ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

南椎尾調整池

2024-05-31 08:00:00 | 茨城県
2015年12月04日 南椎尾調整池
2024年 4月22日
 
南椎尾調整池は茨城県桜川市真壁町椎尾にある水資源機構が管理する灌漑目的のロックフィルダムです。
少雨に加え台地上に耕作地が続く茨城県南西部では古くから用水確保は困難を極め慢性的な水不足に悩まされてきました。
一方首都圏のベッドタウンとして人口が急増、さらに交通網の整備などを受け工場の進出が相次ぎなど都市用水の需要も高まり、新規の水源確保が喫緊の課題となっていました。
しかし、当地を貫流する鬼怒川・小貝川・桜川には新規水利権を配分する余裕はない中、霞ヶ浦開発事業によってダム化され、利水容量に余裕のあった霞ケ浦が着目されます。
そして霞ヶ浦から筑波山を貫通して茨城県南西部に導水する『霞ケ浦用水事業』が水資源開発公団(現水資源機構)によって着手されました。
同事業には農林水産省、茨城県農林水産部、茨城県企業局が事業参加し2004年(平成16年)に竣工、霞ヶ浦から茨城県南西部15市2町に灌漑・上水道・工業各用水を導水する壮大な用水事業が完成しました。
このうち農林水産省による『国営霞ヶ浦用水農業水利事業』の灌漑用調整池として水資源開発公団と農林水産省の共同事業で1991年(平成2年)に建設されたのが南椎尾調整池です。
南椎尾調整池はつくば市の桜川左岸地帯に灌漑用水を供給する神郡幹線を通じてつくば市の桜川左岸地帯への灌漑用水の供給および基幹線水路のタイムラグ調整を目的としています。

霞ヶ浦用水事業の詳細については下記リンクをご覧ください。

霞ヶ浦用水イラストマップ
(出典 水資源機構霞ヶ浦用水 パンフレット)

 
南椎尾調整池には2015年(平成27年)10月に初訪、霞ヶ浦用水管理所見学に併せて2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。
また見学会については

下流から遠望 
水資源機構管理のダムらしく堤体には『つくし湖』と書かれています。

 
右岸駐車場わきには筑波トンネル掘削の際に使用されたベルトコンベアが展示されています。 


天端は2車線幅で舗装されていますが、車両は進入禁止で徒歩のみ開放。

 
天端からの眺め
奥の山並みに至るまで、眼前に広がる農地はすべて霞ヶ浦用水の受益地です。

 
貯水池のつくし湖は総貯水容量56万立米
左奥に筑波山が聳えます。

 
見た目はアースフィルのようですが、ダム便覧の型式はロックフィル。
堤高27.4メートル、堤頂長400メートル。

 
正式名称である南椎尾調整池よりも貯水池名である『つくし湖』の方が一般にはよく知られています。
さらに国土地理院地形図では『つくし湖調整池』と表記されており、左岸の石碑にもつくし湖調整池と刻されています。
ややこしい。


隣には霞ヶ浦用水の事業説明およびつくし湖(南椎尾調整池)の諸元表・断面図
ここには傾斜コア方式のフィルダムと表記。

 
洪水吐導流部。

 
横越流式洪水吐
洪水吐内では木が茂っています。

 
つくし湖右岸にある南椎尾調整池分水工を遠望
霞ヶ浦用水筑波トンネルの出口で、ここで基幹線水路と南椎尾調整池に貯留する水を分水します。
向かって左にゲート、右手には水位計。

 
その南椎尾調整池分水工を間近で。
手前には『霞ヶ浦用水 筑波トンネル』の石碑。

 
霞ヶ浦用水断面図
管理所に隣接した霞ヶ浦揚水機場から約56メートル揚水したのち、自然流下で導水します。
(出典 水資源機構霞ヶ浦用水パンフレット)

 
基幹線水路は貯水池湖底を潜りサイフォンで導水されます。
一方、有効貯水容量52万8000立米のうち神郡幹線向け容量が44万立米、基幹線水路のタイムラグ調整容量として8万2000立米が配分されています。
ということで調整池の主目的はつくば市桜川左岸地帯への灌漑用水の供給となります。

 
筑波トンネル吐口
ネットはゴミ防止かと思いきや、釣り対策用
道路からフライフィッシングで釣りをするバカがいたようです。

 
貯水池側から見た分水工。
向かって左が神郡幹線向けゲート、右が放水ゲート。


ゲートをズームアップ
神郡幹線向けゲートにはフラップがついています。

 
分水工の対岸(左岸)には取水工
つくし湖に8万2000立米配分されたタイムラグ調整容量の取水工となります。

 
神郡幹線の取水用斜樋。

 
以上が南椎尾調整池についての記載です。
ここからは霞ヶ浦用水の基幹施設を紹介します。
こちらは茨城県かすみがうら市の霞ヶ浦西岸にある霞ヶ浦揚水機場。
左手が手が霞ケ浦になります。

 
揚水機場の内部
揚水用ポンプが8台並び奥5台が農水用、手前3台が都市用水用となります。
ポンプ8台の総出力は約2万5000キロワットで最大毎秒10.3立米の水を103メートル揚水する能力を持ち、完成当初は東洋一の規模を誇る揚水機場でした。

 
こちらは小貝川を基幹線水路が跨ぐ小貝川水路橋
農水と土地用水用の水管が2本並び、サイフォンで小貝川を跨ぎます。

 
今回は霞ヶ浦用水管理所にお邪魔し事業のレクチャーを受けたのち職員様帯同で南椎尾調整池を見学しました。
南椎尾調整池の場合、池だけを見てもその機能や役割についてはほとんどわからず、霞ヶ浦用水事業全体を見て初めてその存在意義が理解できます。
やはり、ダムは点ではなく水の流れに沿って線や面で見ないといけないことを再確認する好機となりました。

2999 南椎尾調整池 (0078)
茨城県桜川市真壁町椎尾 
利根川水系霞ヶ浦
27.4メートル
400メートル
560千㎥/522千㎥
水資源機構
1991年

霞ヶ浦用水 ダム研見学会 後編

2024-05-26 08:00:00 | ダム見学会
2024年4月22日 霞ヶ浦用水『ダム研見学会』後編

霞ヶ浦用水管理所から約36キロ、車で50分ほどで南椎尾調整池に到着。


南椎尾調整池よりも貯水池名である『つくし湖』の名が通っています。
堤体には水資源機構の管理施設らしく『つくし湖』と書かれています。


右岸にトイレのある駐車スペースがあり、ここに車を止めます。
駐車場わきの『国営霞ヶ浦用水農業水利事業』の説明板。


こちらには霞ヶ浦用水事業化に至る経緯が説明されています。
もともとは農業用水の導水が当事業の発端でした。


駐車場わきには筑波トンネル掘削の際に使用されたベルトコンベアが展示されています。


まずは調整池を歩いて一周します。
右岸から
見た目はアースフィルのようですが、ダム便覧ではロックフィル。
堤高27.4メートル、堤頂長は400メートル。


天端は2車線幅で舗装されていますが、車両は進入禁止で徒歩のみ開放。


上流面は花崗岩で護岸。
筑波トンネル掘削の際に掘り出した花崗岩を使っています。


天端からの眺め
奥の山並みに至るまで、眼前に広がる農地はすべて霞ヶ浦用水の受益地です。
ちなみに奥の山は観音で有名な富谷山で山の向こう側は焼き物で知られた益子になります。


貯水池のつくし湖は総貯水容量56万立米
ため池でいえば中の上クラス
左奥に筑波山が聳えます。

 
左岸の横越流式洪水吐
灌漑期を控えてほぼ満水。


左岸から下流面。


左岸の石碑には『つくし湖調整池』
正式名称と貯水池名がごちゃ混ぜになってると思いきや、国土地理院地形図では『つくし湖調整池』の表記。ややこしい。


隣には霞ヶ浦用水の事業説明およびつくし湖(南椎尾調整池)の諸元表・断面図
これによると南椎尾調整池は傾斜コアですが、型式はアースフィルっぽい。


洪水吐導流部。


上流からみた横越流式洪水吐。


上流面
草は生えていますが、白い花崗岩の石積みが美しい。


左岸湖岸にある建屋は神郡幹線向けの取水設備。
南椎尾調整池の南方、つくば市の桜川左岸地帯に灌漑用水を供給します。


つくし湖右岸にある南椎尾調整池分水工を遠望
霞ヶ浦用水筑波トンネルの出口で、ここで基幹線水路と南椎尾調整池に貯留する水を分水します。
向かって左にゲート、右手には水位計。


分水工の対岸、左岸にあるよく似た施設は『南椎尾調整池取水工』
基幹線水路は調整池湖底をバイパスしています。
これはつくし湖から基幹線水路への取水設備。


湖岸にある歌碑
『紫の 山を薬師の 影うつす 水辺に映えよ 若き桜木』
湖岸には桜が植えられ春は花で染まりますが、残念ながら訪問時は花は散った後。
薬師とはつくし湖東側高台にある薬王院のこと。


上流から堤体を遠望
ここからでもロック材の花崗岩の白さが際立ちます。


右岸の分水工にやってきました。


一般には立入り禁止ですが、今回は職員様同行で中を見学。


南椎尾調整池分水工のプレート。


つくし湖側から


南椎尾調整池の断面図と容量配分図。
基幹線水路は貯水池湖底を潜りサイフォンで導水されます。
有効貯水容量52万2000立米中、神郡幹線向け容量が44万立米、基幹線のタイムラグ調整容量が8万2000立米となります。


前方が貯水池になります。
右手が神郡幹線用ゲート、左は調整池への放水ゲート。


筑波トンネル吐口
ネットはゴミ防止かと思いきや、釣り対策用
分水工には大量のナマズが生息しており、道路からフライフィッシングで釣りをするバカがいたようです。


神郡ゲートはフラップ付きローラーゲート。


導流壁を挟み右手が調整池への流入口
左手は湖底を潜る基幹線水路。


アングルを変え貯水池側から見た分水工。


左がフラップのついた神郡幹線向けゲート、右が放水ゲート。


水位計。


分水工からみた取水工
つくし湖に8万2000立米配分された調整容量の取水工になります。


神郡幹線の取水用斜樋。


これにて霞ヶ浦用水の見学は終了
今回は3人だけでしたが充実した内容でした。


Iさんとお分けれして小貝川の水管橋へ
サイフォンで小貝川を越えます。


農水用と都市用水用の水管が2本並びます。


今回は多忙な中、丁寧な対応をしていただいた水資源機構霞ヶ浦用水管理所および職員様には厚く御礼申し上げます。
霞ヶ浦では水資源機構による霞ヶ浦開発事業、および霞ヶ浦用水事業がともに竣工しています。
このほか国土交通省によりより柔軟な水運用を可能にするため、霞ヶ浦と利根川および那珂川をそれぞれ導水路で結ぶ『霞ケ浦導水事業』が進捗中です。
こちらの方も見学対応していただけるようなので、機会があればいずれ見学会を実施したいと思います。

霞ヶ浦用水 ダム研見学会 前編

2024-05-24 18:00:00 | ダム見学会
2024年4月22日 霞ヶ浦用水『ダム研見学会』前編
 
昨年8月に日本ダム協会よりダムマイスターを拝命以降、フェイスブックの勉強会グループ『ダム研』メンバーを募って、月に1度のペースでダムや水関連施設の見学会を実施してきました。
4月の見学会の場として選んだのが水資源機構が管理する霞ヶ浦用水事業です。
霞ヶ浦は湖面積220平方キロと琵琶湖につく我が国二番目の湖としてよく知られた存在です。
実はただの湖ではなく、1968年(昭和43年)~1996年(平成8年)に実施された霞ヶ浦開発事業によってダム化され、ダム便覧にも洪水調節・灌漑用水・上水道用水・工業用水を目的とする多目的ダムの『霞ケ浦開発』として掲載されています。
一方、霞ヶ浦用水事業は霞ヶ浦から水利に乏しい茨城県南西部15市2町に灌漑・上水道・工業各用水を導水する事業で1980年(昭和55年)に当時の水資源開発公団(現水資源機構)により着工され、2004年(平成16年)に竣工しました。
当事業には農林水産省、茨城県農林水産部、茨城県企業局が事業参加しこれらを総称して『霞ヶ浦用水事業』としています。
今回の見学会は茨城県かすみがうら市にある水資源機構霞ヶ浦用水管理所にお邪魔し事業のレクチャーを受けた後、管理所に隣接する揚水機場及び管理所から約35キロ離れた南椎尾調整池(つくし湖)を職員様同行で案内していただくという内容です。
参加者は我が家夫婦とメンバーのIさんの3人です。
 
2024年(令和6年)4月22日、約束の10時に対し9時45分ごろに管理所に到着しました。
向かって左手が管理所、右手が揚水機場になります。


敷地内には事業にかかわる様々な展示品や説明板があります。
こちらは玄関先にある霞ヶ浦用水の記念碑。


工事で使われたシールドマシンのカッター
一般的に管水路は開削して行われますが、高速道路や幹線道路、国道などと交差する場合推進工法で施工されます。
これはその際に使用されたもの。


カッターの説明板。


揚水機場で使用されるポンプの模型。


霞ヶ浦用水事業全体の水路が記載された概要図。


揚水機場の施設案内図。


基幹線水路は霞ヶ浦から筑波山をトンネルで貫通し受益地に導水します。
これは筑波山トンネルの地質縦断図
実際の岩石も展示され地質マニアには垂涎の模型。


入館する前からあれこれ見て回り、早くもテンション上がりまくり。
さて、午前10時から職員さんに約30分ほど事業のレクチャーをしていただきます。
実際にはビデオとパワーポイントを使った説明がありましたが、ここでは水資源機構の霞ヶ浦用水事業パンフレットを引用します。
霞ヶ浦用水の受益地は茨城県南西部15市2町ですが、このうち農業用水受益地は13市町の1万9300ヘクタール(水田1万900ヘクタール、畑地8400ヘクタール)となります。
農林水産省による『国営霞ヶ浦用水農業水利事業』に加え県営5事業、団体営3事業によりかんがい排水施設が整備されました。
これらの施設は運用開始後は霞ヶ浦用水土地改良区が管理を受託しています。
実は茨城県の農業産出額4263億円(令和2年度)は北海道、鹿児島県に次ぐ全国第3位となっており、霞ヶ浦用水は茨城の農業に大きく貢献しています。


上水道用水は県企業局『県南西広域水道供給事業』を通じ8市1町に供給しています。


工業用水は県企業局『県南西広域工業用水道事業』を通じ13市1町に供給しています。
そのうちビール製成量はシェ13%と全国1位を誇っています。


基幹線水路60キロのうち、水資源機構が管理するのは霞ヶ浦から鬼怒川までの53キロ部分です。
この間筑波山をトンネルで抜けるため、管理事務所に隣接する霞ヶ浦揚水機場から標高差56メートルをポンプアップしたのち、自然流下で基幹幹線終点の東山田揚水機場まで導水されます。


管理所玄関先にも掲載されていた事業概要図。
各水路のうち青い部分が水資源機構管理区間となります。


霞ヶ浦用水取水施設概要図
これを踏まえたうえで。


管理事務所屋上へ移動
左手が霞ケ浦、正面が吸水層で右手が揚水機場。


揚水機場
8か所の取水口が並びそれぞれ2重のスクリーンが設置されています。


吸水槽左岸側にあるのは霞ヶ浦土地改良区の出島揚水機場。
霞ヶ浦用水事業に合わせて、もともと霞ケ浦を水源としていた霞ケ浦西岸の既得灌漑用水が合口されたものです。
ちなみにこちらは『霞ヶ浦土地改良区』
一方県南西部の用水受益地は『霞ヶ浦用水土地改良区』とけっこうややこしい。


いよいよ揚水機場の見学です。
揚水用ポンプが8台並び奥5台が農水用、手前3台が都市用水用となります。
ポンプ8台の総出力は約2万5000キロワットで最大毎秒10.3立米の水を103メートル揚水する能力を持ち、完成当初は東洋一の規模を誇る揚水機場でした。


揚水機場の説明板。


渦巻型ポンプは一見発電機に似ていますが、発電機が水力で水車を回して発電するのに対し、揚水ポンプは電気の力で羽根を回し揚水します。
天井には巨大なクレーン。


ポンプはすべて日立製
奥の四角い箱が電動機で、横軸で手前の渦巻きポンプの羽根車を回します。

クレーンも日立製
最大荷重は50トン。


電動機の日立のプレート。


これにて午前の部は終了、
なんだかんだで1時間を超える見学となりました。
昼休みを挟んで午後は茨城県桜川市の筑波山西側山麓にある南椎尾調整池を見学します。
最後に管理所すぐ北側の高台にあるサージタンクへ。
点検や改修で揚水を止める際に、水の逆流により水路管が真空状態になり破損するのを防ぐ施設です。

後編に続く。

千五沢ダム(再)

2024-05-23 08:00:00 | 福島県
2015年12月18日 千五沢ダム(元)
2023年12月31日 千五沢ダム(再)
2024年 1月 1日
      4月15日
 
千五沢ダム(再)は福島県石川郡石川町母畑の一級河川阿武隈川水系社川左支流北須川にある福島県土木部が管理する多目的のアースフィルダムです。
農林省(現農水省)による国営母畑開拓建設事業の灌漑用水源として1975年(昭和50年)に千五沢ダム(元)が竣工、管理は石川町が受託し3市1町2村への灌漑用水の供給が開始されました。
しかし当初計画4000ヘクタールの受益農地は事業竣工時には約半分の2000ヘクタールに減少しダムに540万立米もの空き容量が生じたことで、1995年(平成7年)より洪水期に限り農地防災容量が配分されました。
一方、北須川左支流今出川で計画されていた多目的ダム建設事業が利水需要の減少等で頓挫したことで、2009年(平成21年)に千五沢ダムの多目的ダム化を軸とした『千五沢ダム再開発事業』が採択され、国土交通省の補助を受けた福島県土木部による再開発事業が着手されました。

具体的には、従来のラジアルゲートを放流量の大きなラビリンス洪水吐に置換することで、最大90立米/秒のカット量を同130立米/秒に増大させ、下流の基準点で最大140立米/秒の洪水調節を図ります。
また従来の水位低下放流設備に加え新たにジェットフローゲート1条が増設されます。
再開発事業は2023年(令和5年)に完了し同年12月31日に試験湛水がサーチャージに到達しました。
2024年(令和6年)よりダムの管理は正式に福島県土木部に移管され、従来農水省所管だった農業ダムが県土木部所管の補助多目的ダムに生まれ変わるという非常に珍しい再開発となりました。
試験湛水の詳細については千五沢ダム(再)試験湛水の項をご覧ください。

千五沢ダムには再開発事業着手翌年の2015年(平成27年)12月、試験湛水実施中の2023年(令和5年)12月14日、サーチャージ到達直後の同年12月31日から2024年(令和6年)1月1日にかけて、さらに天端やダム下が開放されたたのを受け同年4月の4度訪問しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
下流から
アースフィルダムとラジアルゲートという珍しい組み合わせ
初訪時は再開発事業着工からわずか1年ということで下流からの眺めに大きな変化は見られません。
(2015年12月18日)

 
ラジアルゲートをズームアップ
中央ゲートにはフラッシュボードがあります。
(2015年12月18日)

 
こちらは試験湛水終了直後の写真
ラジアルゲートは撤去され自由越流式のラビリンス洪水吐に置換。
さらに放流設備としてジェットフローゲートが新設されました。
試験湛水が完了し、水位を落とすためジェットフローゲートからの放流が始まっています。
(2024年1月1日)

 
4月の訪問時はちょうど桜が満開
やはりジェットフローゲートからの放流が行われ、導流部には転波列が見られます。
(2024年4月15日)


ズームアップ。
(2024年4月15日)


新たに開放されたダム下へ。
フィル部分は既設のままで、基部は石積みの擁壁。
(2024年4月15日)


真っ白いコンクリートが青空に映えます。
減勢工右岸側(向かって左側)の穴は仮排水路吐口で、再開発以前は不特定利水向け放流はここから行われていました。
(2024年4月15日)


今回も美しい転波列が見られます。
(2024年4月15日)


初訪時
右岸展望所から。
(2015年12月18日)

 
同じく初訪時
ゲート右岸が掘削中。
今となっては貴重な写真です。
(2015年12月18日)

 
サーチャージ到達時。
掘削箇所には新たに水位低下放流設備が新設されました。
(2023年12月31日)

 
ラビリンス洪水吐は4門
手前3門には常用洪水吐となる自然調節式オリフィスがあります。
訪問時は試験湛水のためこのオリフィスにゲートが嵌め込まれています。
一方一番右手のラビリンスのみオリフィスはダミー。
当面は暫定計画として治水安全度1/20年で運用されますが、将来的計画として下流の河川改修などにより治水安全度1/70年が実現できた暁にはこのゲートも開放される予定。
(2023年12月31日)

 
ズームアップ
写真ではわかりづらいですが薄く越流しています。
穏やかな水面とラビリンス洪水吐との断絶感が何とも言えません。
(2023年12月31日)

 
こちらは灌漑用取水塔
初訪時は水位が低く、ほぼ全容が望めます。
(2015年12月18日)


国営母畑開拓建設事業の説明版。
(2023年12月31日)

 
千五沢ダム(元)の竣工記念碑。
(2023年12月31日)

桜とともに。
(2024年4月15日)


水利使用標識
灌漑用水のほか、石川町向け上水道用水の水利権も設定されています。
ダムの目的に『上水道用水』はないので、既得水利権として不特定利水容量に含まれると思われます。
(2024年4月15日)


洪水吐を見下ろす
ジェットフローゲートからの放流がよく見えます。
(2024年4月15日)


4門並ぶラビリンス洪水吐
4月訪問時はオリフィスゲートから越流中
サーチャージの際にこのアングルで見たかったなあ!
(2024年4月15日)


ズームアップ
奥の穴がオリフィスゲート、つまり常用洪水吐となります。
(2024年4月15日)


きれいに整備されたダム下の公園。
(2024年4月15日)


天端
徒歩のみ開放。
(2024年4月15日)


上流面
こちらは再開発以前と変わらず、ロック材で護岸。
(2024年4月15日)


ラビリンス洪水吐をズームアップ。
このアングルから見ても独特の形状。
(2024年4月15日)


事業説明板
(2024年4月15日)

4月の訪問で初めてダム下や天端に足を踏み入れました。
ラビリンス洪水吐は見た目にも稀有な構造物ですし、ダム下の公園は美しく整備され、湖岸にも公園スペースが設けられました。
今後はダム愛好家のみならず、一般の観光客などにも認知度が広まることを期待します。
 
3284  千五沢ダム(再)(0119)
福島県石川郡石川町母畑
阿武隈水系北須川
FNA
43メートル
176.5メートル
13000㎥/10800㎥
福島県土木部
2023年
---------------
0515  千五沢ダム(元)(0119) 
福島県石川郡石川町母畑
阿武隈水系北須川
FA
43メートル
176.5メートル
13000㎥/11600㎥
石川町
1975年
◎治水協定が締結されたダム

こまちダム

2024-05-21 08:00:00 | 福島県
2015年12月19日 こまちダム
2024年 4月15日
 
こまちダムは福島県田村郡小野町菖蒲谷の二級河川夏井川水系黒森川にある福島県土木部が管理する重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の小規模ダム事業である生活貯水池事業の補助を受けた補助多目的ダムとして2006年(平成18年)に竣工しました。
洪水時最大40立米/秒の洪水をカットして黒森川下流基準地点で40立米/秒の洪水調節を行うほか、安定した河川流量の維持と流域農地への不特定灌漑用水(既得灌漑用水)の補給、小野町への上水道用水を目的としています。 
『こまち』というダム名は、小野町が小野小町の生誕地という伝承に由来しています。
こまちダムには2015年(平成27年)12月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。

小野町中心部から県道42号線を西進するとこまちダムに到着します。
越流高の異なる自由越流式洪水吐が3門並びます。
EL481の右岸(向かって左)2門が非常用洪水吐、EL479の左岸1門が常用洪水吐になります。


左岸ダムサイトが公園になっているほか、湖岸各所に公園が整備されています。
写真はダムサイトの公園。


左岸から
堤高37メートル、堤頂長150メートルの横長堤体で洪水吐は堤体右岸寄りにあります。

貯水池は『こまち湖』。


上流面


天端は徒歩のみ開放
堤体中央部上流側がバルコニーになっています。


左岸管理事務所
管理事務所部分は埋め立てられたようで、湖岸はロック材で護岸されています。


天端から減勢工を見下ろす
自由越流式洪水吐が横並びのため、減勢工は左右非対称
手前左手は放流設備、左奥は浄水場、左手最奥の円形施設は配水池。


放流設備をズームアップ
水位低下放流及び河川維持放流・不特定灌漑用水向け放流を行います。


手前が浄水場、奥が配水池
浄水場へは取水設備から直接送水されます。


貯水池の『こまち湖』は総貯水容量77万2000立米。
湖岸各所に公園が設けられています。


右岸から下流面。


右岸上流から
右から非常用洪水吐が2門、左に常用洪水吐1門、選択取水設備、水位計が並びます。


左岸湖岸にある巡視艇用の浮桟橋。


訪問時、福島周辺はどこも桜が満開でしたが、こまちダム湖岸公園はこぶしの花が満期。


(追記)  
こまちダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。 

3232 こまちダム(0124) 
福島県田村郡小野町菖蒲谷堂田
夏井川水系黒森川
FNW
37メートル
150メートル
772㎥/652㎥
福島県土木部
2006年
◎治水協定が締結されたダム 

山ノ入ダム

2024-05-18 08:00:00 | 福島県
2016年4月10日 山ノ入ダム
2024年4月15日
 
山ノ入ダムは福島県二本松市渋川の阿武隈川水系山の入川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
阿武隈川左岸の旧安達町一帯は地域内を流れる中小河川を灌漑用水源としていましたが、渇水が多くその都度激しい水争いが勃発し安定した水源確保は地域農民の悲願となっていました。
1984年(昭和59年)に県営かんがい排水事業安達地区の灌漑用水源として山ノ入ダムが着工され、2004年(平成16年)に竣工しました。
併せて灌漑施設等の整備が進められ役550ヘクタールの農地への安定した用水供給が可能となりました。
ダムの管理は当初は安達町が、その後の市町村合併により現在は二本松市が受託しています。

山ノ入ダムはゾーン型アースフィルの主堤と均一型アースフィルの副堤で構成されますが、副堤は堤高14メートルのためダム便覧への掲載はありません。
またダム便覧では山ノ入ダムの集水はすべて直接流域と記されていますがこれは誤りで、豊水期にもともと水利権を有していた油井川の水をダムに導水貯留し、灌漑期に左右2系統の幹線水路で灌漑用水を供給します。
さらにダム便覧では『山の入ダム』と記載されていますが、『山ノ入ダム』が正しく、当ブログでもこちらを採用します。

山ノ入ダムには2016年(平成28年)4月に初訪、2024年4月に再訪しました。掲載写真はすべて再訪時のものです。
あだち湖と命名されたダム湖は湖岸の遊歩道が整備されるとともに、ソメイヨシノが各所に植えられ周辺有数の桜の名所となっています。
再訪時はそんな桜の真っ盛りに訪問することができました。
 
ダム下から
左岸を総延長275.7メートルの長大な洪水吐が流下します。
ダム直下へ通じる管理道路は立入り禁止。

 
洪水吐中段の放流設備
灌漑用水の大半は専用幹線水路を通じて受益農地に供給され、ここでは河川維持放流や水位低下放流が行われます。

 
堤高29.5メートル、堤頂長196メートルの主堤体
市が管理を受託するだけあり、下流面のほか周辺各所もきれいに草が刈られています。

 
天端は舗装されていますが車両は進入禁止。
徒歩のみ開放。

 
洪水吐導流部
目の前に見えるのは洪水吐の一端で、全長275.7メートルに及び導流部は右奥の道路まで続きます。

 
左岸の横越流式洪水吐。

 
事業着手がバブル直前だったこともあり管理事務所はモダンなデザイン
ただし、職員の常駐はありません。
右手は竣工記念碑。

 
管理事務所周辺には各種案内板等が立ち並びます。
こちらはダムの概要版。

 
かんがい排水事業の説明板。
絵が分かりやすい。


水利使用標識。

 
右岸の副堤を遠望。


天端から
左手は放流設備
1枚目、2枚目写真は洪水吐の一番先端から撮りました。

 
あだち湖と命名された貯水池は総貯水容量126万6000立米
集水はすべて油井川からの導水に依り間接流域となります。
湖岸の桜は満開、さらにダム湖越しに安達太良連邦が一望できる大絶景。
訪問したのが平日ということもあり、こんな絶景をほぼ貸し切り状態で堪能できました。

 
右岸から下流面。

 
上流面はロック材で護岸。
対岸には洪水吐と管理事務所。

 
管理事務所をズームアップ
事務所わきには斜樋があり取水設備機械室も兼ねています。

 
こちらは副堤の下流面
堤高は14メートルですが、堤頂長は160メートルあります。

 
副堤上流面はコンクリートで護岸。


初回訪問時も桜は見ごろでしたがあいにくの曇天。
そこで2度目の訪問は満開の桜に視界良好な晴天を選びました。
しかし、現地で広がる眺めは予想以上の大絶景。
当初の計画では山ノ入ダムの見学は1時間半程度でしたが、結局3時間以上居座ってしまいました。
その後の予定が大きく狂ったのは言うまでもありません。

(追記)
山ノ入ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0538 山ノ入ダム(0310)
福島県二本松市渋川
阿武隈川水系山ノ入川
29.5メートル
196メートル
1266千㎥/1259千㎥
二本松市
2004年
◎治水協定が締結されたダム

本名ダム

2024-05-17 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 本名ダム
2017年6月25日
2024年4月14日
 
本名ダムは福島県大沼郡金山町本名の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の発電用重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正以降電源開発が本格化しますが、その多くは首都圏への送電を目的としていました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電が分割され新たに9電力会社が誕生しました。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川に4基のダム式発電所の建設を進め、上田ダムとともに1954年(昭和29年)に完成したのが本名ダムです。
ダムの完成により本名発電所で最大5万キロワット(のちに7万8000キロワットに増強)のダム式発電が開始されました。
阿賀野川および只見川は東北電力管内の包蔵水力の過半を占め、白洲の尽力がなければ戦後の東北の発展はなかったと言っても過言ではありません。

2023年(令和5年)に本名ダム・発電所を含めた東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され、『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
本名ダムには2016年(平成28年)5月、2017年(平成29年)6月、2024年(令和6年)4月と3度訪問しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

只見川流域では2011年(平成23年)7月の新潟・福島豪雨により甚大な被害が発生、本名ダム直下にあったJR只見線の第六只見川橋梁が落橋しました。
こちらは初訪時のダム下流からの写真
ダム直下では只見川の護岸かさ上げ工事が行われていました。
(2016年5月28日)

 
一年後の写真です。
護岸工事のクレーンが消えすっきりとダムが見えます。
この翌年から只見線の復旧工事が着手されたため、下流から障害物なく本名ダムを一望できる貴重な一枚となりました。
(2017年6月25日)
 
そして2022年(令和4年)に只見線が全線復旧
ダム下には新しい橋梁が架橋されました。
本名ダムは右岸に洪水吐ローラーゲート4門、左岸に本名発電所という配置。
ゲート数は異なりますが、トラス剥き出しのピアやグリーンのゲートなど同時に建設された上田ダムとうり二つの構造です。
(2024年4月14日)

 
洪水吐ゲートは上田ダムより1門少ない4門
また上田ダムのゲートが2段ゲートなのに対しこちらは1枚ゲート
一方、鉄骨トラス剥き出しのピアや被覆された管理橋は上田ダムと共通。
(2017年6月25日)
 
3度目の訪問時は融雪期ということもあり2番ゲートから放流中
只見線の車両と一緒に撮影したかったのですが、逆光に加え列車が来るまで1時間以上あったため断念。
(2024年4月14日)

 
左岸から
手前の建屋が本名発電所で当初は最大出力5万キロワット、のちに7万8000キロワットに増強されました。
(2024年4月14日)

 
洪水吐ゲート、発電用取水ゲートすべてのピアが鉄骨トラス。
ここまでトラスで統一されると壮観。
(2024年4月14日)

 
天端親柱には『本名𣘺』の銘板と『昭和廿九年六月竣工』のプレート。
(2024年4月14日)

天端は1963年(昭和38年)に国道252号線に指定され、以来会津若松と只見、さらには魚沼を結ぶ基幹道路となってきました。
しかし2022年(令和4年)に本名バイパスの完成により国道指定が取り消されました。
2023年4月訪問時は天端は工事のため立入り禁止。
(2016年5月28日)

 
ダムサイトの選奨土木遺産のプレート。
(2024年4月14日)

 
手前に発電用取水ゲート、奥が洪水吐ゲート
配置は上田ダムと酷似していますが、ゲート数が異なり取水ゲートのスクリーンの形状も異なります。
(2024年4月14日)


取水ゲートをズームアップ
ゲートは間隔をあけて3門、さらに各ゲートごとに六角形のスクリーンが設置されこれは本名ダム独特。
(2024年4月14日)

 
こちらは洪水吐ゲート
東北電力只見川4ダム共通の予備ゲート運搬用クレーンが設置。
(2024年4月14日)

対岸(右岸)にある予備ゲート
右岸のシェッドはもともと国道252号線が通っていましたが、バイパスの完成以降通行禁止。
(2024年4月14日)
浮桟橋に係留された作業船と巡視艇
作業船は東北電力只見川5ダムすべて同型。
(2024年4月14日)
 
そして左岸上流側湖岸にはおなじみ白洲の石碑。
碑文は
『  本名発電所の 竣功に際して
遠隔の地で幾多の 不便を忍び建設 運営に邁進しつつ
ある東北電力社員の 家族に対して心からの 感謝を捧げる
                       白洲次郎』
(2024年4月14日)
 

取水ゲートをズームアップ。
(2016年5月28日)


右岸から下流面。
(2016年5月28日)

 
(追記)
本名ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0488 本名ダム(0408)
福島県大沼郡金山町本名
阿賀野川水系只見川
51.5メートル
200メートル
25769千㎥/13472千㎥
東北電力(株)
1954年
◎治水協定が締結されたダム

上田ダム

2024-05-16 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 上田ダム
2024年4月14日
 
上田(うわだ)ダムは左岸が福島県大沼郡金山町中川、右岸が同町水沼の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正以降電源開発が本格化しますが、その多くは首都圏への送電を目的としていました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電が分割され新たに9電力会社が誕生しました。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川に4基のダム式発電所の建設を進め、本名ダムとともに1954年(昭和29年)に完成したのが上田ダムです。
ダムの完成により上田発電所で最大4万2600キロワット(のちに6万3900キロワットに増強)のダム式発電が開始されました。
阿賀野川および只見川は東北電力管内の包蔵水力の過半を占め、白洲の尽力がなければ戦後の東北の発展はなかったと言っても過言ではありません。

2023年(令和5年)に上田ダム・発電所を含めた東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され、『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
上田ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

上田ダムは国道252号線が走る右岸側からのアプローチとなり、天端は車両通行可能です。
まずは左岸に渡りダム下流から。
右岸側に洪水吐ローラーゲート5門、左岸側に上田発電所という配置。
(2016年5月28日)

 
先行して完成した片門ダム柳津ダムと異なりゲートピアは鉄骨トラス剥き出し。
ローラーゲートはいずれも2段ゲートになっています。
(2016年5月28日)

 
上田発電所
完成当初は出力4万2600キロワットでしたが、のちに6万3900キロワットに増強されました。
(2016年5月28日)

 
発電所の放流口。
(2024年4月14日)

 
左岸上流側にあるコンクリートの遺構
クレーンの台座?
奥にはグリーンの作業船。
(2024年4月14日)

 
左岸上流から上流面
手前に発電用取水ゲート6門、奥に洪水吐ゲート5門
本名ダムと同様ピアは鉄骨トラス剥き出し。
豪雪地帯ということで被覆されています。
(2024年4月14日)

 
取水ゲートとピア。
(2024年4月14日)

 
天端からの下流の眺め
2011年(平成23年)新潟・福島豪雨の際には右手の集落があわや流出という水量だったそうです。
(2024年4月14日)

 
取水ゲート上流側の除塵機
右奥は分割式予備ゲート。
(2016年5月28日)


右岸から下流面
ゲート数は異なりますが、左岸に洪水吐ゲート、右岸にダム式発電所という配置は同時に建設された本名ダムと瓜二つ。
減勢工には四角いバッフルブロックが並び、左岸側(向かって右手)の1番ゲートだけ導流壁で仕切られています。
(2016年5月28日)

 
天端は車両通行ができますが、道路は対岸で途切れます。
たぶん山への入会権への配慮から開放されていると思われます。
手前の青いトラスは分割式予備ゲート運搬用のクレーン。
(2024年4月14日)

 
右岸にはおなじみ白洲の石碑と上田発電所の説明板。
碑文は
『建設に盡力したみなさん これは諸君の熱と力の 永遠の記念碑だ
             上田発電所竣功に際して   白洲次郎』
(2024年4月14日)

 
上流面
手前から予備ゲート運搬用クレーン、洪水吐ゲート、発電用取水ゲートという並び。
(2024年4月14日)

 
発電用取水ゲート上流側の除塵機。
(2024年4月14日)

 
選奨土木遺産のプレート。
(2024年4月14日)

 
上流から遠望
(2024年4月14日)

 
(追記)
上田ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0487 上田ダム(0409)
左岸 福島県大沼郡金山町中川
右岸        同町水沼 
阿賀野川水系只見川
34メートル
283.7メートル
20500千㎥/4426千㎥
東北電力(株)
1954年
◎治水協定が締結されたダム

宮下ダム

2024-05-14 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 宮下ダム
2024年4月14日
 
宮下ダムは左岸が福島県大沼郡三島町名入、右岸が同町宮下の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正期に猪苗代湖から流下する日橋川で猪苗代水力(のちに東京電燈)が電源開発に着手、一方阿賀野川本流では昭和初期より東信電気による電源開発が開始されました。
一連の発電施設は配電統制令により日本発送電が接収しますが、同社も阿賀野川水系での電源開発の手を緩めることはなく、1941年(昭和16年)に支流の只見川で着工されたのが宮下ダムです。
宮下ダム及び発電所は終戦後の1946年(昭和21年)に完成し当初は3万2100キロワット(のちに9万4000キロワットに増強)のダム水路式発電が開始されました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電は分割され新たに9電力会社が誕生します。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川での新規電源開発に着手します。
宮下ダムにおいては新たに当ダムを下部調整池、自然湖である沼沢湖を上部調整池とする揚水式発電所である沼沢沼発電所(最大出力4万3700キロワット)が新設されました。
当発電所は日本最初の純揚水式発電所とされています。
さらに1982年(昭和57年)には沼沢沼発電所を再開発し、新たに第2沼沢発電所が建設され最大出力は10倍以上の47万キロワットに増強されました。

宮下ダム・発電所を含む東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され2023年(令和5年)に『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。

宮下ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。

宮下ダムは国道252号沿いにあり、下流の高清水橋から遠望できます。
右岸下流(向かって左手前)にあるのが宮下発電所です。


宮下発電所の脇から川沿いの山道を300メートルほど進むと至近からダムと正対できます。
東北電力只見川5ダムのうち宮下ダムは唯一日本発送電によって建設されたこともあり、その形状は他の4ダムとは大いに異なります。
まず発電方式は他の4発電所がダム式発電なのに対し、宮下ダムはダム水路式、さらに洪水吐ゲートも他の4ダムがローラーゲートなのに対し、宮下ダムはラジアルゲートとなっています。
ダムの全体的なデザインは鹿瀬ダムをプロトタイプとする東信電気の系譜です。


14門並ぶゲートのうち4番ゲート(向かって右から4番目)だけが他と異なりローラーゲートになっています。
実はダム建設期は只見線はダム直下の会津宮下までしか開通しておらず、只見川上流の木材運搬は舟運に依りました。
4号ゲートは舟筏路でこのゲートから木材を流下させるため減勢工も水叩きが切れ擂鉢状になっているのです。
しかし、ダム完成の翌年に只見線が全通し、この舟筏路が使われたのはわずか1年の間だけでした。


一方一番右岸側(向かって左)14番ゲートは塵芥ゲートになっており、かつては貯水池内のごみや流木をここから流下させました。
現在は河川法の改正でダムが捕捉したごみや流木の放流は禁止されています。


右岸から
被覆されたピアと扶壁前面に架かる歩廊の組み合わせも鹿瀬ダム以来の東信電気の特徴。


宮下ダム一番の特徴は減勢部。
先に建設された下流の山郷ダム新郷ダムでは減勢部にはコンクリートの叩きが設けられていますが、宮下では右岸側の叩きにはジャンプ台が設けられれいます。
さらに舟筏路のある左岸側には1940年ごろより普及し始めたすり鉢状の減勢工が採用されています。


右岸ダムサイトの選奨土木遺産のプレート。


水利使用標識
こちらは宮下発電所の水利使用標識。


上流面
一番右手の小さなゲートが14番の塵芥ゲート。


浮桟橋と作業船
先端にミニシャベルのついた作業船は他の4ダムと同型。


そばを走る只見線越しに宮下ダムへの二つの取水ゲートがあります。


今度は左岸の国道252号線へ移動
国道からの宮下発電所
当初は出力3万2100キロワットでしたが、のちに3倍近い9万4000キロワットに増強されました。
2011年(平成23年)の新潟・福島豪雨で甚大な被害を被りました。


国道252号線から俯瞰。


さらに上流から。


ここから見ると取水口のスクリーンや取水ゲートの配置がよくわかります。


湖岸には巡視艇が格納されていました。

(追記)
宮下ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たな洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0481 宮下ダム(0414)
左岸 福島県大沼郡三島町名入
右岸        同町宮下
阿賀野川水系只見川
53メートル
168.5メートル
20500千㎥/4056千㎥
東北電力(株)
1946年
◎治水協定が締結されたダム

柳津ダム

2024-05-13 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 柳津ダム
2024年4月14日
 
柳津ダムは左岸が福島県河沼郡柳津町飯谷、右岸が同町柳津の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正以降電源開発が本格化しますが、その多くは首都圏への送電を目的としていました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電が分割され新たに9電力会社が誕生しました。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川に4基のダム式発電所の建設を進め、片門ダムとともに1953年(昭和28年)に完成したのが柳津ダムです。
ダムの完成により柳津発電所で最大5万キロワット(のちに7万5000キロワットに増強)のダム式発電が開始されました。
阿賀野川および只見川は東北電力管内の包蔵水力の過半を占め、白洲の尽力がなければ戦後の東北の発展はなかったと言っても過言ではありません。

2023年(令和5年)に柳津ダム・発電所を含めた東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され、『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
柳津ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

下流高台の野老沢集会所から。
(2016年5月28日)

 
ダム左岸下流から
発電所はダムの左岸側にあり、同時に建設された片門ダムとは左右対称ですが、ゲート数やピアの形状などは瓜二つ。
(2024年4月14日)  


再訪時は融雪期で水量が多く3番ゲートから放流中。
(2024年4月14日)  

 
右岸高台から
ダムの手前に分割式予備ゲートが置かれ、ダムの右岸には予備ゲート運搬用のクレーンが設置されています。
(2016年5月28日)


右岸から下流面
対岸が柳津発電所。
(2024年4月14日)  

 
減勢工には鋸歯上のブロックが並びます。
(2016年5月28日)

 
右岸には白洲の石碑が建ちます。
碑文には片門ダムと同じく
『この発電所の完成は 地元の人々の理解ある 協力と東北電力従業員
不抜の努力なくしては 不可能であった その感激と感謝の 記録にこれを書く
                                白洲次郎』
と刻されています。
(2024年4月14日)  

 
同じく右岸に建つ選奨土木遺産のプレート。
(2024年4月14日)  

 
天端は地元の生活道路として開放され、6トン車まで通行可能。
片門ダムの天端は軽車両のみ通行可でしたが、こちらは普通自動車や小型トラックも通れます。
(2016年5月28日)

 
水利使用標識。
(2024年4月14日)  
 
天端から下流を見ると
ちょうど川が蛇行する手前にダム・発電所が建設され、放流水は正面の断崖にぶつかる形となります。
1枚目の写真は左奥の杉林の切れ目から撮りました。
(2024年4月14日)  


総貯水容量2430万9000立米、有効貯水容量は586万4000立米
かなり堆砂が進んでいますが、発電ダムの性格上取水できれば堆砂は問題ないという考え方なんでしょう。
(2024年4月14日)  


浮桟橋の係留された作業船
東北電力只見川5ダムはすべて同型の作業船です。
(2024年4月14日)  

 
左岸から下流面
手前が発電所と取水ゲート、奥が洪水吐ゲート
片門ダムと同じくコンクリート製ピアに鉄骨トラスが内包されています。
(2024年4月14日)  


左岸にあるコンクリートの遺構
バッチャープラント跡か?
(2024年4月14日)  

 
上流から
洪水吐ゲート5門、取水ゲート6門は片門ダムと全く同じ。
(2016年5月28日)

 
(追記)
柳津ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0486 柳津ダム(0415)
左岸 福島県河沼郡柳津町飯谷
右岸        同町柳津
阿賀野川水系只見川
34メートル
216.7メートル
24309千㎥/5864千㎥
東北電力(株)
1953年
◎治水協定が締結されたダム

片門ダム

2024-05-10 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 片門ダム
2024年4月14日
 
片門ダムは左岸が福島県河沼郡会津坂下町片門、右岸が同町坂本の一級河川阿賀野川水系只見川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
包蔵水力豊富な阿賀野川水系では大正以降電源開発が本格化しますが、その多くは首都圏への送電を目的としていました。
電気事業再編成令により1951年(昭和26年)に日本発送電が分割され新たに9電力会社が誕生しました。
その際、発電施設の継承や利権利権配分については『発生電力はどの地域に供給されるか?』という潮流主義に依り、首都圏への送電線網が過半の阿賀野川や只見川の発電施設は東京電力が継承するはずでした。
しかし東北電力会長に就任した白洲次郎はその政治的影響力を駆使してこれを覆し、発電量の約半分を首都圏に送電することを条件に阿賀野川流域の発電施設の継承及び新規水利権の獲得に成功しました。
おりしも朝鮮戦争特需による電力需要ひっ迫を受け、東北電力は設立初年より只見川に4基のダム式発電所の建設を進め、着工翌年の1953年(昭和28年)に柳津ダムとともに完成したのが片門ダムです。
ダムの完成により片門発電所で最大3万8000キロワット(のちに5万7000キロワットに増強)のダム式発電が開始されました。
阿賀野川および只見川は東北電力管内の包蔵水力の過半を占め、白洲の尽力がなければ戦後の東北の発展はなかったと言っても過言ではありません。

2023年(令和5年)に片門ダム・発電所を含めた東北電力および電源開発の発電施設は、豪雪地帯の水資源と地形を巧みに利用したダム・電源開発等の河川史や地域資産として高く評価され、『只見川ダム施設群』として土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
片門ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

まずはダムの下流へ
ダムの下流を磐越自動車道が跨ぎアーチ橋越しのダムの眺めはなかなかにフォトジェニック。
橋の橋脚の色は異なりますが、埼玉県の玉淀ダムとよく似た構図。
(2024年4月14日)  

洪水吐はローラーゲート5門。
(2024年4月14日)

右岸高台からダムを見下ろします。
右岸(手前側)に取水ゲートが6門、奥に洪水吐ゲートが5門
取水ゲートの下流側に片門発電所があります。
(2016年5月28日)

右岸の高台にある白洲次郎の石碑
この時期に建設された片門、柳津、上田、本名各ダムに白洲の碑が設置されています。
碑には
『この発電所の完成は 地元の人々の理解ある 協力と東北電力従業員
不抜の努力なくしては 不可能であった その感激と感謝の 記録にこれを書く
                                白洲次郎』
と記されています。
(2024年4月14日)


こちらは2023年(令和5年)土木学会選奨土木遺産のプレート。
(2024年4月14日)


ゲート上流側にはレール移動式の除塵設備。
(2024年4月14日)

 
取水ゲートは6門
奥の1A~2Bゲートは昭和28年(1953年)日立造船製
手前の3Aと3Bゲートは昭和44年(1969年)石川島播磨重工業製
完成当初の片門発電所は1号機、2号機体制で最大出力3万8000キロワットでしたが昭和44年に3号機が増設され最大出力は5万7000キロワットに増強されました。
これが取水ゲートの製造時期とメーカーが異なる理由です。
(2024年4月14日)

 
右の2Bゲートは日立造船
左の3Aは石川島播磨
16年の年月でゲートの形状も随分変わりました。
(2024年4月14日)

発電所に掲示された発電所横断面図。
(2016年5月28日)

水利使用標識。
(2024年4月14日)

 
減勢工に並ぶバッフルブロック
左岸側が窪んでおり通常はこちらのゲートを開放するんでしょう。
(2016年5月28日)

天端から
正面には磐越自動車道のアーチ橋
高速からだと眺めがよさそうですが、実は橋梁には高い塀があり視界を妨げられます。
(2024年4月14日)

 
貯水池は総貯水容量1617万2000立米
でも堆砂が進み有効貯水容量は449万7000立米。
基本、取水ができればいい発電ダムあるある。
(2024年4月14日)


天端は車両通行可能ですが、道幅が1.5メートルなので軽自動車か二輪じゃないと通れません。
頭上には予備ゲート運搬用のクレーン。
(2024年4月14日)

左岸ダムサイトのクレーン終点に積まれた予備ゲート
奥に繋留された作業船は只見川の東北電力共通。。
(2024年4月14日)


左岸から。
(2024年4月14日)

同時並行で建設された柳津ダムと同じく様コンクリート製のピアの中に鉄骨トラスが隠れています。
一方完成が1年遅れの上田ダム本名ダムはピアは鉄骨トラス製。
(2024年4月14日)


片門発電所を真横から
2011年(平成23年)の新潟・福島豪雨の際にはあわや発電機水没の危機だったそうです。
(2016年5月28日)


(追記)
片門ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0485 片門ダム(0416)
左岸 福島県河沼郡会津坂下町片門
右岸          同町坂本
阿賀野川水系只見川
29メートル
194.8メートル
16172千㎥/4497千㎥
東北電力(株)
1953年
◎治水協定が締結されたダム

吉ヶ平ダム

2024-05-09 08:00:00 | 福島県
2017年5月28日 吉ヶ平ダム
2024年4月13日
 
吉ヶ平(よしがだいら)ダムは福島県会津若松市湊町共和の阿賀野川水系原川左支流大清沢川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
会津若松市湊町は猪苗代湖西側の南北に延びる谷筋に位置しますが、猪苗代湖との間は山で隔てられ揚水技術のない時代は水利に乏しく、安定した水源確保は地域農家の宿願となっていました。
1964年(昭和39年)に大清水沢川源流にある陣馬湖という自然湖をダム化し灌漑用水源とする県営かんがい排水事業が着手、現地竣工記念碑では1969年(昭和44年)、ダム便覧では1972年(昭和47年)に吉ヶ平ダムが竣工し約600ヘクタールの水田への灌漑設備が整備されました。
ダムの管理は会津若松市湊土地改良区が受託し、ここで貯留された水はダム直下の頭首工で取水され吉ヶ平用水路を経由して受益農地に供給されます。
吉ヶ平ダムには2017年(平成29年)に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。
 
国道294号線から県道374号線に入ると吉ヶ平ダムを示す標識が現れます。これに従って左折すると右岸ダムサイトに到着します。
ダムサイトに建つ立入り規制板。


天端はダートですが車両の通行ができます。
かつては上流に数軒の集落があったようですが今は廃村。
下流面はきれいに草が刈られ今も貴重な水源であることが伺えます。

 
上流面は石積み護岸。

 
総貯水容量は125万3000立米と本州の農業用アースフィルダムとしては結構なサイズ。
向かって左側、ダム湖右岸沿いに別荘が並んでいます。
バブル期に別荘地として開発されたようですがデベロッパーはすでに破綻。
私有地のため立入り制限となっていますが、居住者がいるのかどうかは不明。

 
右岸の斜樋。

 
右岸の竣工記
一見監査廊入り口のような形状。

 
記念碑をズームアップ
裏面には諸元等の記載がありますが字が薄れて読み取り困難。

 
左岸の円形越流式余水吐
いわゆる『パイ生地型』。

 
余水吐の擁壁にはめ込まれた定礎石
こんなところに鎮座するのはちょっと珍しいかも?


ダム下に降りてみます。
堤体は犬走を挟んで2段、基部は石積みの擁壁。
手前側にわずかに雪が残ります。
左手のコンクリート構造物はドレーン施設。

余水吐導流部
一応ジャンプ台。


減勢工からそのまま大清水沢川となります。


右岸ダム下の底樋門
まだ灌漑期ではなく河川維持放流分だけ放流中。


すぐ先に頭首工の吞口が見えます。
取水された水は吉ヶ平用水路を経て約600ヘクタールの水田に灌漑用水を供給します。


ダムに至る道路が吉ヶ平用水路と交差しています。
非灌漑期なので水は流れていません。


0512 吉ヶ平ダム(1013)
福島県会津若松市湊町共和
阿賀野川水系大清水沢川
22.5メートル
190メートル
1253千㎥/1222千㎥
会津若松市湊土地改良区
1969年竣工(現地記念碑)
1972年竣工(ダム便覧)

東山ダム

2024-05-08 08:00:00 | 福島県
2017年5月28日 東山ダム 
2024年4月13日
 
東山ダムは左岸が福島県会津若松市門田町黒岩、右岸が同市門田町湯川の一級河川阿賀野川水系湯川にある福島県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
東山温泉を抜け会津若松中心部を東西に横断する湯川は古来より出水が多く抜本的な治水対策が求められていました。
一方高度成長期以降の人口増加や生活様式の変化を受け、会津若松市の都市用水需要が急増し安定した水源確保が喫緊の課題となっていました。
これを受け、福島県は湯川総合開発事業を採択し1982年(昭和57年)に竣工したのが東山ダムです。
東山ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、湯川の洪水調節(最大毎秒315立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持、会津若松市への上水道用水の供給を目的とし併せて河川維持放流を利用した管理用小水力発電も行っています。
また着工ベースでは日本で初めて堤趾導流壁を採用したダムとされています。
東山ダムには2017年(平成29年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時が記載してあります。
 
会津若松中心部から東山温泉の標識に従って県道325号線を南下、東山温泉街を抜けてさらに進むと東山ダムに到着します。
東山温泉の先右手にダム下へ通じる管理道路入口があります。
ゲートがあり立ち入りは微妙でしたが、ダム管理所に確認したら徒歩での立入りは規制していないとのこと。
ということでまずはダム下へ
入り口から約600メートル、歩くこと10分ほどでダム下に到着。
堤高70メートル、堤頂長275メートル
堤体は左岸側が折れています。
堤趾導流壁を採用しクレストには16門の自由越流頂が並びます。
(2024年4月13日)

 
常用洪水吐であるオリフィスゲートは洪水期と非洪水期の2門
このほか放流設備としてジェットフローゲートを装備
また河川維持放流を利用した管理用発電所があり、平時は小水力発電所経由で放流されます。
(2024年4月13日)

 
非洪水期(10月11日~6月20日)はEL396.5メートルが常時満水位
洪水期(6月21日~10月10日)はEL393.2が洪水期制限水位となります。
訪問時は非洪水期のため上部のオリフィスから越流中。
(2024年4月13日)

 
管理用発電所の水利使用標識。
(2024年4月13日)

 
ダムに通じる管理道路沿いには会津若松市向け上水道用水の水路管があります。
(2024年4月13日)

 
右岸ダムサイトに上がります。
管理事務所はスペースがないせいか基礎をコンクリートで固めバットレスで支える構造。
(2017年5月18日)

 
上流から遠望
右手は多段式取水設備
左はオリフィスゲート
ゴミ除けのスクリーンでよく見えませんが、右手の洪水期用ゲートはスライドゲートで塞がれています、。
6月20日~10月10日までの洪水期にはこのゲートが開けられます。
(2024年4月13日)
 
 
管理所および天端への入口
ここから先は車両進入禁止。
(2024年4月13日)

上水道用水の水利使用標識
ダムで直接取水され導水管で浄水場に送られます。
(2024年4月13日)

 
管理事務所わきの竣工記念碑。
(2024年4月13日)

 
ダムの概要説明板。
(2024年4月13日)

 
下流面
着工ベースでは日本で最初に導流された堤趾導流壁
今どきのがっつりした堤趾導流壁と比べるとフーチングの幅や導流壁の厚さがかなり華奢。
(2017年5月18日)

 
天端は徒歩のみ開放。
(2024年4月13日)

 
天端からダム下を見下ろす
減勢工右手奥が管理用発電所、手前は放流設備となるジェットフローゲート
基本河川維持放流は発電所経由で行われます
左手には『東山ダム』の植栽
完成から40年以上経過していますが、手入れが行き届いているのか?東山ダムの文字がきれいな状態に保たれています。
(2024年4月13日)

 
ダム湖は総貯水容量1250万立米
『湯の入湖』と命名されています。
東山温泉から上流を『湯の入』と呼んだことに由来します。
(2017年5月18日)

 
左岸の艇庫とインクライン
残念ながら左岸側の道は落石の恐れがあるため全面通行止め。
(2017年5月18日)


左岸から
堤体が折れているのがよくわかります。
こちらから見ても堤趾導流壁とフーチングがか細い。
(2017年5月18日)

東山ダムのホームページではダムのパンフレットがアップされています。
詳しくはリンクをご覧ください。
 
(追記)
東山ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0520 東山ダム(1012)
左岸 福島県会津若松市門田町黒岩
右岸       同市門田町湯川
阿賀野川水系湯川
FNW
70メートル
275メートル
12500千㎥/11500千㎥
福島県土木部
1982年
◎治水協定が締結されたダム

田島ダム

2024-05-06 08:00:00 | 福島県
2016年5月28日 田島ダム
2024年4月13日
 
田島ダムは福島県南会津郡南会津町高野の阿賀野川水系高野川にある福島県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国土交通省)の小規模ダム事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、高野川の洪水調節(最大毎秒35立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、旧田島町への上水道用水の供給を目的として1998年(平成10年)に竣工しました。
田島ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しました。
掲載する写真はすべて再訪時のものです。
 
会津田島市街から国道400号を北上すると右手に田島ダムが見えてきます。 
まずはダム下へ。
堤高36メートルに対し堤頂長200メートルの横長堤体。
洪水吐は堤体左岸側に寄っています。
ダム下は公園として整備され遊歩道や東屋が設けられています。


減勢工から
洪水吐はクレスト・オリフィスともに自由調節のゲートレス
融雪期ということでオリフィスから越流しています。

 
右手は放流設備
左手に監査廊入り口があり、堤体に直接触れることができます。
ダム下公園から右岸ダムサイトまで遊歩道が続いており今回は歩いて天端へ向かいました。


右岸ダムサイトから


ダムの説明板


天端は車両通行可能。


上流面
建屋は選択取水設備機械室。


右岸の舟鼻湖の石碑。


その舟鼻湖は総貯水容量52万3000立米
奥に貯砂ダムがあり、その先を国道400号線が跨ぎます。


貯砂ダムをズームアップ
湖岸には桜が植えられており、花の季節はもっと艶やかな眺めになるんでしょう。


天端から減勢工を見下ろします。
オリフィスの放流とは別に放流設備から河川維持放流が行われています。


生活貯水池ダムではおなじみ、ダムのすぐ下流に田島浄水場があります。
日量1500立米を浄水します。


左岸から上流面
建屋はエンジの早稲田カラーで統一
対岸は管理事務所ですが、職員は巡回のみで平時は常駐はありません。


上流の国道400号浅市大橋から遠望

(追記)
田島ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

3008 田島ダム(0407)
福島県南会津郡南会津町高野
阿賀野川水系高野川
FNW
36メートル
200メートル
523千㎥/451千㎥
福島県土木部
1998年
◎治水協定が締結されたダム

広田堰

2024-05-03 08:00:00 | 千葉県
2017年1月28日 広田堰
2024年3月31日
 
広田堰は千葉県南房総市海老敷の平久里川水系海老敷川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
房総半島南端の館山市や南房総市周辺では大正期より灌漑設備の整備や新田開発に合わせて溜池築造機運が高まります。
広田堰もそうした溜池群の一つで、ダム便覧には1928年(昭和3年)に三芳村国府第一土地改良区の事業により竣工と記されており、県の補助を受けた耕地整理組合の事業で建設されたと思われます。
現在は耕地整理組合を引き継いだ南房総市国府土地改良区が管理し、約120ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。

ダム便覧では広田堰は立坑と隧道を組み合わせた珍しい『垂直落下式余水吐隧道』を備えていると記されていますが、天端や余水吐のある右岸側は立入禁止のためその全容は明らかではありません。
広田堰には2017年(平成29年)1月に訪問しましたが、その際も左岸からの見学にとどまりました。
2024年(令和6年)の再訪時は安房中央ダム見学の際に知己を得た安房中央土地改良区の事務局長さまに取次していただき、国府土地改良区の幹部の皆さま御一同との同行での見学が叶いました。
掲載写真はすべて再訪時のものとなります。
 
南房総市海老敷から海老敷川沿いの隘路を約2キロ北上すると広田堰に到着します。
この道はダートの悪路で四輪駆動や軽トラ以外での進入は困難です。
左岸から
池への悪路とは裏腹に、堤体はきれいに刈りこまれいまだ重要な水源であることが伺えます。

 
天端は中ほどから立入禁止
注目の余水吐は対岸にあるため、通常は目にすることはできません。
 
堤体を下りてみます。
堤高は便覧が16.7メートル、ため池DBは20.8メートル。
左岸側(向かって右手)は林道工事の際の残土をが盛り立てられています。
 
右岸池下の底樋樋門
取水設備及び垂直落下式立坑型余水吐からの水がここから放流されます。
このまま海老敷川となり灌漑用水は下流の取水堰から取り入れられます。
 
総貯水容量は30万4000立米
房総らしく濁水です。
 
天端貯水池側には転落防止用のフェンスが設けられ、上流面はコンクリートで護岸されています。

 
右岸沿いを10メートルほど進むと注目の余水吐です。
手前に階段式の斜樋、その奥の金属ネットで覆われているのが立坑式余水吐
それに続く隧道も余水吐隧道となります。
 
余水吐をズームアップ
図面や工事史などがないため詳細は不明ですが、当初は立坑式余水吐のみだったのが塵芥の落下や放流量増大のためにのちに余水吐隧道が追加されたと思われます。
 
 
取水設備も当初は木栓を差し込むタイプだったものが、改修で階段式斜樋になりました。

余水吐側から
立坑には安全に配慮し転落防止の金属ネットが設けられています。
併せて余水吐に至る手前にもゲートが設けられ関係者以外立入り禁止としてなっています。

 
さらに奥から
隧道入り口部分は断面保護のため金属製の覆工が設けらています。
 
隧道下流側
上記のように余水吐隧道は後付けと思われます。
周辺は掘削が容易な泥岩で余水吐隧道は素掘りで掘り込まれています。
 
感度を上げたためノイズの多い写真になっています。
隧道の全長は30メートルほど、
流下した水は4枚目写真の底樋樋門の上段に流下します。

ダム便覧の記事から興味深い物件でありながら、立入り禁止のためにその全容がわからなかった余水吐ですが、管理する土地改良区のご配慮で間近に目にすることができました。
管理する南房総市国府土地改良区の皆様、および取次していただいた安房中央土地改良区の事務局長様には厚く御礼申し上げます。
 
0648 広田堰(0816)
ため池コード 122340021
千葉県南房総市海老敷
平久里川水系海老敷川
16.7メートル(ため池データベース20.8メートル)
57メートル
304千㎥/304千㎥
南房総市国府土地改良区
1928年