンスが設置されています。

 
総貯水容量は17万5000立米。
房総らしくかなりの濁水。
今年の房総は少雨に悩まされ、灌漑期間近ですがまだ満水には至りません。

 
上流面。
法面上部の線が入っているところが満水位。
水位で2メートル弱下回っています。

 
右岸湖畔を上流へと向かいます。
今は使われない巡視艇。


フローティング式の取水塔。

 
湖岸にあるかつての斜樋の遺構。

 
斜樋の遺構のさらに上流に洪水吐があります。

 
アングルを変えて
開水路流入型で導流部は隧道になっています。
南房総一帯は掘削が容易な砂岩や泥岩で形成され、多くの溜池で隧道式の洪水吐が採用されています。

 
池の入口で立入りが制限され、全容がわからなかった山田溜池。
今回管理する土地改良区の許可を得て構内を見学することができました。
管理する南房総市南三原土地改良区および取次していただいた安房中央土地改良区には厚く御礼申し上げます。
 
0646 山田溜池(0820)
ため池コード 122340114
千葉県南房総市和田町中三原
温石川水系温石川左支流(河川名不明)
16メートル(ため池データベース14.1メートル
60メートル
175千㎥/175千㎥
南房総市南三原土地改良区
1922年

一庫ダム 内部見学

2024-04-28 08:00:00 | ダム見学会
2024年3月19日 一庫ダム 内部見学
 
3月中旬より奈良の実家に帰省することになり、その機を利用して一般の立入りが制限されている西宮市上下水道局が管理する丸山ダム見学許可を頂きました。
一方、丸山ダムが給水する西宮市北部の水道水の大半は兵庫県営水道からの受水となっており、その水源となっている水資源機構の一庫ダムも併せて訪問することにしました。
その際、一庫ダムのHPを見てみると、事前予約で職員ガイドによる内部見学ができることを知りました。
結果的に3月19日午前に丸山ダム及び浄水場、午後に一庫ダムをそれぞれ職員様同行で見学するという贅沢な一日となりました。

ここでは一庫ダム内部見学の詳細についてご紹介してゆきたいと思います。
一庫ダムの概要については『一庫ダム』の項を、丸山ダム・丸山浄水場に見学につていは『丸山ダム・丸山浄水場見学』の項をご覧ください。

内部見学前日に時間の余裕があったので、あらかじめ一庫ダムを見て回りました。
右岸ダム下から
洪水吐としてクレストラジアルゲート2門とコンジット高圧ラジアルゲート2門を装備
コンジットのゲートハウスは昭和50年代のダムらしく前面に張り出しています。


右岸上流から
右岸ダムサイトに管理事務所があります。


ゲートをズームアップ
左から選択取水設備
クレストゲートを挟んでコンジットの予備ゲートが並びます。

 
艇庫とインクライン
艇庫屋上は展望台になっています。


アングルを変えて
右岸からの上流面。


ダム湖上流から。
秋以降の少雨で今期の一庫ダムは記録的な渇水となっており、やや回復したとはいえいまだ貯水率40%前後。


管理事務所の駐車場に車を止めます。


約束の午後2時から見学がスタート。
管理事務所裏手から。




管理事務所わきから監査廊に入ります。


完成当時の航空写真
ダム建設とは別に周辺では大規模な宅地開発が進められ、ダムの建設残土は宅地造成に利用されました。
つまり盛土ってこと?


288段の監査廊階段が現れます。
てっきりここを下りるのかと身構えたら、エレベータで降りるとのこと。
ほっとしつつも残念な気も。


エレベーターで下に下ります。


上層から中層の監査廊へ。


監査廊内には電気や通信ケーブルが並びます。


地震計。
震度ではなくガルを計測します。


コンジットゲートハウスから洪水吐に架かる管理橋へ。
もとはグレーだったそうですが、赤く塗り替えられ通称『赤橋』。
一庫ダムの名物の一つです。


赤橋からラジアルゲートを見上げます。


こちらは減勢工と副ダム。


ゲートハウスに入ります。
意外と広々
右手は高圧ラジアルゲートの油圧シリンダー。
左手斜めに横たわるのは主にフラッシュ放流を行う利水補助バルブ。
一庫ダム名物のクロス放流はこれを使います。


ゲートは鮮やかなグリーン。
2002年(平成14年)の塗装の際に、当時の担当者が独断でこの色に塗り替え上司に大目玉を食らったとか?


ゲート操作は管理棟で行いますが、万一に備えゲートハウスにも操作機器が置かれています。


正面の主管ゲートから放流中。 


赤橋の下の穴が利水補助バルブで主としてフラッシュ放流の際に利用します。
左右同時に放流するのが一庫名物クロス放流です。


放流管とコンジットゲートのプレート
ともに今はなき田原製作所製。


常用洪水吐の説明版。


階段を下りゲートを間近で見学。
こちらも鮮やかなグリーン。




壁には吊り金具(吊りピース)
ゲートを分解整備(修理)する際に、分解した重量物の部品等をこれを起点に吊り建物内を移動させるために使用します。
これは過去の整備で設置した吊り金具で今後の整備作業等でも使用する可能性があるので残されています。


塗装記録
グリーン犬られたのは2002年(平成14年)
この時の担当者が独断でこの色にしたんですね。


エレベーターで最下層の監査廊に向かいます。


288段の階段を下から見上げます。
階段途中に転落防止用の黄色い柵が何か所も設置されています。


漏水計
上層や中層に比べるとコンクリートもさすがに湿った感じ。


排水ピット
一定以上の漏水が溜まるとここから排出されます。


監査廊ではおなじみ、プラムライン。



 
こちらは主管の予備ゲート。


放流管。


放流管据え付け工事の写真。


分岐管バルブ。


主管・分岐管はすべて酒井鉄工所製。


穴の向こうで主管から放流中。
水量が多いときは主管、少ないときは分岐管を使います。


ドアを開けると左岸ダム下に飛び出しました。
ここは立入禁止エリア、内部見学ならではの眺め。


さらに引いて。


副ダムには2基のゲートがついています。
副ダム堤頂には空気管が設けられています。
減勢池内の水位が増した際に水中でのゲートの開閉をスムーズにするための空気管です。


副ダムゲートの操作機器。


これにて約1時間半の見学は終了。
貸し切り状態で中身の濃い内部見学を堪能しました。
水資源機構一庫ダム管理所および丁寧に案内していただいた若い職員さんには厚く御礼申し上げます。
なお、一庫ダムでは事前予約により個人一人からの内部見学が可能です。
詳細は管理所ホームページをご覧ください。