9月の終わりにテンの元気3周年の記事を書き、
また近々心筋症の新しい記事もアップします、と宣言しながら
(やっぱり)こんなにも遅くなってしまいました^^;
もしもこの記事を待っていて下さった方がいらしたなら、
ほんとに申し訳ありません。(Leeさ~ん!)
今回のテーマは、「生死について考える」です。
生きること死ぬことについてあれもこれも書こうとすると、
とてもじゃなく書ききれなくなるので
1.私はこんな気持ちになりました
2.だから私はこんな風に行動してきました
3.そして今の私はこう思っています
それだけをまとめて書いてみることにしましたが、
何度も書いたり消したり、読み直してみてはまた考えたり。
結局のところ、まとまってないような気も…^^;
読みにくいところもあると思いますが、
病気の子と暮らすみなさんにも、健康な子と暮らすみなさんにも
どうか最後までお付き合い頂ければ嬉しいです。
1.余命宣告?その直後の気持ち
私のブログのアクセス解析の記録を見てみると、
「肥大型心筋症」関係のキーワードで辿り着かれる方が多いことに気が付きます。
それは治療のことだったり、薬の名前だったり、病院のことだったり…
みなさんきっと愛猫のために一生懸命にあらゆる情報集めをされているのでしょう。
でもその検索キーワードの中で、
目にする度に胸が痛くなってしまうようなものもあります。
「猫 肥大型心筋症 余命」や「肥大型心筋症 生存率」という組み合わせです。
もしかするとこの方は、その日、病院で愛猫の病気が発覚して
獣医さんに余命宣告されてしまったのかもしれません。
この病気が発症した子は長く生きられませんよ、と告げられたのかもしれません。
そして、すがる様な気持ちで、どうにか心が救われるような情報を探すために
ずっと彷徨って来られたのかもしれません。
でも、きっと目にする大半の情報は悲しみに追い討ちをかけるようなものばかり。
私もそうだったから、よくわかります。
なんでテンがこんな病気になってしまったんだろう。
テンは長く生きられないんだ…。
テンと離れたくない!死んで欲しくない!
その繰り返し。
そんな目でずっとテンを見つめては、泣きたい気持ちになっていました。
その時、私はすっかり忘れてしまっていたのです。
とにかく、テンは「今、生きている」ということを。
こんな単純なことを見失ってしまうぐらいに、飼い主にとって愛猫の余命宣告は残酷なものです。
テンは今、私の目の前に生きていて、私は今、テンの体に触れることが出来る。
いつか体がなくなってしまうと、それが出来ないということが一番悲しい。
離れていても心は通じ合っているのだと信じてはいても、
この手で触れられないということは、絶対に避けられない深い悲しみ。
きっとその未来が何より悲しいことなのに、なぜ私は今、悲しんでいるんだろう。
今、テンが生きているということだけで、とても幸せなことなのに
なぜ先走り、いつ訪れるかも分からない「死」ばかりに縛られて苦しんでいたんだろう。
それはきっと私がテンとの別れを恐れるあまり
「死」から目を逸らしてしまっていたからだと思います。
死というものの本質に向き合って、しっかりと考えることを避けてばかりいて、
だけど結局はその曖昧さが自分自身を不安にし、
追い詰めていたのだと気がついたのでした。
すべての生き物は生きてさえいれば、誰にでも100%の確率で死が訪れる。
それはごく自然で当たり前のことなのに、ことに愛する子との別れとなると
受け入れ難い未来のように感じてしまいます。
でも、生きるということを考えるならば、死ぬということも同時に考えなければ
いつか心のバランスを崩してしまうような気がします。
それまでずっと私が苦しかった理由は、きっとそこにあったのではないかと。
私は、悲しむには、まだ早過ぎる。というより、今、悲しんでいる場合ではない。
本当に最期の日が来たら、きっと私はこの何十倍も悲しいのだから。
だったら私は今、何をすればいいんだろう。
私がテンのために出来ることって、本当はまだまだたくさんあったのですよね。
もしも愛する子の余命宣告を受けたり、死が訪れる気配を感じ不安になったならば、
深く呼吸をして心を落ち着けて
この当たり前のことを思い出してみてほしいのです。
「すべての生き物は生きてさえいれば、誰にでも100%の確率で死が訪れる」
「今、この子は生きている」
そうすれば、きっとその子と過ごす一瞬一瞬が輝き始めるはずです。
2.テンのためと私のため
不安とはどこから来るのかと考えてみると、すべては無知からやってくると気がつきます。
それを解消するためには、納得出来るところまで調べて学ぶしかない。
そして自分の望んでいたものが見つかったなら、あとは自信を持って行動するだけです。
下を向いてばかりでは、自分が必要としていた情報を拾い上げることが出来ません。
思い切って前を向いて一歩踏み出した途端に
思いがけないところでとても大切な出会いに恵まれたり、
ずっと探していた言葉を古い本の中の一行に見つけたり…
ということはよく聞く話ですが、私もそんな経験がありますし、事実だと思います。
見つからなかったんじゃなくて、
きっとそれまでの私はちゃんと見ていなかったのですよね。
今、私が具体的に取り組んでいるテンの治療については
方法は個々の状態によっても違うことなので、ここでは詳しく書きませんが
前回の記事に載せたように、病院で頂く薬以外で
私にも出来ると思ったことは今でも続けています。手作りごはんもそのひとつ。
前回の記事を書いてから、この1年間で私の中で大きく変わったことがあります。
それが今回のタイトルにした「生死について考える」ようになれたことです。
それまでの私は、今せっかく元気でいる時に、「死」を語ることは
してはいけないタブーなのだとばかり思っていました。
少しでも「死」のことを口にしたり、考えたりでもしたら
それが現実になってしまうかもしれないと思って怖かったというのもあります。
さらには「テンは無敵なんだからずっと死なないし、絶対死なせない!」なんて
無茶なことを思ってたこともありました。
でも…現実は…
もしも奇跡が起きたとして、この不治の病が完治したとしても、
生き物である以上は、いつかは必ず別の形で寿命が来るものです。
人間は感情に左右されてしまう生き物だから
心が不安定な時は、何を考えても健全な答えを見つけられません。
私も冷静になれた時に初めて、たくさんのことに気付くことが出来ました。
私にとって、死を意識しておくことは、これまで以上にしっかりと毎日を生きるために
必要不可欠なことだったと、今は思っています。
メメント・モリ。限りがあるからこそ、大切にしよう。
その言葉の意味がしっかりと心に届いた気がしました。
そんな時、読んでいた数冊の本の中で、偶然に共通して目に付いた言葉がありました。
・私達の目に見えるものは、ほんの少ししかない。
・見えないものが、見えるものに影響を与えている。
・大切なものほど、目には見えないものだ。
これを健康について置き換えて考えてみると、
健康体とは、健康な体だけじゃなく、健康な心も合わさって
初めて完成するものだということが言えます。
心が健康になれば、きっと体にもいい影響が出てくるはずです。
見える部分だけを治療してくれるお医者さんには、治すことが出来ない見えない部分。
目に見えない部分を健康にするのは、飼い主さんの腕の見せ所です。
あの子達の心がいつでも健康でいられるように、
楽しみや喜びで満たしてあげられるのは私達家族だけなんだと思うと
チカラが湧いてきますよね。
そして、愛猫の健康に直接関わってくるもうひとつの「目に見えないもの」。
それは飼い主さんの心の健康です。
飼い主さんの心の中が、いつも泣いてばかりで不安定な時は
少なからず、愛猫達にも影響が出てくるものです。(経験大有り!><)
だからこそ、飼い主さんは自分自身のケアをすることも忘れないでいてほしいのです。
心を乱すことなく、ただ純粋に毎日愛することが出来るようになるためには
不安になる要素を取り除いていかなければなりません。
それが最初に書いた「納得出来るところまで調べて学ぶ」ということに繋がっています。
この子がこんなにがんばっているのに、私自身のケアなど考えている暇はない。
自分はどうなってもいいから、この子のためだけに全力で尽くしたい。
特に症状が重い子の看病中には、そんな気持ちになってしまいがちだけれど、
それではきっと苦しいと思うのです。
もしもそうやって心を隠して苦しんでいる飼い主さんがいらっしゃるとすれば、
どうか早く本気でご自分をいたわって、ご自分の心も大切にして欲しいと願っています。
そうすればきっと愛する子達も喜んでくれるはずです。
3.今の私といつものテン
私にとって、テンの病気がもたらしたものは、
すべてが悪いものではなかったと思えるようになってきました。
もしもテンが心筋症になっていなければ、
生きるか死ぬかということを日常的に考える機会は、きっとなかったし、
健康についての知識を増やそうという努力もあまりしていなかったと思います。
テンの病気は、すずらんやぴっち、それに私達家族みんなを
健康に導いてくれているような気がしています。
そして私にとって、何より病気の最大の恩恵といえるのは、
今、毎日がとても充実しているということです。
何でもないような日常に幸せを感じ、
朝目覚めるたびに、みんなと一緒に過ごせる感謝の気持ちでいっぱいになります。
テンの病気が発症してから、この3年間でこんな風に変わってきたのは私だけ。
テンは5年前に出会った日から今までず~っと変わらないいつものテン。
動物は、自分自身のことをよく知っている。
人間のように、生きることや死ぬことばかりに執着し
途方にくれてあらがったり、動揺したりなどしない。
すべてを知った上で、すべてを正面から受け止めている。
テンは病気になってからも、いつだってヘラヘラしているワルモノだし^^;
気の抜けた顔をして、ぐーすか眠っていたりする。
すべてを受け入れる。やっと私も少しだけテンに近づけたのかな。
長々と書いてきましたが、いくら強気なことを言っていても
それでも死に直面する時、私はきっと辛くなると思います。
もう二度とテンの体に触れられないと実感する時、
きっとまた悲しみのどん底に落ちてしまうと思います。
ただ、これまでの別れの時と違うのは、
きっと私は後悔だけはしないだろうなということです。
後悔するのが悪いのではなく、後悔をただの後悔で終わらせてしまうのが悪い。
私は、これまでうりやくりの時にしてきたような後悔を
今度こそは全部プラスに変えていけるという自信があるのです。
亡くなった子達をずっと愛しているということは、
きっとそういうことなのだと、私は思っています。
最後に感謝を込めて…
当時くよくよと落ち込んでばかりいた私が目覚める大きなきっかけを下さったのは
ネコりんぼ。のBacoさんとマルヨさんです。
おふたりの愛猫クマくんへの大きな愛情は
私に一番足りなかったことを気付かせて下さったのでした。
それは、「絶対的な自信」
「うちのクマちんは世界一、そしてクマちんにとって私たちは世界一!」
「私たちって本当にスペシャルな関係なの♪」
Bacoさんのように、そんな風に胸を張って言える自信が私には欠けていたんです。
私だって世界で一番テンのこと愛してるはずなのに、なぜ?
その時、私にはテンのためにまだまだたくさん出来ることがあるはずなのに、
それまで何にも行動していなかったことに気がついてしまったんです。
クヨクヨと悩むことに時間や体力を費やすならば
どうしたらテンが楽しい毎日を過ごせるのかをひたすらに考えて行動するべきだったと。
そこがはじまりでした。
この子達をここまで愛せるのは私しかいない。
私はこの子達にとって世界一です!と今は自信を持って言えるようになったことが
私の何よりの成長だったと思います。
Bacoさん、マルヨさん、本当にありがとうございました。
それにしても、クマくんはいつも本当に楽しくて幸せそうだったなぁ。
クマくんは星になり(グン太くんとしてちゃんと戻ってきたけど・笑)
その別れは本当に辛くて、悲しかったけれど
見送るBacoさん達がクマくんとの思い出でずっと心満たされていたように
クマくんもまた、世界一の家族と共に過ごした楽しい日々を胸に
堂々と旅立っていったのですよね。
どれだけいろんな手を掛けてきたかと、与えられている寿命は違う。
どんなにいろんな手を尽くしても、どれだけ愛情をかけても
早くに亡くなってしまう子もいれば
特別なケアなしでも一生病気にならないで、長寿の子もいる。
だけど、生きる期間がどれだけ長いか短いかということよりも
その子がどんな風に生きたのか、それが一番大事なことなのだと、私は思います。
この子達と暮らしていると、
毎晩眠りにつく前にベッドで思い出し笑いしてしまいそうなことがたくさん起こる。
私は今日も楽しかったし、きっと明日も楽しい。
テンはどう思ってるのかなぁ?
その答えはテンが笑っているからわかるんです。
毎日楽しくて幸せだと^^
長い長い記事にお付き合い下さって本当にありがとうございました。
<参考文献>
「ハッピーペットロス」 阿部 佐智子 著
「がんのイメージ・コントロール法 ~サイモントン療法による癒しへの道」 川畑 伸子 著
「がん治癒への道 サイモントン療法の新たな展開」 O・カール・サイモントン 著
「納棺夫日記」 青木 新門 著
「引き寄せの法則」 マイケル・J・ロオジエ 著
「動物力」 永田 高司 著
「星の王子様」 サン・テグジュペリ 作
「免疫学入門」他 安保 徹 著
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肥大型心筋症について、これまでに4回書きましたが、
月日が経つにつれて、私にも病気に対する知識や情報が増えていき、
最初に書いた内容について、少しづつ意見や考え方が違っている部分があります。
特に治療に関してなどは、様々な方法と選択があったと今となっては思います。
これまでの心筋症の記事にも「記事を書いた当時の私の考えであり、
現在とは異なる箇所もあります」という注釈を付け加えました。
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