uparupapapa 日記

ようやく年金をいただける歳に。
でも完全年金生活に移行できるのはもう少し先。

鉄道ヲタクの事件記録 第4話 妻の目標と日記

2024-05-05 05:53:58 | 日記

 妻の体調の異変に気付いたのは、島村の来訪から数日後だった。

 相変わらず多忙な僕が妻の日常の微妙な変化が分る筈はないが、何か言いたげなのは流石に空気で読める。

 だがそれ以上の意思表示をしようとしない。

「あなた、行ってらっしゃい。」

「ああ、行ってくる。」

「お気をつけて。」

 

 この繰り返し。

 

 だが、それからまた数日後、妻の百合子は改まって

「あなた、お伝えしたいことがございます。」

「何ですか?」

「今夜は早く帰ってこられそうですか?」

(いつになく真剣な表情で突然そうこられると、身構えちゃうよ。)

「ああ、約束はできないが、百合子が早く帰ってきて欲しいと云うのなら、出来るだけ早く帰ろう。」

「そうしてくださると嬉しいです。」

「分かった、出来るだけ早く帰ろう。それじゃ、行ってきます。」

 

 百合子の言いたい事?何だろう?

 随分勿体ぶって念を押したな。

 何だかチョット怖い・・・。(脛に傷を持つ身、勘の鋭い百合子がそう改まるというのは今までなかったし、僕が何かしでかしたか?それとも島村関連か?)

 悶々としながら仕事に向かうのは心と身体に良くないな。

 悪戯いたずらにあれこれ考え悩んでも仕方がない。どうせ仕事が終わって帰宅したら分かる事だし、今現在分からないなら対策のしようがないし。

 え~い!なるようになれ!

 

 普段はあまり悩まないたちの秀則だが、こと妻百合子に関しては案外心配性で小心者なのかもしれない。

 

 そんな訳で一日中気もそぞろのまま強引に仕事を終わらせ定時に帰宅した僕は、玄関で待ち受ける百合子の表情を見て、僕にとって不都合な話題ではなさそうなのに安堵した。

 

「あなた、お帰りなさいませ。お待ちしておりました。」

「あぁ、今帰った。ところで折り入って話って何だね?」

「まずはお着替えを済ませてから。さぁ、どうぞ。」

そう言って居間へ誘う百合子だった。一息ついた頃合いに

「あなたに大切なご報告がありますの。

 今まで不確実の状態だったのでちゃんとご報告できませんでした。

 実は・・・赤ちゃんができたみたい。」頬を赤らめ俯く百合子。

「そうか・・・・。」

 僕は百合子の言葉の意味を認識するより、自分が持っていた懸念が払しょくされたことに対する安堵が先に立っていた。

 そして次第に聞き流していた百合子の言葉の意味を認識し、理解しようと思い始める。

 だが明晰なはずの僕の頭が働かない。

「あれ?今なんて言ったっけ?」

「赤ちゃんが出来ました。」

「誰の?」

「あなたの。」

「なんで?」

「そういう行為をしたから。」

「なんでそういう行為を?」

「・・・あなた様は『お馬鹿』でございますか?」

 

 

 そうして今夜のご飯は、いつものルーティーンから思い切り逸脱し、お祝いの出前の特上寿司と最上級のお酒が食卓に並んだ。

 もちろん僕の喜ぶ様が尋常ではかったのは言うまでもない。(と言っても晩ご飯がいつものルーティーンでなく、お寿司だったからではない。念のため。)

 

 その日以降、僕は百合子の体調を気遣い産休の里帰りをするまで残業をせず、定時で帰宅する日が続いた。

 これまで私が仕事に行っている間は、百合子の実母ナツがちょくちょく様子を見に来ていたが、娘の妊娠中の生活が心配な母は、かねてから実家に戻り過ごすよう説得している。

 ある日、切迫流産の危険があり緊急入院した時、たまたま母が来訪していたため事無きを得たが、それが引き金となり、当たり前のようにに母が百合子の付き添いを買って出る。

 その日、私がいつものように帰宅すると、誰も居らず母の置手紙がテーブルの上にあった。

『百合子が入院。入院先は○✖町の△◇総合医院。』とだけ書かれている。

 私は飛び上らんばかりに驚き、玄関で靴に履き替えるのも忘れ、スリッパのまま駆けだした。

 病院に到着すると、母が病室の中で娘の手を取り、すがりつくように居た。

 状況の説明を求めると、母は気が動転している状態から冷めやらず、どうも要領を得ない。

 たまたまその時病室に看護婦がやってきたので、改めて何故妻が入院しているのか?病名や容体、今後の処置や、いつまで入院するのか?等を聞きだした。

 看護婦によると、妻は切迫流産しかかって緊急入院する事になったが、今のところ胎児に深刻な影響はない事、母体も回復し予断を許さない状況ではない事、でも暫くは入院しなければならない事など説明を受けた。

 妻はまだ眠ったままだったので気がつくまで一緒にいたかったが、百合子の母が、

「緊急入院だったので何の準備もしていません。済みませんが、お着替えなど持ってきてくださいませんか?その間百合子は私が診ています。大丈夫、今の娘は心配いらない程落ち着いてきましたので。」

 と、そう言われた。でも僕だって妻のそばに居たいのに。

私は「着替えの準備とか、その他諸々の必要なものなど何も分かりませんが。」と云ったが、「ホントは私が戻って用意するのが一番でしょうけど、如何いかんせん気が動転して足腰が言う事を聞きません。明日にでも頃合いを見定めて家に戻りますが、今は動きたくとも動けないのです。百合子の大切な旦那様をこき使うようで心苦しいんですが、今はどうぞお願いします。」

 そう懇願されたらイヤという訳にはいきません。

 この僕が入院に必要なものを取りに帰る?何をどうしたら良いか分からないけど、ひとまず自宅に戻る事にした。

 

 さて、自宅に戻ってはみたが、何を持ち出せば良いものやら・・・。

 妻の物にしても何が何処にあるかもわからないし。

 取敢えず下着類は何処だっけ?箪笥の中、中・・・・。

 妻の物が一体何処にあるかも分からない自分が少々情けなく、イラついてきた。

 着替えの他に何か必要なものは何か?歯ブラシ?タオル?

 よく解らぬまま部屋の中を見渡し、箪笥の上の小物入れの一番上の引き出しを開けた。

 どうしてそんなところを開けたのか?自分でも分からないが、何も考えず開けてしまった。

 すると中には数冊のノート類が入っている。

「【私の目標帖】?【diary】?何だ?日記か?」

 また僕は何も考えずパラパラと中を見てしまった。

 こんな所をもしまた島村に見られたら「ダ~メなんだ、ダメなんだ!」と囃し立てるように鬼の首を取るだろう。

 妻とは言え、人の物を盗み見する趣味は無かったはずなのに。

 自分がそんな恥ずかしい人間に成り下がるのは自分自身許せないが、偶然手に取ってパラパラしてしまったものは仕方ない。(どう仕方ない?!)

 最初に目に入ったページには、百合子が女学校時代に書き記したらしい記述が。

 

 そこには普通の(?)女学生らしい願望が記されていた。

『全科目で学年一番になる』から始まって、『在学中に素敵な王子様に出会う』とか、『道を行き交う男性から笑顔が綺麗と思われるような洗練された女性になる』とか・・・。

 その記述は進むにつれより具体的になってきた。

『一年以内に雑誌【モガ・モボ】(モダンガール・モダンボーイが当時のトレンド)の表紙を飾る』とか、『それを皮切りに二年以内に映画のヒロインになる』など、結構攻めた過激な事が書かれていた。

 嘘だろ?百合子がこんな身の程知らずの向こうみずな野心家だったなんて。

 今彼女がこれを改めて読んだとしたら、きっと〘自分の黒歴史〙だと思うだろう。

 悪いが読んでしまった私まで恥ずかしくなってしまったくらいだから。

 

 だが、最後に書かれたページを見て、もっと恥ずかしくなり驚愕した。

 

『秀則さんのお嫁さんになる』と書かれていたから。

 

 これはいつ書いたのだろう?ここには日付が無い。

 罪を犯しついでに改めて重罪を犯す事にした。なんと私は罪深い生き物なのだろう?

 それは即ち、妻の一番人に見られたくないであろうはずの『diary【私の日記】』を手に取ってしまったから。

 

 だって百合子がいつの段階で、どういうシチュエーションで僕にそんな感情を持ったのか?知らずにはいられないだろ?僕は今だけこの世の中で最悪な悪魔になる覚悟を決めた。

 この日記帳は私との初めての出会いから始まっていた。

 

 大正13年5月吉日 今日は姉の結婚式。

 有紀子姉さんの一生で一番の華やかな日。私が見た有紀子姉さんは、幸せそうで緊張している。文欽高島田がこんなに似合う女性ひとだった?疑わしい程素敵だった。

 でもそれと同じくらい印象に残る人がいる。

 父や母の晴れ舞台の様子より、強い印象を鮮烈に残したお方。それは秀種義兄の弟さん。秀則さんとおっしゃる私の王子さま。

 と云ってもまだ『私の』王子さまではないが、いつか必ず私の王子さまにしてみせる!

 あのお方は東京帝大の学生さん。でも少しも鼻持ちならないインテリっぽくなく、気さくで人懐っこいお人柄。それでいて他人に何か説明をしようとすると、ドモリがちに汗をカキカキ、一生懸命が過ぎて滑稽なくらい。

 私が「クスッ!」と笑うと、首を傾げて私を凝視するの。

 その眼差しのクリンクリンしたお姿が愛らしくて、愛らしくて、一目ぼれしてしまったわ。

 男の方なのに、なんて可愛いの?

 今度はいつお会いできるのかしら?

 その奇跡的だったり偶然だったりする日を一日千秋の思いで待ちわびるなんて、私にはできない。

 何としても策を講じて、もう一度お会いしてみせるわ!

 

 さてどうやろう?今から[私と私と私の間]で作戦会議よ!待ってらっしゃい!秀則様!

 

 ここでこの日の記述は終わっている。

 

 

 罪深い悪魔の僕に、ここで見るのを止める自制心はもう無い。

 恥はかき捨て、罪もかき捨て!あれ?こんな言葉あったっけ?

 

 僕は次のページを迷わずめくる。

 

 次からは巡る季節が綴られていた。

 

「6月1日 今日は一日雨。ツツジからアジサイの季節になってきたというのに、あの方に今日もお会いできない。

 傘を差しながら一緒に眺めたい。薄い青紫や赤っぽいピンクの花びらを見ながら、これはあなた、こっちが私。そんな会話が出来たらなぁ。」

「6月5日 今日も鬱陶しい雨。傘を差すのも飽きたから、目の前にあるお店の軒先で持っていた傘を下ろし、雨宿りとしよう。

 雨はまだ暫く止む気配はない。退屈しのぎにお店の窓の中を覗いてみた。

 すると、何と!あのお方が!あぁ、秀則様!どうしてこんなところに?

 お人違いかしら?何だか気取ってらっしゃるみたい。

 あのお持ちの本は何?やっぱり違う人?思わずお店の中に入り、コッソリ物陰に隠れて盗み見した。はしたない?ええい!構うもんですか!どうせ私ははしたない女よ!あのお方にお会いできるなら、はしたない地獄に落ちても構いませんわ!」

「6月6日 今日もあのお店に足が向かう。今日はいらっしゃるかなぁ?ドキドキしながら窓の外から中を伺う。

 あ!いらっしゃった!あのお方は今日も昨日と同じ本をお持ちになり、同じ姿勢で。一体なにが目的なのだろう?

 お話がしたい。でもあの状況の目的や意味が分からない以上、やみくもにシャシャリでてはいけないわ。もう少し慎重に確かめてみないと。

 明日はいらっしゃるかしら?絶対にお会いできますように。」

「6月7日 もう我慢できない!私の感情が溢れそうよ!あのお方は今日もいらっしゃる。

 よく見て見ると、持ったご本を読んでいる様子はないみたい。

 チラチラと周囲を伺うように視線を上げ、密かに観察するように見える。

 何をしようとしていらっしゃるの?辺りは女性ばかり。ここのお客の女性が目当てなの?でも、特定の方ばかり見る風でもないのね。どうしてだろう?やっぱり私にはあのお方にお声をかける勇気がない。頑張れ私!明日こそは!明日こそは!」

「6月8日 今日こそはと意を決し、お声をかけてみよう。

 あのお方に近づこうとすると、私の心臓の鼓動が乱れるのが分る。せっかくさっきまで辛うじて保っていた勇気がチリヂリに四散してしまったわ。

 ダメよ私!ここで逃げたり引き下がったら、絶対に後悔するもの。

 四散した勇気を再び搔き集てあのお方のテーブル席に向かい、目の前に座る。

 けれど一向に気づかない。お持ちの本は時刻表?どうして時刻表?

 しかも今日はいつになくご本を読みふけるように没頭し、あたりを見渡すどころか、目の前の私にさえも気づかないご様子。私はコトリと咳払いをしてみた。

 ようやく私の存在に気付いたあのお方は、飛び上らんばかりに驚いていらっしゃる。

 やはりとても可愛らしいお方、胸がキュンとするわ。

 ここからが私の一世一代の勝負の時よ!さぁ、頑張れ!私!

 

 ようやく第一段階の目途がつき、私の生涯で一番の嬉しい日になったわ!

 早く明日にならないかしら?一刻も早くまたお会いしたい!楽しみで、楽しみで、夜も眠れそうにない。

 これが恋と云うものなのね。これが幸せと云うものなのね。

 

 おめでとう!私!」

 

「6月9日 今日はお会いする前に今後の目標を書き留めておかななきゃ。

 あのお方との結婚式まで具体的な行動を。

 まず、当初の作戦通り数学を教えてもらい、ふたりの仲を深める。

 恋愛の神様!どうか私にお味方ください。」

 

 その後の事は読まなくとも分かる。

 ここまで盗み見してしまった僕は、卑劣の誹りを免れない。

 僕の父は裁判所の判事。

 その息子である僕が他人の日記を盗み見て良いのか?

 確かに他人の日記を読んだだけでは罪にはならないのかもしれない。

 しかし、世の中には道義というものがある。

 良識というものがある。

 処罰されなければ、何をしても良い事にはならない。 

 妻の心情を図り知れず、どうして僕なんか?と今までは懐疑的だった。

 こんな思いで僕と接していたなんて・・・。

 そんな妻に内緒でこんな大事な内容を記した日記を読むなんて。

 妻に対する冒涜である。なんと卑怯者な僕。

 これは判事としての父の名誉を汚す行為であり、親不孝の愚息の誹りを当然受け止めるべきだろう。

 そして一番真摯に謝罪すべきは妻である百合子に対して。

 百合子よ、許して欲しい。

 だからと 言っては何だが、僕が百合子の日記を読んでしまったなんて、口が裂けても告白できない。

 一生この罪と秘密を胸の奥に隠し、共に生きてゆく。それが僕の運命なのか?

 島村とのくだらない賭けでさえ罪なのに、罪と恥の上塗りだな。

 

 こんな恥ずかしい男で、百合子に相応しいとは到底言えない不甲斐ない夫だが、一生をかけて百合子の夫として正当な資格を得られるよう、死にもの狂いで精進しよう。

 人として恥ずかしくないよう、せめてこれからは相応しい人格を得られるよう頑張ろう。

 

 妻が入院した日の秀則の固い決意だった。

 

 病院に着替えなどを持って行くと、妻は目を覚ましている。

 やつれていたが、この世で一番美しいと改めて思う。

 

「あなた、ご心配かけて申し訳ございません。」

「ウウン!」思いきり首を振る僕。涙が自然に出て来た。そしてかけがえのない人との思いが溢れ、寝たきりの彼女を抱きしめるように覆いかぶさる。

「エヘン!ゴホン!」義母が慌てて咳払いした。

「お邪魔のようね?でも私がいる事もお忘れなく。」細い目で皮肉っぽく義母が呟く。

「アレ?居ました?

済みません、お義母さん!ついウッカリしていました。」

(私の愛するおバカさん!)百合子がはにかむように、心の中で呟いた。

 

 その数日後、退院した百合子は義母に伴われて実家に里帰りする。

 

 

 

 

 

      つづく

 


鉄道ヲタクの途中ですが

2024-05-01 20:55:00 | 日記



日本人として知っておくべき、あの時代の日本人の使命を紹介します。
あの時代、過ちもあった。
     慢心もあった。
     傲慢もあった。

でも自分の信じる正義のために自らの生命を捧げ、統治する国のため賭けた者たちがいた。
真摯に統治する民に向き合った者達がいた。

それに比べて今の私たち。
できない言い訳、やらない言い訳なら、いくらでもできる。
それを誰も非難しない、非難できない。

ただあの時インドネシア独立のため、オランダからの独立戦争にインドネシア人独立義勇兵と共に、日本兵2000人が立ち上がり、1000名が生命を落とした歴史的事実は覆せない。
インドネシア独立に寄与した事実は誰も消せない。
彼らの行為を非難したり、歪曲する勢力(中韓米)が如何に侮蔑しても、準国歌の存在が歴史の書き換えを阻止し、拒絶している。



私は小学生の頃、学校で敗戦史観の歴史を学び、侵略と定義された戦争に参加した父を非難した事がある。

父は「戦争に行った事も無いくせに、知ったような口をきくな!」
と言った。

今、私はあの時の父に対する非難は誤っていたと、心から反省している。

誰にとっても自分の生命は大事。
でもそんなに大事な自分の生命の使い方を自分の信念のために捧げた者達を、今の私に非難する資格は無いと思う。

自分は敗戦後の平和という見せかけの安全圏に閉じこもり、人として意義ある事は何もせず、何もできずにいるくせに、自堕落で軽薄な享楽を貪る自分というダサい輩が偉そうに他人を馬鹿にしたり、非難する資格は無い。

そんな自分という醜い輩ではあるが、せめて今の自分にできる事をしたい。
残したい。

名誉のためではない。
自分がこの世に生まれた意義を無駄にしたくない。
だからそのために残りの人生を生きたい。

そしてこの日記を大切に残したい。









鉄道ヲタクの事件記録 第3話 島村秀夫

2024-04-28 10:52:41 | 日記

「あなた、私これを作りましたのよ。」

 と言って見せたのは一週間のメニュー表だった。

「なになに?メニュー表?

 月曜日の朝は「ごはん、納豆、わかめと豆腐の味噌汁、お新香、メザシ?」

 火曜日の朝は「ごはん、生卵、ねぎと油揚げの味噌汁、お新香、アジの開き?」

 ・・・・・。

 よく考えたね。凄いと思うよ。

 学業が常にトップだった百合子が、(料理のレパートリーは驚くほど少ないのに、)僕と結婚してくれてしかも飽きさせないようにバラエティーに富んだ食事を心がけてくれて感謝しているよ。     

 ありがとう。

 昼食は職場に持っていく弁当造りもあるのだから、早起きして作るの大変だろう?

 だけど・・・、夕ご飯はカレーにお蕎麦にかつ丼が三日おきの日替わりなのね・・・。

 僕の仕事が遅くなり、外で食べてくる事が多いのに、そこいらのお店のメニューとほぼ同じなのはどうなのかな?」

「料理のレパートリーが驚くほど少なくて申し訳ございませんね。

(へ?僕の飲み込んだ言葉を見透かした?)

 だって私が制覇したメニューのレシピがカレーとお蕎麦とかつ丼だけなのですもの、仕方ありませんわ。

「百合子を傷つけたようならゴメン。

 でもね、夕ご飯は残業の多い僕にとって、不確定要素になると思うんだ。

 せっかく君が料理を用意してくれても、僕が外食して済ませたんじゃ、無駄になって申し訳ないだろ?」

「いいじゃありませんか。あなたは外で夕ご飯を済ませても、どうせ就寝前にはお腹が空くお方。だから決して無駄にはなりませんわ。」

「そうかな?そうだね。」

(でもなにもメニュー表まで作って限られたレパートリーのローテーションを明示しなくても。と思ったが、それに触れるのはせっかく工夫してメニュー表を作ってくれた百合子の地雷を踏むと本能的に予知した。)

「でも当日朝の段階で残業が分かっている日は、予め教えてくださいね。

 その方が効率的で無駄を最小限にできると思いますので。」

「はいはい、分かりました。」とは言ったが、それってほぼ毎日だろ?と思ったが、これも口には出さなかった。

 

 百合子は最強の妻と云える。才女であり、おこないにそつがない。しかも感が鋭い。

 だから僕は墓穴を掘らないよう、言動に細心の注意を払わなければならない。

 そんな百合子の唯一の弱点と云えば、料理が苦手と云う事。

 作ってくれる献立は、決して不味くはない。だが、レパートリーをこれ以上増やそうとは考えていないらしい。

 だから三日おきのカレーライスは、新婚家庭にありがちな微笑ましい風景と云える。

 でも僕たち当人にしたら、「これって、ホントに微笑ましいか?」と思える程、結構真剣な問題である。

 救いは僕がエリート故、残業で毎日帰りが遅い事。

 だから外食と妻の手料理を絶妙なバランスで摂るようにしているのだ。

 

 

 そんな時に悪友の島村秀夫が来訪することに。

 お互い忙しい中、この悪友は職場ですれ違いざまに

「今度の休みは暇か?」と聞いてきた。僕は何だかあまり良い予感がしないが

「特に予定はないが。」と返す。

僕は妻との出会いのきっかけとなる賭けが、この悪友島村秀夫に深く関係していて、しかも妻の百合子には絶対内緒の最高機密なので、僕の家庭には近づけたくないのが本音である。

 しかし、まだ賭けの景品「お汁粉10杯」はお互い多忙なため、一杯もクリアしていない。

 たかがお汁粉10杯?

 高給取りでエリートの僕たちにとって、甘味亭のお汁粉10杯分の金額など、とるに足らない。

 忘れてしまっても構わない程の額である。

 だが、この賭けには男のプライドを賭けた一世一代の勝負だったのだ。(え?一世一代にしては低次元でつまらない?・・放っといて。)

 だから何としても奢って貰う必要がある。しかも妻の百合子には極秘にして。

 そうした複雑な事情から、島村を無下に遠ざけられない。しかし余計な言動は絶対に封じる姿勢で臨む必要もある。

「特に予定は無いのなら、次の日曜日に新婚家庭にお邪魔して良いか?」

(来たぞ!来た来た!何か企んでいるな?)でも平静を装い

「ああ、良いぞ。そう言や島村は妻と顔を合わせるのは結婚式以来だったな?」

「そうだよ、あれからまだ一度も奥様の美しいご尊顔に拝していないし、ささやかな結婚祝いを持参して甘い甘い新婚家庭の様子を偵察に行こうかと思ってな。」

「結婚祝いなら、式の前にくれたじゃないか?ご丁寧にまたくれるってか?

 それは有難いが、あの賭けの戦利品のお汁粉10杯とは引き換えにできんぞ。

 あれはあれで重要な勝利の儀式だからな。」

「ああ、分かっているさ。だから結婚祝いと云っても、お前んちで酒宴を開くための酒と肴を持参しようと思ってな。

 奥様の前でお前の昔話をたっぷり聞かせてあげたいんだよ。な?いいだろ?」

「昔話?お前、やっぱり僕の恥ずかしい過去を妻に暴露しようと企てているんだろ?

 そんな悪だくみはよしてくれよ。特にあの時の彼女作りを賭けた一件は。

 妻の前では絶対内緒だからな!いいか!分かっているな!約束だぞ!」

 警戒心マックスで、島村に秘密の順守を約束させた。

「分かった、分かった、約束するよ。

じゃあ、今度の日曜の午後イチにでも伺うから、奥様に宜しく!」

そう言って島村の後ろ姿を見送った。

 

ヤッパリ、悪い予感しかしないんだが・・・。

 

 そして迎えた日曜日の午後。

 奴は酒と肴を引っ提げて玄関の戸を開けた。

「よう!俺だ!島村だ!来たぞ!」

 妻の百合子に引き続き、僕も玄関まで迎える事にした。

 あいつ、ホントに酒と肴をもって来やがった!

 真っ昼間から酒かよ!

 でもまあ、いいか。数少ない貴重な旧友だし。

 昔話に花を咲かせるのも、たまには良いもんだ。

 それに僕は品行方正で真っ直ぐな若者だったから(自分で言う?)、あの秘密以外暴露されても困るような行為はしていないし。

「あぁ、奥様、結婚式以来ですな。相変わらずお美しい。」

「あら、島村様、お口がお上手な事。主人が言う通りのお方ですのね。

 改めていらっしゃいませ。どうぞこちらへ。」

 島村は一瞬僕を咎めるように睨みつけ、

(コラ!秀則!お前、自分の妻に俺の事をある事ない事、何を言った?カッ!カッ!)

 と咬みつくような表情と仕草で、しかし無言で抗議した。

 僕も無言で応戦する。

(別に何も。あるがままのお前、秀夫の姿を予備知識として教えておいたまでさ)

 と感じ悪そうに、スンとすまし顔であっちを見る。

 

 玄関先にはマチス風(?)(マチスって誰?)の額が飾られ、新婚家庭の居間は小綺麗で上品な調度品が整然と置かれていた。

 そして畳の間に絨毯が敷かれ、外国風の凝ったデザインのソファーが二脚とテーブル。

 窓の外は隣の家に遮られ、決して良い眺めとは言えないが、日当たりは良かった。

 最初は妻の煎れたコーヒーで一息ついて、頃合いを見計らって島村のお土産の酒と肴が並べられた。

 いよいよ家庭宴会となり、まずは共通の職場である鉄道省の展望の話になる。

「お前は昔から変わっていたよなぁ。俺と一緒の学校に入学する前からお前は『鉄道』ってよばれていたなぁ。ホント、お前は変わった奴だったよ。」

「そんなに褒めるな。照れるがな。」

「別に褒めてないし。変わり者だって言っただけだし。

 お前は小さい頃からの熱血鉄道小僧だったそうよな。

 何でそんなに鉄道が好きなん?鉄道省の将来にどんな展望を持ってんねん?」

 旧制三高(現京都大学)時代の癖が抜けず、ふたりとも次第に関西弁と標準語がちゃんぽんになってくる。

「そう!それヨ!

 僕の目指す鉄道の将来はナ、利用客をアッと言わせるような凄いシステムを構築する事サ!百合子もこっち来て一緒に聞いてくれ!」

 そう言っていつものように百合子を隣に座らせ、得意の演説をぶった。

僕の目標とする鉄道はね、例えば東京市内を走る環状線を作り、一分ごとに次の列車が走るような世界。ね、凄いと思わない?一分毎に次の便が来るなんて、世界中何処を探したって無いだろう?

 そんな素晴らしい鉄道に、普通の人たちが普通に乗りこなすんだ。

 僕は夢のような世界を作りたい。皆んな目を丸くして驚くぞ!

 だけど一口に鉄道と云っても機関車本体や客車だけを指すわけじゃない。

 運行を維持させるすべてのシステムが高度に機能して初めて良い鉄道って言えるんだ。

 然るに我が国の鉄道を取り巻く現状は、未だ高度とは言えない。

 だがこれは我が国に限った事でもない。

 島村は鉄道先進国ドイツの現状を知っているだろう?

 あの国の高度な鉄道システムを支えているのは、充実した徒弟制度にある。

 何も学校の修学率が我が国より劣っていても、鉄道の運行が我が国より高度なのは何故か?

 それは小学校や中学校まで行けなくても、ドイツに限らず、ヨーロッパ諸国にはギルド制度(職業別組合)が息づいていて、しっかり機能しているからだ。

 だから親方が徒弟にしっかり技術の伝承を行えば、(鉄道に限らないが)より高度な鉄道サービスが可能なのだと彼の国は実証している。

 だから日本でもそれらの一部を組み入れ、技術革新は専門学校や高等教育の学校等出身者に任せ、技術の伝承は徒弟制度を強化して任せれば良いと考えているんだ。 

 技術はなにも教室の中で講釈しなくても、親方が現場で何度も手取り足取りしっかり教え込めば維持・伝承できるってこと。いわばOJT(on The Job Training )職場内訓練、実地訓練を充実させれば無敵だってことさ。

 だが一部のセクションだけが突出していてはアンバランスだし、それでは口先の欠けた茶碗にお湯を注いだ時のように、欠片部分からこぼれ出し決して満杯にはならないんだ。

 だからそれぞれが孤立した独善的な実地教育をしていたんじゃダメ。

 信号区も保線区も検査区も一体になって歩調を合わせなきゃ満杯の茶碗にはならない。 

 だから鉄道は結束の固い一家でなければならないんだ。

 それは駅員もシステム開発部も同じ。

 すべてが一体の組織こそが鉄道一家と胸を張れなきゃ、誇れる鉄道システムとは言えず、それこそが目指す方向だと僕は思う。

 尋常小学校卒も、お前のようなエリート帝大卒も無い、鉄道一家の大事な一員としての帰属意識をそれぞれが持つべきだと思わないか?」

「オ!ぶったねぇ!やっぱり時々はお前の口からその高尚な講釈を聞かないと寂しくて仕方ない。俺は時々不安になるんだよ。」

「それって、今のは褒めているのか?」

「イヤ、いつものようにお前の演説はマンネリで進歩がないって、貶しているんだよ」

 そう言って島村は照れ隠しに、心と反対の言葉を吐き出した。

 

「ところで固い仕事の話はこれくらいにして、本題に入ろう。」

「本題?本題って何だ?」僕の心に警戒の暗雲が立ち込め始めた。

「もちろん、新婚生活の子細に決まっているじゃないか!

 今日はお前と百合子さんの甘い惚気のろけ話を聞きに遥々貴重な時間を使ってやって来たというのに、なにとぼけてんだ?

 今日は色々とトコトン白状してもらうから覚悟しとけ。

ねえ、奥さん。

俺からの土産話にこいつ秀則の武勇伝をたっぷり披露させて貰うから、旦那さんの恥ずかしい話も聞かせてくださいね。

特に旦那との出会いのエピソードなど、俺がいくらこいつに聞いても白状しなくてね。

その辺の所を特に詳しく教えて欲しいなぁ。」

 

(この裏切者!その件のキッカケについては絶対秘密だと固く約束したろうが!)

 僕は目を向き、歯を食い縛った表情のまま、立ち上がらんばかりに無言で抗議した。

「あなた、どうしたのですか?そんな顔して。」

「あ、イヤ、別に。」

 怪しい・・・と百合子は思い切り怪訝な顔をした。

 その二人の反応を交互に目撃した島村は「プッ!」と吹き出しそうになった。

 その後の会話は修羅場のような攻防戦の様相を呈する。

「あなた、わたくしに何か隠し事をしていませんこと?」

「隠し事?滅相もない。僕が君に隠し事をするだなんて、ある筈はないではないか。」

「そうかしら?あなたの反応を見ていると、妙に不自然なリアクションが目につくのはどうしてかしら?」

「それはホラ、島村の奴が危険水域の話題に触れようとするから、誰だって過剰反応するだろ?」

「危険水域の話題って何ですの?」

「危険水域は危険水域だろ!新婚家庭の甘い秘め事にズカズカ入り込んでこられたら、恥ずかしいに決まってるじゃないか!ナ?そうだろ?」

「そう?何だか微妙に違う事のような気がしますわ。

 ねぇ、島村様?」百合子の目が座っている・・・。

 自分の撒いた種なのに、自分に火の粉が飛んできて焦りだした島村であった。

 そうだ!話題を逸らそう!

「秀則君にとっての危険水域とは、百合子さんに対する恋心に決まっているじゃないですか。

 こいつは百合子さんと知り合った頃を境にして俺に百合子さんのことばかり口走るから、俺は閉口したってことですよ。多分。」

 

 何だか事態をややこしくしているような気がするが?

 僕がいつお前に惚気のろけた?

 大体知り合った当時の百合子は女学生だったんだぞ!

 まるで僕はロリコンの変態野郎みたいじゃないか?

 

 複雑な表情で『納得いかない』というかのような反応を示す百合子。

「まぁまぁ、時にゆりこさん、話は変わりますが、あなたの旦那と俺に異動の話があるのを知っていますか?」

「いいえ、私の旦那様は、その手の職場の話はとんとしてくださらないんですよ。」

「そうですか、そうでしょうね。こいつはそういう奴ですものね。

 実は秀則君と俺に人事異動の噂がありましてね。近々鉄道局技師に推薦されていると云うのです。

 今までも技師は技師でしたが、鉄道局への移動となれば、今の中途半端な鉄道省のただの技師から格段に権限が上がりましてね、こいつのこころざしを叶える第一歩となりそうなんですよ。」

「あら、そうなんですか?そんな事、主人は一言も教えてくださらないのよ。」

「だから俺がワザワザやって来たのは、結婚祝いもあるけど、その件についても話し合いたいと思いましてね。なぁ、秀則君。」

「そうだな、島村君は同じ技術畑でも、テクノロジー開発部門。

 僕は組織編成部門。二人が協力し合って鉄道省の明日を盛りてなければならない立場だからな。」

 いつの間にか双方が君付けで呼び合うのがちょっと可笑しいが、これが二人の昔からの関係なのだろう。

 その後は再び鉄道省の将来を語り合う様子を見て、百合子はそっとその場を離れ、夜が更けてくるまで白熱したふたりを見守った。

 

 その数日後、百合子の体調に変化が見られる。

 

 

 

 

   つづく

 

 


鉄道ヲタクの事件記録 第二話 「新婚生活」

2024-04-21 16:00:45 | 日記

「あなた、起きてください!会社に遅れますよ!

 朝ごはんを食べなくても良いなら、もう少し寝ていられますけど。」

 (慌てて飛び起き)「あぁ、イヤ、起きる。ああ、腹減った!」

 「あなたって本当に食べないと生きてゆけない方なのね。

  お付き合いしていた時もお汁粉に目が無かったようですけど、今でも三食キッチリお食べになって、更に再三間食なさっているって知っていますわよ。」

 「百合子は僕の事、単なる食いしん坊だと思っているでしょ?」

 「いいえ、そんな事は無くってよ。以前お兄様(義兄)が仰っていましたわ。

 『弟は生まれつきの胃酸過多のせいか、しょっちゅう何か口にしていないと生きてゆけない生き物なんだ。』って。あなたを見ていて合点がいきましたの。」

 「僕は蟒蛇うわばみか!もう~、兄貴ったら、そんな事まで百合子に言い触らしていたの?百合子には何でも話しているんじゃないか?って疑っちゃうよ!」

 「そうですのよ!私には強力なスパイ網がありますの。それらを至る所に貼り廻らせているのでお気をつけ遊ばせ。」

 「クワバラ、クワバラ!サ、飯にしよう!!」

 そう言って階下の食卓に逃げ込む秀則であった。

 

 僕の兄の嫁は百合子の姉。住まいが近いせいで緊密な関係にある。

 と云うのもそうならざるを得ない事情があったから。

 

 その事情とは『関東大震災』。

大正12年(1923年)9月1日に起きた地震のせいで、影山家の僕たち兄弟も、百合子の実家、藤堂家の姉妹も生活がハチャメチャにされてしまった。

 といっても、双方の実家はギリギリ地震による倒壊も火災も免れたが、僕が通った東京帝大も妻の母校誠蘭高等女学校も大きな影響を受けている。

 校舎の一部が壊れ、書籍や書類、備品が失われ、学校全体が茫然自失に陥っていた。

 それに僕の実家から工学部校舎までの鉄道も不通になり、復興までは地獄の徒歩での通学を余儀なくされたし、妻もそれは似たような状態だったらしい。

 苦学の意味は違うけど、僕らは確かにその点に於いて苦労して卒業した苦学生なのだ。

 そんな僕らではあったが、瓦礫と焼け野原をひたすら歩き続け、ようやく辿り着けたのが高輪に奇跡的に焼け残っていた『甘味亭』。

 そのお店のすぐ東隣一帯は、未だに復興できていない状態。だから僕にとって『甘味亭』は砂漠に浮かぶ命の綱のオアシスなんだ。それに多分妻も一緒だったろう。

 

 そんな学校の通学環境に加え、僕たちの結婚もそうだった。

 僕たち夫婦は東京会館で結婚したが、そこは兄夫婦が結婚式を挙げた式場でもある。

 1922年に竣工し、兄たちはそのすぐ後に挙げている。翌年1923年は関東大震災。東京会館は被災により営業停止。僕たちもそれに続く筈だったが、この震災のお陰で1027年の再開まで待たねばならなかった。五年も先だよ!

 両家の親は式場の格式を重んじ他の式場は考えられないし、そもそも他の式場なんて焼け野原と瓦礫から復活できない状況では無いに等しかったし。

 だから散々待たされた挙句の結婚・同居なので、百合子との関係はもう新婚とは呼べない程お互いを知り尽くし、倦怠感すら感じている。

 ただ、妻百合子は僕にゾッコンの所があり、決してぞんざいには接しなかった。

 百合子は自分と話すとき、僕は一生懸命分かってもらおうと汗をカキカキ説明しようとする。

 その姿が滑稽であり、可愛くも感じるらしい。

 結婚を式場再開までお預けされていた数年の期間、百合子は様々な質問を投げかけている。

「秀則さんはどうして鉄道省にお入りになったのですか?」

 そんなのは普段、僕に接していれば聞かずとも分かる筈の質問であるが、僕は「待ってました!」とばかり、説明する声が高揚し一気に声が弾むのが手に取るように分る。

 これまでも「駅名を次々と諳んじる」、父の赴任先で会得した「その土地の時刻表をお経のように暗唱する」などの特技を得意げに披露していた。

 僕は根っからの鉄道ヲタクであり、鉄道の話をするときほど生き生きして見えることは無い。百合子はその表情が大好きなのだ。

 だから僕が身に着けた工学部での技術を活かせる職種を選らんだのは当然であると百合子は理解している。

「どうして鉄道省?それはね、鉄道は一家だからなんだよ。

 機関車を動かす運転手ばかりが鉄道マンでないし、車掌さんだけでもない。

 線路の保全を担当する膨大な人数が関わっているし、信号を維持したり検査する人も必要なんだ。もちろんチョビ髭の駅長や助役だけでもダメだし。

 それらの人たちが心を合わせ、一致団結するために鉄道職員は一家でなければいけないんだ。

 転勤族の子の僕は、幼い頃から列車に揺られる生活に慣れていてね、線路を颯爽と走る力強い蒸気機関車に憧れていた。

 そしていつも線路を眺めるのが日課だった僕は、時折線路でなにやら作業をする人たちに目が留まってね。〘一体何をしているんだろう?〙って疑問に思ったんだ。

 ある日、真夜中にトイレに起きた僕は月明りに誘われトイレの窓の外を覗いたんだ。

 するとずっと遠くの線路でたくさんの人が見えてね。

 その時もこの人たちは何をしているんだろう?と思ったんだ。

 それから僕は線路に人がいないか注意を払うのが習慣になった。

 その謎が解けたのは、ボクが父の転勤で雪国に住むことになった時。

 降りしきる雪の中、多くの人が人海戦術で雪かきをしている様子を見たんだ。

 その時総てを理解したよ。

 あぁ、線路って人がいつも手を加えないと生きられない生き物なんだって。

 親が生まれたての赤ちゃんが一日一日すくすく順調に過ごせるように、無事に生き延びられるように祈りながら接すると同じでね、注意深く見守る人が居るって気づいたんだ。

 そんな地味に鉄道を支える人たちがいるから機関車が力強く疾走出来るんだってね。

 だからこんなに機関車も客車も美しいし、カッコいいんだって思えるんだよ。

 ね、凄いでしょ?

 僕が鉄道省に入った理由?

 そんな彼らに憧れたからだよ。決まってるだろ?」

 百合子はそう熱っぽく話す秀則がこの世の誰よりもカッコいいと本気で思っていたし、心から愛せる人だと確信していた。

 但し、彼女はそんじゅそこいらの撫子ではない。

 時折見せる悪魔の素顔がムクムクと顔を見せる時がある。

 

 「それは良く分かりました。

でも私にはもうひとつ疑問があります。

あなたは今でも私以外の女性に興味はありますか?」

「え?何で?」

「だってあなたはあの日、甘味亭で女性たちを盗み見て物色していたじゃないですか。

私はあなたのそんなところが今でも不安なんです。もしかしたらいつか浮気なさるのではないか?って。」

目を細め、疑惑の眼差しが矢のように秀則に降り注ぐ。

「物色?浮気?そんな訳ないでしょ!

 僕がいつ女性を盗み見たって?ボクがそんな男に見える?見えないでしょ?

 ほらね、そんな風に見える訳ない。」

 冷や汗をかきながら、そんな昔の事をむし返す執念さに心の中で震えた。

「あら、そうかしら?甘味亭でのあなたはいつも片手に本を持ちながら何か別の所を見ているみたいでしたわ。

でもそれは仕方ないって思っていますのよ。

女性に興味を持てない殿方なんて、結婚生活を不幸にするわ。

だから私はあなたが女性に興味を持つことが悪いと思っているのではなく、妻の私から誰かほかの人に心うつりしないかが心配なだけなの。

だから遠慮せず、どうぞドンドン他の女性を凝視してくださいな。

その代わり私だけを変わらず愛して欲しいの。」

ドンドン?他の女性を凝視?人聞きが悪い!

大体あの時他の女性を見ていたのは(百合子の前では他の女性を見ていたなど、絶対に認めないが。内緒ね。)

三高(現京都大学)時代以前からの悪友の島村秀夫から揶揄からかわれていたから。

だってあいつときたらある日の喧嘩中に、言うに余って僕の事【鉄道馬鹿の童貞野郎】って罵ったんだ。

「あぁ、僕は童貞だよ!」って両手を腰に当て胸を反らし、開き直ったら大声で笑うんだ。

「でもね、僕が童貞なのは、決して女性にモテないからでも、相手にされないからでもない。知的興味が鉄道にしか持てないからなんだよ。」

って言ったら、島村の奴、

「じゃぁ、それを証明してみろよ!秀則に彼女が出来たらお前の言う事を認めてやる」

「分かった。証明ね。僕に彼女が出来たら島村は僕に何してくれる?甘味亭のお汁粉五杯、いや、十杯でどう?」

「いいだろ、甘味亭のお汁粉十杯だな?その賭けに乗った!」

 それから暫くの間、島村は陰で僕を監視した。

 でも一向に彼女が出来る気配はないし、女性の前で気取ったポーズをとる僕を「プ!」と吹き出しながら笑っていた。

 「そろそろ勝負はついたな。」と言う島村に、「まだまだ!」と応える僕。

 その翌日だっただろうか?

百合子が僕の前に座って話しかけてきたのは。

「勝負あり!」

僕が島村からお汁粉十杯をせしめたのは言うまでもない。

(後から15杯にすればよかったと後悔した自分がいたが。)

だが、結果的に賭けに勝った僕だが、タイミングよく百合子が現れたのを一番驚いたのも僕だった。

 

そういう事情から百合子には我妻になった今でも絶対に知られてはいけない。

女性をチラ見していたのも、賭けをしていたのも。

 

 「もちろんいつまでも百合子の事、世界一愛し続けるさ!

僕が君一筋なのは、ホントは分かっているくせに。」

と恥ずかしいし僕らしくないけど、精一杯背伸びして惚気のろけてみせた。

 

それにしてもやはり百合子はいつ見ても美しいし、いつまでも飽きない。

あまりに見とれてチューしようとしたら、どこから出したか百合子の手から飴玉が僕の口にねじ込まれた。

「そろそろお腹が空いたとおっしゃる頃ね?」と、とり澄ましていう。

「あぁ、この黒糖アメ、丁度よい甘さだよ」と口の中で転がしながら言う。

万事こんな調子で新婚生活は甘く過ぎてゆく。

 

僕たち夫婦の新婚家庭は、双方の実家とも兄夫婦の家とも近い。

だから頻繁に行き来があるのは自然な状態だった。

ただ、両親も兄夫婦も自然なふりしてやって来るが、実は心配で仕方ないのだ。

だって、見合いの席でのあの奇妙な見栄の張り合いの会話。

誰だって思いっ切り不自然と感じたのは当然だった。

 

いつか破綻する。今すぐ破綻する。

そう確信しながら僕たち夫婦を覗き見るので正直鬱陶しいと思う。

でもホントの事情を知ったらそんな心配はしなかったろう。

僕はもちろん皆を安心させるべく、愛し合っている夫婦をアピールするが、時々悪魔の顔を見せる百合子はそうではない。

訪問してきた親や兄姉の前でワザとその悪魔の顔と性格を出現させるのだ。

 

「ねぇ、お義兄おにい様、秀則さんがお義兄おにい様は私のスパイなんじゃないか?って疑うのよ。そんな事ありませんよね?」

「はて?何のことだろう?」

 自然な調子でシラを切るが、百合子は姉有紀子を通して甘味亭での会話の内容を報告済みだったので、総て筒抜け。その後の付き合い方のアドバイスまで受けていた。

 だから兄秀種から弱みを握る攻略法などもレクチャーされている。

 ハッキリ言って兄は有紀子のエージェントとなり、裏からふたりを操る工作員でもあったのだ。何と油断のならない兄弟なのか?しかも義姉有紀子までが加担して。

 そういう経緯もあり、黒幕の兄夫婦は良心の呵責から(?)弟夫婦の行く末に責任を感じていた。(面白過ぎて興味が湧き過ぎ、夫婦間の仲を偵察に来たとも言う)

 事実の詳細を知らないのは私だけ。まさに道化師だった。

 それと両家の両親も悪魔の芝居の犠牲者だった。

 と云うのも、両親が来るときだけあの見合いの席のお芝居を続けるから。

 

 「ねぇあなた、この街が震災から復興して劇場が出来ましたら、是非クラシックコンサートに連れて行ってくださいね。」

 それに対抗して僕も

「百合子も茶道教室が復活したらまた通うんだろ?

 僕も百合子の習いたての茶を飲んでみたいな。」

 両親も知っている白々しい嘘をワザと話題に挙げる事で、今でも二人は見栄を張り合っているのか?と思わせている。

 それが両親に対する同情と注意を引く手段なのか?

 悪戯に心配させるだけの親不孝な行為だと思うのだが?

 

 百合子は思う。

 人間は善良に生きるだけが幸せの手本ではないと。

 ほんの少しの辛いスパイスが効くから、美味しい料理もある。

 塩をまぶさないおにぎりが美味しいか?

 抹茶の苦みが茶のうま味を感じさせる。

 

 だから私は秀則さんのスパイスでありたい。

 可愛い、飽きない、宝物のような大事なスパイスに。

 

 

 秀則は決して職場の話はしない。

 仕事を家に持ち帰らない。

 

 だが、いつも鉄道の話になると頬を紅潮させながら講釈する。

 そんな秀則が百合子は大好きだった。

 

 

 

 

 

    つづく

 


昨年秋に廃刊した『シベリアの異邦人』をリニューアルして再刊行しました。

2024-04-19 08:41:00 | 日記
#パブファンセルフ


 以前のバージョンは製本元から値上げの通告を受け、やむなく廃刊しました。
今回は本のサイズを縮小しコストダウンを図ったつもりでしたが、値上げ後価格と変わらず、あてが外れてしまいました。
 でも表紙イラストの画像が鮮明になり、サイズダウンにより手持ち感、読み心地感が改善されるなど、良い要素もあったため価格が高めだけど見切り発車しました。
 自主出版は製造コストがどうしても販売価格を押し上げてしまうのは、どうする事もできません。

 苦肉の策として、どうしてもお手元に置いておきたいと思って貰えるごく一部のご危篤な皆様を対象としましたので、ご承知おきください。


 連載の件ですが、
 先週UPしました『鉄道ヲタクの事件記録』第二話は、まだ構想がまとまっていません。
 今までの私の作品は、一話一話の更新ペースが比較的早かったのですが、今回から更新ペースを週一程度にして、その分内容を濃くしようと思っています。
 多分、第二話は順調にいったら明後日頃UPする予定です。

 ご期待ください。