uparupapapa 日記

ようやく年金をいただける歳に。
でも完全年金生活に移行できるのはもう少し先。

鉄道ヲタクの事件記録 第6話 嵐の前の幸せ

2024-05-19 07:26:39 | 日記

 僕が鉄道局技師になったのは人事の都合で予定から一年ほどお預けとなり、正式辞令が出たのは1929(昭和4)だった。

 転勤により職場環境が変わっても、職責の重さは変わらない。

 僕は秀彦の誕生以来、激務をこなしながら出来るだけ早く帰宅するよう習慣がついた。

 その前から職場内では『マイホームパパ』の印象が定着していたが、長男誕生の喜びようと云ったら、思わずニヤケてくる締まらない表情が尚一層の愛妻子煩悩亭主として名をはせていた。

 それにあれ以来、お手伝いさんのおアキさんは影山家に無くてはならない不動の存在となり、なし崩し的に家事全般を任せるようになった。

 夕食等の食事の憂いも解消している今、僕に家庭内の不安材料はない。

 玄関を開け、「帰った。」と云うのももどかしく、秀彦の顔を覗きに行く。

「あなた、お帰りなさい。

まぁまぁ、何ですか、お着替えもなさらずに真っ直ぐ秀彦詣でをするなんて。

まずは着替えてから、手を洗ってください。

そして我が家の王子様に謁見するのはその後にしてくださいませ!旦那様。」

「まぁ、良いではないか、奥方殿。

 我が家の嫡男、竹千代は息災であったか?

のう、竹千代殿。」

「あら、今宵は竹千代という名前ですか?

昨日は確か国松 ぎみ。大層な出世です事。ねぇオットー・フランツ?」

「オットー・フランツ?誰だ?それ?」プ!と吹き出し笑いながら問いただす。

「ヨーロッパの王様ですのよ。ご存じありません?」

「そうじゃなくて。そんな大仰そうな名前、秀彦にはそぐわないだろ?って言っているんだけど。」

「それはあなたの竹千代もご同様だと思いますけど。」

 そこにおアキさんが割って入り、

「さあさあ旦那様、(もうこの時は流石に秀坊ちゃまとは呼ばない)そんなところでいつまでも奥様と親バカ談議に興じていらっしゃらないで、早く御仕度ください。

 もうとっくに夕餉は出来ていますので。」

「ハイハイ、分かりました、ご家老様。」

と名残惜しそうに着替えをしに戻る。

 最近おアキさんは通いから住み込みで仕えるようになり、家事一切を取り仕切る家老というか、大番頭としての風格が増してきた。

 

 食事も早々にまた秀彦の顔を覗きに行こうとすると、

「お風呂が冷めてしまいますよ」と口うるさい。

 

 そんな毎日を半年も過ごしていると、もう秀彦の目は見え始めてきたのか、僕が顔を覗き込むとジッと見つめ返してくる。

 その時の気分により、ムズかる秀彦をあやしながら「べろべろバー」をすると、赤ちゃんなりに突然何が起きたか?とビックリして泣き止むのが面白い。

 そしてべろべろバーをした僕の顔を暫く注意深く伺い、やがて気づく。

 べろべろバーを目撃したところで、ムズかってきた事態の原因と状況は全く好転していないと云う事に。

 不満に思ってムズかってきたのに、現状は何も変わっていないなんて我慢がならない。

 そうして一段と不機嫌になる秀彦。再び「ワ~~ン!」と身をよじりながら泣きだす。

 その心理状態の分かり易い変化が面白く、見ていていつまでも飽きないのが新米パパとして新鮮で不思議で面白く思えた。

 

 そんなある日、僕の兄の秀種と百合子の姉(秀種の妻)有紀子との間に第二子が誕生するとの知らせを受け、僕と百合子とまだ赤ん坊の秀則を連れて入院先の医院に駆け付けた。

 そこには既に兄の秀種、4歳の息子秀夫、僕の両親である秀五郎、ハル、妻の実父 正得まさなり、母ナツの他、僕の弟の恒夫と、両家の家族一同が会していた。

 僕が到着すると兄の秀種が目で頷き、(来てくれてありがとう)と無言の挨拶をくれる。

 僕もそれに応え、無言で頷く。

 東京市の職員に採用されたばかりの弟恒夫は、「兄貴、遅いぞ!」と笑いながら小声で言う。

「まだ駆け出しのペーペーのお前と違い、僕は忙しいんだよ!」

「忙しい?ホントかよ。鉄道局の仕事もそっちのけで、秀彦ちゃんの顔ばかり覗いているって聞いたぞ。」

「誰から聞いた?そんな事。」

 道夫はその場に居る周囲の全員を視線で示す。

「あぁ?!何だよそれ!我が家の様子は筒抜けってことか?

 じゃぁ、もしかして、僕が到着する前にも我が家の噂をしていた?」

 一同、そうだよ!という様に「ウン、ウン」頷く。

 

「百合子ォ~、ダメじゃないかぁ、我が家の最高機密情報を流しちゃぁ~。」

「私じゃありません事よ。我が家の様子は機密情報ですか?大体私はあなたと一緒に到着したじゃありませんか。あなたが到着する前にあなたの噂をいつしたと云うのですか?

 それにこの場には私がイチイチ報告しなくても、我が家を偵察するスパイがウヨウヨ居るじゃありませんか。」

「偵察?スパイとは人聞きが悪い!皆お前たち一家の事、心配しているのだぞ!

 結婚して子供が生まれても相変わらず百合子は口が悪いな。」

 百合子の父正得がたしなめる。

 

 我が家の最高機密情報を筒抜けにされているのに、逆に窘められる僕たち夫婦っていったい・・・。

 

 僕たちが駆けつけた時は、丁度出産したばかりの有紀子さんと赤ちゃんの面会が出来るようになったタイミングだった。

 新生児室に移されたばかりの赤ちゃんと、母親が横たわっている。

「女の子です。母子ともに元気ですよ。」助産婦が明るい笑顔で告げてくれた。

「有紀子、よくやってくれた。ありがとう、ありがとう。」

秀種の目が潤んでいる。

「アラァ~可愛いわねぇ~目元が秀種さんソックリだこと!」

「こりゃぁ~美人になるな。」

 

 身内同士で褒め合い合戦が始まり、傍で見ていても幸せオーラがあたり一帯を包んでいるのが分る。

 後になり、この時が両家にとって一番幸せのピークだったな。そう振り返り思うひと時である。

 

 

 

 何故ならこの年の9月、遠くアメリカ・ニューヨークで株の大暴落が発生、世界恐慌の暗雲が日本まで及ぶようになったから。

 影山家は僕も父も弟も公職だったから、さほどの影響はなかったが、銀行に勤める兄秀種はそれなりの影響があったみたいだし、百合子たちの実家の藤堂家は投機で大損したようだ。

 家が傾くほどではないが、今までのような裕福な生活からは遠のくだろう。

 

 そうした両家の身内の様子より、世界規模で広がった不況の影響の深刻さが今後の日本の命運を決める事となるとは、誰も考えなかった。

 不況とは恐ろしいもので、これがキッカケになり後に世界大戦に繋がるとは・・・。

 

 

 このアメリカ発の大不況が巡り巡って日本の生糸の輸出が打撃を受け、日本は窮地に陥った。

 特に農村は悲惨で、貧困が進み生活のため娘を売るなど、社会の生活基盤が崩壊してきた。

 この危機を救うにはどうしたら良いのか?

 これを期に、閉塞した社会不安や産業を立て直すし活路を見いだすため、日本は『満蒙開拓』へ大きく舵を切った。

 その流れが満州事変に繋がり、日中戦争、太平洋戦争へと繋がった。

 

 但し、この戦争への流れを単なる侵略戦争と断じるのは早計である。

 なぜなら、この時満州はソロシアの進出で半植民地化していたから。

 ソロシアの進出は直接の日本への脅威だった。

 ソ連に限らずヨーロッパの大国は世界中を侵略し、多くの民を征服、略奪と隷属を強制していた。

 満州はまさにその植民地化される過程にあった。

 日本は満州でソ連に対抗し、動きを封じなければ、その国力差から日本がソ連にいつ力で屈伏させられてもおかしくない。

 他国に進出するための言い訳でも正当化の詭弁でもなく、そんな危機感からそうせざるを得ない立場にいたのだ。

 

 と云っても、ただ満州に武力で進出するだけなら、それはヨーロッパの白人の侵略と何ら変わらない。

 日本はこれまでの被征服者であるアジア人やアフリカの黒人の扱われ方に憤慨していた。

 当の日本人もアメリカに移民した際、不当な差別を受けている。

 自分たちはこれで良いのか?傍観は罪である。

 そうした思いが『差別を廃した王道楽土を作ろう!』と『八紘一宇』『五族協和』の理念を掲げた国家建設へと向かわせた。

 ソ連の侵略の動きにくさびを打ち、かの地に理想郷を作る。

 ただの言い訳として、満州進出のスローガンを掲げたわけではないのだ。

 とは言っても残念な事に日本は支配者であると勘違いし、有利な立場を利用し慢心した一部の人間が傍若無人で看過できない行為を働き、現地人の反感を買うような史実も存在したが。

 (因みに、『五族協和』の理念とスローガンは辛亥革命の際、中華民国の孫文が1912年南京演説で提唱している。もしかしてこの言葉、そこからパクった?)

 

 

 

 ただ、この史実は物語のもう少し先の話。

 話が大きく逸れたが、今後の展開の背景として大きく関わってくるのでそのおつもりで。

 

 

 秀則の鉄道局での仕事は、鉄道運営全般に関わる仕組みの構築にある。

 親友である島村の役割が機関車の開発というハード部門なら、秀則はソフト部門を受け持っていると云える。

 だから秀則は多岐に渡る膨大な難問を調整・解決に導くスペシャリストとしての道を歩んでいる。

 同じ技師でも役割が違う。それ故に島村はパートナーとは呼べず、しかし戦友ではあるのだ。

 特に秀則は人事に関わる調整(と云っても、人事異動を直接担当している訳ではない。各部署での人員配置の規模やスキル向上の方策や、技術水準・労働環境の調整などが主な役割である。)が一番の難問で、ここを上手くやらないと、鉄道運営そのものに支障をきたす。

 以前も少々触れているが、鉄道運営とはどの部門・部署が突出していても、どの部門・部署が欠損していても上手く回らない。

 例えば保線区の人員が不足していたり、ばらつきがあったら、安全なレールの確保が難しい。

 風雨などによる災害の復旧や、豪雪地帯の除雪体制に時間がかかるようでは円滑な鉄道運営はできないのだ。

 運転手や車掌の適正配置や駅舎管理、運営に必要な石炭などの物資の流通・管理なども人が行っている。

 それら全般に目を配り、適正に組織運営を構築する。

 

 先ほどの恐慌不況の背景でも触れたが、仕事に携わる従業員たちの生活に支障が出るような報酬(給与)や労働環境では運営継続は難しい。

 多少の不満は仕方ないが、支障をきたす程の劣悪な環境では鉄道に未来は無い。

 働く者、関わる者たちの希望を損なう職場ではダメなのだ。

 

 だから日頃からお互いが助け合い、協力し合う関係と仲間意識の醸造が重要であり、だからこその『鉄道一家』の強固な組織造りが大切なのだと、秀則は信じていた。

 だから机上のプラン作成だけではなく、各地、各部署の詳細な視察と検証を重視した姿勢で仕事に臨んできた。

 と云っても、秀則がひとりで全国を回り、ひとりで全部を背負い込む訳ではない。

 各点検項目を平準化しそれぞれの地方や部署で実施を徹底し、報告させる。

 そうした仕組みを作るのも技師としての秀則の仕事であった。

 

 当然地方への出張も増えてきた。

多忙な毎日が続くが、公私に渡りそれなりに充実した生活を送れてきた。

 

 

 

 僕の息子秀彦は2歳になり、危なっかしくて目が離せない。

「パパ~」

 僕が出張から帰って来ると、凄い勢いで走って来る。

 転びそうになりながら、何とか僕にしがみついてくるときが父親として一番嬉しい。

 但し、鼻水を垂らしたその顔で、僕のズボンに顔を埋めるのは如何なものか?

「アラアラ、秀彦!パパ、お帰りなさいでしょ?」

 妻百合子よ、そこは注意するところが違うと思うぞ。

 でもさすがに今では外国の王様のような変な呼び方はしなくなったが。

 え?僕?

 ぼくは相変わらず田吾作やら与平だの、思いつくまま好き勝手に呼んでいる。

 そういう時だけは、百合子は僕に的確な注意をしてくる。

 目を極限まで細め、厳しい口調で

「あなた!」と。

 

 

 

 昨日、島村が家にやって来た。

「実は・・・、結婚が決まってな。」

「え?誰の」

「俺の」

「誰と?」

「未来の嫁さんと」

「いつ?」

「それって、結婚が決まったのはいつかってことか?それともいつ式を挙げるのかってことか?」

「両方。でもその前に、未来の嫁さんって誰?」

「それは、ホラ、適齢期の女性だよ」

「それは分かってる。お前が男と結婚するなんて誰も思ってないし、子供や婆さんと結婚するとも思ってないよ。何処のどんな人かって聞いているんだろ。」

「お前に彼女の名前を言ってもわからないだろうよ。」

 

 段々イライラしてくる。

 

「そうじゃなくて、どんな人かって事は、どんな仕事をしているか?とか、どこのどういう家の人か?とか、人柄はどうか?とか、美人か?とか、そう云う事だろ!」

「だって以前、お前にお見合いした事を打ち明けたら、いきなり『別れなさい』って言ったじゃないか!おかげであの時のお前のせいで、上手くいかなくて破談になったんだぞ。

 あれですっかり懲りたのさ。今でもお前に報告するのを躊躇しているんだからな。言っちゃったから、もう遅いけど。」

「僕のせいか?だって僕は、お前の見合い相手に一度も会っていないじゃないか。

 むやみに人のせいにしてんじゃないよ!」

「とにかく正式に話が決まるまで、お前には内緒にしとこうと思ってな。」

「何だか複雑で面倒くさい奴だな!

 で?美人か?」

「美人だよ!」

「別れなさい。・・・なんてもう言わないよ。

 おめでとう!幸せにな。で、写真は?」

「これ。」

「オォ~!これは美人!」

「な?」

「性格は?」

「今はそんなによくは解らないよ。ただ、話をして楽しいし、品があって物腰も柔らかく優しいしな。」

「そうか。そんな素晴らしい相手なら、是非結婚式にも出席させてくれ。

 楽しみにしているからな。」

「おぅ!」

 

 こうして腐れ縁の悪友が身を固めた事を、素直に喜ぶ秀則であった。

 

 

 

 

 

       つづく

 


鉄道ヲタクの事件記録 第5話 長男誕生

2024-05-12 05:54:08 | 日記

 妻百合子が母ナツに連れられて高輪の実家に里帰りするのと入れ替わりに、通いのお手伝いさんがやって来た。

 彼女はおアキさんと云って、以前藤堂家(百合子の実家)に長年仕えていた元召使い。

 妻の里帰りでひとりになった僕がさぞ難儀するであろうと、母ナツのたっての願いで、秀則の家の掃除、洗濯、食事の支度を任されたようだ。

 ベテランだけあって、高齢ではあるが手際が良い。

 料理のメニューは煮物が多く年寄り臭いが、バラエティーに富んでいて且つ、家庭料理の暖かさと懐かしさがあり、とても美味い。

 ただ僕を「旦那様」と呼ぶのはムズムズして少々こそばゆい。

「おアキさん、その「旦那様」は何とかならないかなぁ~、その呼び名は若輩者の僕としてはとても相応しいとは思えないんだ。」

「アラ、そうでございますか?でも私、以前奉公させていただいた藤堂家では、ご主人さまの事を「旦那様」とお呼びしておりましたので、そうおっしゃられても、他に何とお呼びして良いものやら分かりません。」と困惑気味に応えた。

「そうだね、う~んと、そうそう、秀さんでいいよ。お互い呼び合うときは気を使いっこなしと云う事で。くれぐれも【お坊ちゃま】も無しね。」

「でもそれでは雇用主様に対する礼儀に反します。」

「大丈夫、だって僕は別におアキさんの雇用主じゃないし。給金は藤堂家から出る訳だし。そうでしょ?おアキさんの仕事は僕の身の回りの面倒はみるけど、僕との主従関係は成り立たないし。だから秀さんで決まりね。」

「そうおっしゃるならお言いつけ通りそういたします。秀お坊ちゃま」

「だから、お坊ちゃまは無し!」

「分かりました、秀さんお坊ちゃま。」

「ダメだ、こりゃ!」(この婆さん、意外と頑固で難敵かも?そう思った僕だったが、後に単なる天然と判明する)

 おアキさんが休みの日曜日は、藤堂家から百合子の母ナツや姉有紀子が代わる代わるやってきて世話を焼く。

 生活のサポートをしてくれるのは有難いが、その分口も出す。

「秀則さん、着替えの時は、脱いだ服を裏返しにしたままで放置しないでください。」

「秀則さん、朝起きたら、布団をぐちゃぐちゃにしたままは止めてください。畳んで押し入れにしまってくださいとまでは言いませんが、せめて起きた後くらい、整えてください。」(子供か!)

「秀則さん、トイレはきれいに使ってください。これでは子供が用足しをした後みたいですよ。」(やっぱり子供を躾けている?)

「秀則さん、百合子が居ないのを良いことにして、お酒を召し上がる量は程々にしてください。」(そんなに飲んでいないっしょ!)とムッとして、無言ながら目で抗議した。

「秀則さん、今日はお休みだからと云って、いつまでもボーっとしてないで、シャキ!としてください。」(余計なお世話!普段、仕事で謀殺されているのだから、休みの日くらい放っといて!)と抗えない不満が溜まる一方であった。

 と、休みの日は毎日が散々である。

 出会った当初、妻になる前の百合子は、甘味亭での意地の悪い追及から鬼に見えたが、実際に妻となり身の回りをしてくれるようになったら、女房初心者なりに一生懸命尽くしてくれたのだと改めて現在の境遇と比べ、甘い新婚家庭が懐かしく無様で情けなく感じた秀則であった。

「ああ、天使のような美しい妻が恋しい。」(妻の思い出を美化している?)

まだ里帰りして間もないのに、もう ホームシックに陥る秀則であった。

 

  だが、平日のおアキさんも休みの日の藤堂家の母も姉も、ある秘密の使命を帯びてやってきている。

  つまり、日常の秀則の様子を逐一百合子に報告しているのだ。

  浮気をしていないか?悪い虫がついていないか?

  そういった監視体制を怠らないのが百合子であった。

  もちろん、日常の暮らしで愛する夫に不便をさせるのは、妻として我慢がならないからと云うのが一番の理由ではあったが。

  その辺の意図を全く感じない程、秀則は鈍感ではない。

  でも今はただ、百合子のそうした思いに添った暮らしをしながら、やがて赤ん坊を連れて元気で帰ってくる妻の姿を素直に一日千秋の想いで待ち続けようと決めていた。

 

 そんな日常の中で、気晴らしと云えば、時々やって来る島村の存在。

  彼は立場は違えどこんな時、職場の戦友として頼もしい存在だった。

 

  鉄道省の仕事は国策事業。

 鉄道輸送分野は、殖産興業と国威高揚を支える重要な政策の根幹である。

  だから秀則も島村も、その期待される重圧に押し潰されそうになりながら、それぞれの立ち位置で職責を懸命に果たしてきたのだ。

「島村、今取り組んでいる蒸気機関の開発具合はどうなっている?順調か?」

「いや~ぁ、それが中々手ごわくて・・・。難航しているよ。(島村はその数年後、D51などの設計をしている)それに机上計算で設計が完成しても、実際の製造ラインがその精巧さについて行けるかも大きな問題だしな。

 お前の結婚相手を探した時と同じくらい、奇跡に頼らざるを得ないかも?」

「おいおい、失敬な奴だな。僕の結婚って、そんなに奇跡か?」

「違うんかい?」

「当たり前だろう!こんな好男子で、真っ直ぐな良い性格をしたこの僕を、世間が黙っている訳ないだろう?百合子と結婚したのは奇跡でも偶然でもない、至極当然の成り行きさ。」

「そうやっていつまでもトンチンカンに吹いてろ!」 

「あぁ、勿論さ!ところでそう言うお前の結婚はまだか?」

「ああ!人の傷口に塩を塗りにきたな?」

「そうじゃないだろ?人の恋路を焚き付けておいて、自分は蚊帳の外に居るなんて、許される訳ないって言ってるんだよ!」

「ああ、そうかい、お前にはいつまでも内緒にしておきたかったんだがな・・・。」

「内緒って!何だよ?それ?」

「ここでお前に打ち明けたら最後、一生謂れのない変な事を言われそうだから。」

「だから、そんな卑劣で姑息な事考えていないで、この僕を信じて打ち明けなさい。

 悪い様にはしないから。」

「何だよそれ?何だか悪徳商人かインチキ宗教の教祖様みたいだな。

 迂闊に信じたら、地獄の底に突き落とされそうに感じるんだが。」

 僕はワザと猫撫で声で、

「そんな事無い!信じる者は救われる、さぁ、僕を信じて言ったんさい。」

 そんな異様で危険そうな雰囲気に呑まれたせいか、(ンな訳あるかい!)島村はしんみり打ち明けた。

「実は・・・、先日ある人の紹介で見合いをしてな。」

「フンフン!」僕は思わず身を乗り出した。

「お前んとこのように何処かの御令嬢という訳ではないが、美人で教養があって、俺と話がよく合う優しい人なんだ。」

 

「別れなさい。」

 

「何だよ、急に!何で別れなきゃいけないんだ?」

「だって美人で教養があって、話がよく合う優しい人なんだろ?

 じゃぁ、島村には相応しくない。断言する!別れなさい!」

「何て酷い奴!何で相応しくないんだ?」

「だってな、島村の事は僕がよく知っている。邪悪で姑息で陰険で大酒呑みだってな。」

「大酒呑みは否定できないが、どういう理由で俺が邪悪で姑息で陰険なんだ?」

「忘れたか?三高時代、野球の地区予選で僕がショート、お前がサードだったな。

 あの時打順は、僕が5番でお前が6番だった。

 2対4で負けていた九回表、ワンナウト走者なしの場面で僕がヒットで出塁した後、監督のサインはヒットエンドランだったのに、お前はバントをしたよな。

 おかげで僕は2塁憤死、お前は次の7番バッターの二塁打で生還、一点をもぎ取っただろ?でも次の8番バッターが三振でゲームセットだったじゃないか。

 あの時、僕は皆から「あ~あ、影山がアウトにならなかったら、もしかして勝てたかもしれなかったのにな。」という言葉にならない、チームメイトの無言の圧力と非難に晒されたんだぞ!」

「そんな大昔の細かい事かい!だけどその時のお前の非難は筋違いだぞ。確かあの時、あれは監督が悪い!あの試合、監督はサインについての申し合わせで、事前に眉に手で触る時、右手の指2本ならバント、三本ならヒットエンドランて決めていただろ?

 だから俺は監督の指2本を見てバントしたんだからな。」

「嘘つけ!あの時監督は指三本だったゾ!」

「いいや、2本だった。」

「イヤ、3本だ!」

 ・・・・・。

 

 

 よくそんな昔の細かい事まで覚えているふたりだな。

感心したけど、その堂々巡りの言い合いは、全くの不毛だと思うぞ!

それに、島村の結婚問題からは、激しく逸脱しているんじゃないか?

 

 そんな二人だったが友は友。

 僕はそんな昔のわだかまりを水に流して、島村の結婚を素直に応援する事にした。

 何て僕は心の広い男なんだろう!

 

 後日、島村は相手の見合い写真をワザワザ見せに来た。

 ベッピンだった。

(その写真を見た僕の感想)前途は暗いと思った。(ホントに友か?)

 

 

 あの時の結果を敢えてここでは言うまい。

 

 

 話の舞台を本流に戻す。

 

 あれから月日は経ち、いよいよ百合子の出産のときはやって来た。

 

 知らせを聞いて駆け付けた時は、もう産まれていた。

 藤堂家では僕の両親や兄夫婦まで集結していて、無事出産の喜びに沸いている。

 父親の僕だけが遅れをとり、取り残された気がした。

 

 だってしょうがないだろ!緊急の出張で地方に行った後のとんぼ返りだったのだから。

 

「百合子、お疲れ様だった。よく頑張ったね。ありがとう!」

 部屋に入るなり、隣で横たわる赤ちゃんを見る前に、僕は妻を労った。

 妻は少々やつれた感じだったが、その幸せそうな表情はもう母親のそれである。

「あなた・・・、男の子よ。」

 それ以上の言葉は要らない。

 赤ちゃんは寝ていたが、偶然目を覚ます。

「ア!目を覚ました!」僕は目覚めたばかりの赤ちゃんの小さな掌に自分の人差し指を宛ててみた。すると産まれたてなのに、意外と力強く握り返してくる。

 その時初めて父親としての実感が湧いてきた。

 この子を一生全力で守りたい。そんな愛おしさを覚えたのも初めて。

「どれどれ、生まれたての金太郎のご尊顔をよ~く拝するか。」万感の想いで改めて我が子の顔に近づいてジッと眺める。

 聞いていた百合子の母ナツが直ぐ様反応する。

「金太郎?秀則さん、まさかこの子の名前を金太郎にするんじゃないでしょうね?」

「まさか!今思いついて、仮の名として金太郎と呼んでみただけですよ。」

「それは勿論ですよね。まさかこの子の名前を『金太郎』だなんて。そんな童話のような御ふざけの名前を付けるなんぞ、有り得ないですものね。」

 僕は(親族の前では迂闊に呼べないな)と思った。

 だがこれ以降、僕には変な性癖がある事に気づく。

 我が子の名をその時の気分で、いろんな呼び方をするようになったから。

例えば『桃太郎』とか、『乳乃介』とか、『泣き衛門』とか。

役所に届けるべき肝心な正式の命名はなかなか決まらないのに・・・。

「あなた、この子をいつもそんな変な名前で呼ばないでくださいな。」

 あまり変な名で呼ぶものだから、百合子は笑って抗議する。

「だって仕方ないだろう?ホラ、見てみなさい。今のこの足をバタバタする様子は、どう見てもバタ吉じゃないか!なぁ、バタ吉?」

「そんなにいつも違う変な名で呼ばれていたら、この子が成長しても自分のホントの名を憶えられなかったらどうするのですか?ねぇ、チャールズ?」

「チャールズ?この子は外人か!」

「じゃあ、ジェームス?ヘンリー?アンリ?シャルル?ルイ?」

「全部外人か?しかも王族?そっちの方が変だろ?」

 こういう会話をしているふたりの事を、親バカと呼ぶのだろうか?

 それもちょっと違う気がする。

 

 

 ようやく百合子の産後の肥立ちも回復し、元の我が家に帰ってくる日がやってきた。

 百合子の実家のメンバーは、いつまでも手元に置いておきたいがため、何かと帰宅の妨害工作をしている。

「今日は雨だから、秀彦を外に出すのは止めた方が良いわね。だってお風邪をひかせたら可哀想ですもの。」

(もうこの時は、考え抜いた正式の名を『秀彦』と名付けていた。)

「今日は寒いし、風が強いから明日にしましょうね。」

(いい加減にせんかい!)と僕は心の中で抗議する。

 

 でも流石に良く晴れた暖かい日になると、そのような都合の良い言い訳はできない。

 妨害工作のネタの尽きたナツさんは、観念して百合子と秀彦を渋々僕に返してくれた。

 と云っても僕の家までついてきて、いつまでも名残惜しそうなのは仕方ない。

 もしかしたら、そのままウチに居着いてしまうんじゃないか?と本気で懸念するほど、ふたりを溺愛している様子だった。

 

 ようやくナツさんが帰ると、百合子は

「ヤッパリ我が家ね。ホッとするわ。」

「え?実家より我が家の方がホッとするの?」

「勿論ヨ!だってあなたとこうしてまた二人になれるんですもの。それに秀彦。親子3人で水入らずね。」

「でもお手伝いのおアキさんも暫くは引き続き家を手伝ってくれるから、正確には水入らずとはならないよ。」

 そこへおアキさんがお茶を持ってきて

「アラ、私はもうお払い箱?お邪魔なのでしょうか?秀お坊ちゃま。」

「秀お坊ちゃま?」と百合子は目を丸くして驚く。そして次の瞬間「プッ!」と吹き出す。僕は言い訳しなければならなくなった。

「いやね、僕は『秀さん』で良いと言っているのに、おアキさんったら頑として「坊ちゃま」をつけるんだもの。まいっちゃうよ。

 でもね、おアキさん、勿論ちっともお邪魔なんかじゃないですよ。

 百合子が居ない間、おアキさんが居てくれてどれだけ助かった事か!

 これからも、もう暫くはヨロシクお願いしますね。

 百合子はまだ本調子とは言えないし、秀彦の子育てを考えると、まだまだおアキさんの助けが必要なのだから。」

 ウン、ウンと顔をしわくちゃにして、満足げに頷くおアキさんであった。

 

 

 秀彦が家に帰ってきて、ようやく落ち着いて顔を眺める事ができたような気がする。

 そうして気づいた事がある。

 秀彦は寝ている時間が多すぎないか?

 寝ている時、いつもバンザイの姿勢で手を頭の上に上げるのは何故?

 そんな姿勢でいるのは疲れないか?赤ちゃん特有の姿勢なの?

 何処の赤ちゃんもそうなのだろうか?

 

 秀彦はいつも百合子の傍らの場所を占めていた。

 ここは僕の居場所だ!と当然の如く主張している。

 まだ一言も言葉を発せないおチビちゃんのくせに。

 早く成長したお前と会話したい。

 どんなお話をしようかな?きっと反抗期には憎たらしくなるのだろうな?

 できれば一緒にキャッチボールがしたいな。

 大人になって、父と子でお酒を酌み交わす時が来るのかな?

 

 そのくせ僕は、今の母親が子を抱っこしているひと時を見ていると、この世の時間がこのまま止まれ!と強く願っている。

 

 矛盾しているね、笑っちゃうよ。

 

 この子の将来を全力で守りたい!

 父として夫として、今は明るい未来しか見えない秀則であった。

 

 

 

 

      つづく

 


鉄道ヲタクの事件記録 第4話 妻の目標と日記

2024-05-05 05:53:58 | 日記

 妻の体調の異変に気付いたのは、島村の来訪から数日後だった。

 相変わらず多忙な僕が妻の日常の微妙な変化が分る筈はないが、何か言いたげなのは流石に空気で読める。

 だがそれ以上の意思表示をしようとしない。

「あなた、行ってらっしゃい。」

「ああ、行ってくる。」

「お気をつけて。」

 

 この繰り返し。

 

 だが、それからまた数日後、妻の百合子は改まって

「あなた、お伝えしたいことがございます。」

「何ですか?」

「今夜は早く帰ってこられそうですか?」

(いつになく真剣な表情で突然そうこられると、身構えちゃうよ。)

「ああ、約束はできないが、百合子が早く帰ってきて欲しいと云うのなら、出来るだけ早く帰ろう。」

「そうしてくださると嬉しいです。」

「分かった、出来るだけ早く帰ろう。それじゃ、行ってきます。」

 

 百合子の言いたい事?何だろう?

 随分勿体ぶって念を押したな。

 何だかチョット怖い・・・。(脛に傷を持つ身、勘の鋭い百合子がそう改まるというのは今までなかったし、僕が何かしでかしたか?それとも島村関連か?)

 悶々としながら仕事に向かうのは心と身体に良くないな。

 悪戯いたずらにあれこれ考え悩んでも仕方がない。どうせ仕事が終わって帰宅したら分かる事だし、今現在分からないなら対策のしようがないし。

 え~い!なるようになれ!

 

 普段はあまり悩まないたちの秀則だが、こと妻百合子に関しては案外心配性で小心者なのかもしれない。

 

 そんな訳で一日中気もそぞろのまま強引に仕事を終わらせ定時に帰宅した僕は、玄関で待ち受ける百合子の表情を見て、僕にとって不都合な話題ではなさそうなのに安堵した。

 

「あなた、お帰りなさいませ。お待ちしておりました。」

「あぁ、今帰った。ところで折り入って話って何だね?」

「まずはお着替えを済ませてから。さぁ、どうぞ。」

そう言って居間へ誘う百合子だった。一息ついた頃合いに

「あなたに大切なご報告がありますの。

 今まで不確実の状態だったのでちゃんとご報告できませんでした。

 実は・・・赤ちゃんができたみたい。」頬を赤らめ俯く百合子。

「そうか・・・・。」

 僕は百合子の言葉の意味を認識するより、自分が持っていた懸念が払しょくされたことに対する安堵が先に立っていた。

 そして次第に聞き流していた百合子の言葉の意味を認識し、理解しようと思い始める。

 だが明晰なはずの僕の頭が働かない。

「あれ?今なんて言ったっけ?」

「赤ちゃんが出来ました。」

「誰の?」

「あなたの。」

「なんで?」

「そういう行為をしたから。」

「なんでそういう行為を?」

「・・・あなた様は『お馬鹿』でございますか?」

 

 

 そうして今夜のご飯は、いつものルーティーンから思い切り逸脱し、お祝いの出前の特上寿司と最上級のお酒が食卓に並んだ。

 もちろん僕の喜ぶ様が尋常ではかったのは言うまでもない。(と言っても晩ご飯がいつものルーティーンでなく、お寿司だったからではない。念のため。)

 

 その日以降、僕は百合子の体調を気遣い産休の里帰りをするまで残業をせず、定時で帰宅する日が続いた。

 これまで私が仕事に行っている間は、百合子の実母ナツがちょくちょく様子を見に来ていたが、娘の妊娠中の生活が心配な母は、かねてから実家に戻り過ごすよう説得している。

 ある日、切迫流産の危険があり緊急入院した時、たまたま母が来訪していたため事無きを得たが、それが引き金となり、当たり前のようにに母が百合子の付き添いを買って出る。

 その日、私がいつものように帰宅すると、誰も居らず母の置手紙がテーブルの上にあった。

『百合子が入院。入院先は○✖町の△◇総合医院。』とだけ書かれている。

 私は飛び上らんばかりに驚き、玄関で靴に履き替えるのも忘れ、スリッパのまま駆けだした。

 病院に到着すると、母が病室の中で娘の手を取り、すがりつくように居た。

 状況の説明を求めると、母は気が動転している状態から冷めやらず、どうも要領を得ない。

 たまたまその時病室に看護婦がやってきたので、改めて何故妻が入院しているのか?病名や容体、今後の処置や、いつまで入院するのか?等を聞きだした。

 看護婦によると、妻は切迫流産しかかって緊急入院する事になったが、今のところ胎児に深刻な影響はない事、母体も回復し予断を許さない状況ではない事、でも暫くは入院しなければならない事など説明を受けた。

 妻はまだ眠ったままだったので気がつくまで一緒にいたかったが、百合子の母が、

「緊急入院だったので何の準備もしていません。済みませんが、お着替えなど持ってきてくださいませんか?その間百合子は私が診ています。大丈夫、今の娘は心配いらない程落ち着いてきましたので。」

 と、そう言われた。でも僕だって妻のそばに居たいのに。

私は「着替えの準備とか、その他諸々の必要なものなど何も分かりませんが。」と云ったが、「ホントは私が戻って用意するのが一番でしょうけど、如何いかんせん気が動転して足腰が言う事を聞きません。明日にでも頃合いを見定めて家に戻りますが、今は動きたくとも動けないのです。百合子の大切な旦那様をこき使うようで心苦しいんですが、今はどうぞお願いします。」

 そう懇願されたらイヤという訳にはいきません。

 この僕が入院に必要なものを取りに帰る?何をどうしたら良いか分からないけど、ひとまず自宅に戻る事にした。

 

 さて、自宅に戻ってはみたが、何を持ち出せば良いものやら・・・。

 妻の物にしても何が何処にあるかもわからないし。

 取敢えず下着類は何処だっけ?箪笥の中、中・・・・。

 妻の物が一体何処にあるかも分からない自分が少々情けなく、イラついてきた。

 着替えの他に何か必要なものは何か?歯ブラシ?タオル?

 よく解らぬまま部屋の中を見渡し、箪笥の上の小物入れの一番上の引き出しを開けた。

 どうしてそんなところを開けたのか?自分でも分からないが、何も考えず開けてしまった。

 すると中には数冊のノート類が入っている。

「【私の目標帖】?【diary】?何だ?日記か?」

 また僕は何も考えずパラパラと中を見てしまった。

 こんな所をもしまた島村に見られたら「ダ~メなんだ、ダメなんだ!」と囃し立てるように鬼の首を取るだろう。

 妻とは言え、人の物を盗み見する趣味は無かったはずなのに。

 自分がそんな恥ずかしい人間に成り下がるのは自分自身許せないが、偶然手に取ってパラパラしてしまったものは仕方ない。(どう仕方ない?!)

 最初に目に入ったページには、百合子が女学校時代に書き記したらしい記述が。

 

 そこには普通の(?)女学生らしい願望が記されていた。

『全科目で学年一番になる』から始まって、『在学中に素敵な王子様に出会う』とか、『道を行き交う男性から笑顔が綺麗と思われるような洗練された女性になる』とか・・・。

 その記述は進むにつれより具体的になってきた。

『一年以内に雑誌【モガ・モボ】(モダンガール・モダンボーイが当時のトレンド)の表紙を飾る』とか、『それを皮切りに二年以内に映画のヒロインになる』など、結構攻めた過激な事が書かれていた。

 嘘だろ?百合子がこんな身の程知らずの向こうみずな野心家だったなんて。

 今彼女がこれを改めて読んだとしたら、きっと〘自分の黒歴史〙だと思うだろう。

 悪いが読んでしまった私まで恥ずかしくなってしまったくらいだから。

 

 だが、最後に書かれたページを見て、もっと恥ずかしくなり驚愕した。

 

『秀則さんのお嫁さんになる』と書かれていたから。

 

 これはいつ書いたのだろう?ここには日付が無い。

 罪を犯しついでに改めて重罪を犯す事にした。なんと私は罪深い生き物なのだろう?

 それは即ち、妻の一番人に見られたくないであろうはずの『diary【私の日記】』を手に取ってしまったから。

 

 だって百合子がいつの段階で、どういうシチュエーションで僕にそんな感情を持ったのか?知らずにはいられないだろ?僕は今だけこの世の中で最悪な悪魔になる覚悟を決めた。

 この日記帳は私との初めての出会いから始まっていた。

 

 大正13年5月吉日 今日は姉の結婚式。

 有紀子姉さんの一生で一番の華やかな日。私が見た有紀子姉さんは、幸せそうで緊張している。文欽高島田がこんなに似合う女性ひとだった?疑わしい程素敵だった。

 でもそれと同じくらい印象に残る人がいる。

 父や母の晴れ舞台の様子より、強い印象を鮮烈に残したお方。それは秀種義兄の弟さん。秀則さんとおっしゃる私の王子さま。

 と云ってもまだ『私の』王子さまではないが、いつか必ず私の王子さまにしてみせる!

 あのお方は東京帝大の学生さん。でも少しも鼻持ちならないインテリっぽくなく、気さくで人懐っこいお人柄。それでいて他人に何か説明をしようとすると、ドモリがちに汗をカキカキ、一生懸命が過ぎて滑稽なくらい。

 私が「クスッ!」と笑うと、首を傾げて私を凝視するの。

 その眼差しのクリンクリンしたお姿が愛らしくて、愛らしくて、一目ぼれしてしまったわ。

 男の方なのに、なんて可愛いの?

 今度はいつお会いできるのかしら?

 その奇跡的だったり偶然だったりする日を一日千秋の思いで待ちわびるなんて、私にはできない。

 何としても策を講じて、もう一度お会いしてみせるわ!

 

 さてどうやろう?今から[私と私と私の間]で作戦会議よ!待ってらっしゃい!秀則様!

 

 ここでこの日の記述は終わっている。

 

 

 罪深い悪魔の僕に、ここで見るのを止める自制心はもう無い。

 恥はかき捨て、罪もかき捨て!あれ?こんな言葉あったっけ?

 

 僕は次のページを迷わずめくる。

 

 次からは巡る季節が綴られていた。

 

「6月1日 今日は一日雨。ツツジからアジサイの季節になってきたというのに、あの方に今日もお会いできない。

 傘を差しながら一緒に眺めたい。薄い青紫や赤っぽいピンクの花びらを見ながら、これはあなた、こっちが私。そんな会話が出来たらなぁ。」

「6月5日 今日も鬱陶しい雨。傘を差すのも飽きたから、目の前にあるお店の軒先で持っていた傘を下ろし、雨宿りとしよう。

 雨はまだ暫く止む気配はない。退屈しのぎにお店の窓の中を覗いてみた。

 すると、何と!あのお方が!あぁ、秀則様!どうしてこんなところに?

 お人違いかしら?何だか気取ってらっしゃるみたい。

 あのお持ちの本は何?やっぱり違う人?思わずお店の中に入り、コッソリ物陰に隠れて盗み見した。はしたない?ええい!構うもんですか!どうせ私ははしたない女よ!あのお方にお会いできるなら、はしたない地獄に落ちても構いませんわ!」

「6月6日 今日もあのお店に足が向かう。今日はいらっしゃるかなぁ?ドキドキしながら窓の外から中を伺う。

 あ!いらっしゃった!あのお方は今日も昨日と同じ本をお持ちになり、同じ姿勢で。一体なにが目的なのだろう?

 お話がしたい。でもあの状況の目的や意味が分からない以上、やみくもにシャシャリでてはいけないわ。もう少し慎重に確かめてみないと。

 明日はいらっしゃるかしら?絶対にお会いできますように。」

「6月7日 もう我慢できない!私の感情が溢れそうよ!あのお方は今日もいらっしゃる。

 よく見て見ると、持ったご本を読んでいる様子はないみたい。

 チラチラと周囲を伺うように視線を上げ、密かに観察するように見える。

 何をしようとしていらっしゃるの?辺りは女性ばかり。ここのお客の女性が目当てなの?でも、特定の方ばかり見る風でもないのね。どうしてだろう?やっぱり私にはあのお方にお声をかける勇気がない。頑張れ私!明日こそは!明日こそは!」

「6月8日 今日こそはと意を決し、お声をかけてみよう。

 あのお方に近づこうとすると、私の心臓の鼓動が乱れるのが分る。せっかくさっきまで辛うじて保っていた勇気がチリヂリに四散してしまったわ。

 ダメよ私!ここで逃げたり引き下がったら、絶対に後悔するもの。

 四散した勇気を再び搔き集てあのお方のテーブル席に向かい、目の前に座る。

 けれど一向に気づかない。お持ちの本は時刻表?どうして時刻表?

 しかも今日はいつになくご本を読みふけるように没頭し、あたりを見渡すどころか、目の前の私にさえも気づかないご様子。私はコトリと咳払いをしてみた。

 ようやく私の存在に気付いたあのお方は、飛び上らんばかりに驚いていらっしゃる。

 やはりとても可愛らしいお方、胸がキュンとするわ。

 ここからが私の一世一代の勝負の時よ!さぁ、頑張れ!私!

 

 ようやく第一段階の目途がつき、私の生涯で一番の嬉しい日になったわ!

 早く明日にならないかしら?一刻も早くまたお会いしたい!楽しみで、楽しみで、夜も眠れそうにない。

 これが恋と云うものなのね。これが幸せと云うものなのね。

 

 おめでとう!私!」

 

「6月9日 今日はお会いする前に今後の目標を書き留めておかななきゃ。

 あのお方との結婚式まで具体的な行動を。

 まず、当初の作戦通り数学を教えてもらい、ふたりの仲を深める。

 恋愛の神様!どうか私にお味方ください。」

 

 その後の事は読まなくとも分かる。

 ここまで盗み見してしまった僕は、卑劣の誹りを免れない。

 僕の父は裁判所の判事。

 その息子である僕が他人の日記を盗み見て良いのか?

 確かに他人の日記を読んだだけでは罪にはならないのかもしれない。

 しかし、世の中には道義というものがある。

 良識というものがある。

 処罰されなければ、何をしても良い事にはならない。 

 妻の心情を図り知れず、どうして僕なんか?と今までは懐疑的だった。

 こんな思いで僕と接していたなんて・・・。

 そんな妻に内緒でこんな大事な内容を記した日記を読むなんて。

 妻に対する冒涜である。なんと卑怯者な僕。

 これは判事としての父の名誉を汚す行為であり、親不孝の愚息の誹りを当然受け止めるべきだろう。

 そして一番真摯に謝罪すべきは妻である百合子に対して。

 百合子よ、許して欲しい。

 だからと 言っては何だが、僕が百合子の日記を読んでしまったなんて、口が裂けても告白できない。

 一生この罪と秘密を胸の奥に隠し、共に生きてゆく。それが僕の運命なのか?

 島村とのくだらない賭けでさえ罪なのに、罪と恥の上塗りだな。

 

 こんな恥ずかしい男で、百合子に相応しいとは到底言えない不甲斐ない夫だが、一生をかけて百合子の夫として正当な資格を得られるよう、死にもの狂いで精進しよう。

 人として恥ずかしくないよう、せめてこれからは相応しい人格を得られるよう頑張ろう。

 

 妻が入院した日の秀則の固い決意だった。

 

 病院に着替えなどを持って行くと、妻は目を覚ましている。

 やつれていたが、この世で一番美しいと改めて思う。

 

「あなた、ご心配かけて申し訳ございません。」

「ウウン!」思いきり首を振る僕。涙が自然に出て来た。そしてかけがえのない人との思いが溢れ、寝たきりの彼女を抱きしめるように覆いかぶさる。

「エヘン!ゴホン!」義母が慌てて咳払いした。

「お邪魔のようね?でも私がいる事もお忘れなく。」細い目で皮肉っぽく義母が呟く。

「アレ?居ました?

済みません、お義母さん!ついウッカリしていました。」

(私の愛するおバカさん!)百合子がはにかむように、心の中で呟いた。

 

 その数日後、退院した百合子は義母に伴われて実家に里帰りする。

 

 

 

 

 

      つづく

 


鉄道ヲタクの途中ですが

2024-05-01 20:55:00 | 日記



日本人として知っておくべき、あの時代の日本人の使命を紹介します。
あの時代、過ちもあった。
     慢心もあった。
     傲慢もあった。

でも自分の信じる正義のために自らの生命を捧げ、統治する国のため賭けた者たちがいた。
真摯に統治する民に向き合った者達がいた。

それに比べて今の私たち。
できない言い訳、やらない言い訳なら、いくらでもできる。
それを誰も非難しない、非難できない。

ただあの時インドネシア独立のため、オランダからの独立戦争にインドネシア人独立義勇兵と共に、日本兵2000人が立ち上がり、1000名が生命を落とした歴史的事実は覆せない。
インドネシア独立に寄与した事実は誰も消せない。
彼らの行為を非難したり、歪曲する勢力(中韓米)が如何に侮蔑しても、準国歌の存在が歴史の書き換えを阻止し、拒絶している。



私は小学生の頃、学校で敗戦史観の歴史を学び、侵略と定義された戦争に参加した父を非難した事がある。

父は「戦争に行った事も無いくせに、知ったような口をきくな!」
と言った。

今、私はあの時の父に対する非難は誤っていたと、心から反省している。

誰にとっても自分の生命は大事。
でもそんなに大事な自分の生命の使い方を自分の信念のために捧げた者達を、今の私に非難する資格は無いと思う。

自分は敗戦後の平和という見せかけの安全圏に閉じこもり、人として意義ある事は何もせず、何もできずにいるくせに、自堕落で軽薄な享楽を貪る自分というダサい輩が偉そうに他人を馬鹿にしたり、非難する資格は無い。

そんな自分という醜い輩ではあるが、せめて今の自分にできる事をしたい。
残したい。

名誉のためではない。
自分がこの世に生まれた意義を無駄にしたくない。
だからそのために残りの人生を生きたい。

そしてこの日記を大切に残したい。