めも

『き☆ろ☆く
  と 
おぼえがき』

20220605(日)

2022-06-05 00:00:05 | 日記

今更でしょうが
『人生フルーツ』を鑑賞
独立行政法人都市再生機構(Urban Renaissance Agency)1955年日本住宅公団発足時入社し
多摩平・高根台団地・阿佐ヶ谷住宅等多くの団地を設計に携わりエースと言われ、
1969年高蔵寺ニュータウン計画設計等に係るなかでの葛藤他から300坪の土地を購入し
土に密着した生活を初めた津端修一氏と妻の英子氏の日常に密着。
草取りをした後昼寝をしそのまま生命を終えたそうです、
遺された英子氏は独りの身の丈に合った土との暮らしをしはじめ。
機会があったら鑑賞をお勧めする映画?ドキュメントです。

戦時中台湾から強制労働された学生と寝食を共にした台湾少年工・陳清順氏が作ってくれた印鑑を使い続けて
台湾で本の発売会に行った時に政治犯とし銃殺された陳清順氏の墓の前に印鑑を埋め(津端氏嗚咽、見ている人も嗚咽)
当時の軍歌(であっているのか・・)
Wikipediaウィキペディアからの歌詞
 ↓
台湾派遣軍の歌
作詞:本間 雅晴
作曲:不詳
著作権:消滅(詞)
一、
太平洋の空遠く
輝く南十字星(じゅうじぼし)
黒汐(くろしお)しぶく椰子の島
荒波吼ゆる赤道を
にらみて起(た)てる南(みんなみ)の
護(まもり)は吾等(われら)台湾軍
嗚呼厳として台湾軍

二、
胡寧(こねい)の戦(いくさ)武漢戦(ぶかんせん)
海南島に南寧(なんねい)に
弾雨の中を幾山河
無双の勇と謳(うた)われし
精鋭名ある南の
護は吾等台湾軍
嗚呼厳として台湾軍

三、
歴史は薫る五十年
島の鎮(しずめ)と畏(かしこ)くも
神去りましし大宮の
名残りを受けて蓬莱(ほうらい)に
勲(いさお)を立てし南の
護は吾等台湾軍
嗚呼厳として台湾軍
昭和十六年頃

太平洋戦争:第二次世界大戦が終わった頃からの台湾は混乱の極みの中
沢山の無辜の命が消えた時代

日本の敗戦から今年で77年


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