北国の春(1977) 千昌夫
映像はフジテレビ「夜のヒットスタジオ」より。
歌詞:Uta-Net
https://www.uta-net.com/song/1483/
東日本大震災発生直後、真っ先に千昌夫 氏に応援とテレビ出演の依頼がきたのは
台湾・香港のテレビ局からだった。
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2011年・春。
東日本大震災が起きてから、この歌を聴きながら自分なりに東北を訪ねる術を考えていた。
そうして思ったのが、比較的被害が少なかった会津地方への鉄道の旅だった。
ゴールデンウィーク中、できる限り新幹線を使わずに旅をする。
すでに緑一色の関東を北上、高崎線で高崎まで。
以下水上で乗り換えて上越線の新清水トンネルをくぐって、
季節を少し遡ったように早春の風景の上越を行き、
小出から只見線に乗る。
さらに山を登ることで雪景色になってゆく。
そして、またトンネルをくぐると福島県に入る。
午後3時過ぎ、只見に到着。
雪解け水が豊かな時期だった。
一日3便しかない路線なので、これに合わせての旅だった。
ここはかつて、僕のように北海道を思いながら首都圏で暮らす者たちが話し合っているうちに、
どこかへ行こうと旅行の話になり、一度訪ねた町だった。
あの時は夏で郡山でクルマを借り、途中夕立に降られながらのドライブだった。
その時きれいな川の水とそこにかかる鉄道の橋の風景に魅かれて、いつかまた訪ねてみたいと思った。
この宿はビジネス民宿の性格で宿泊者どうしで親睦をとる機会がなかったので、からだを休める旅に決めた。
テレビはさほど面白くもなくラジオは受信困難地区であり、夕食後は小さい電気こたつで本を読んで
眠くなったらすぐ床に就いた。
宿の人がよけいなサービスを嫌うせいか、廊下にインスタントコーヒーとマンガ本を置いてあることも
何も教えてくれなかった。(…それ位は教えて欲しかったなぁ)
宿泊者がクールなら宿のスタッフもクールなもので、朝9時には誰もいなくなり、自分もチェックアウトする。
お昼の便は午後1時(臨時便)までない。
駅の観光案内所で自転車を借り、公営温泉であったまったり、
手作りの洋菓子店でお土産を買ったり(いやー良い店でした)、
きれいなカフェで昼食をとって時間を有意義に過ごす。
只見の街、列車本数はかなり少ないけど、けっこう飽きないですよ。
またゆっくり訪ねたいものだ。
午後1時の会津若松行きの列車は臨時便で観光用のトロッコ列車だった。
そのため、トンネルが多いこの路線ではかえって寒かったなあ・・・。
進むごとに標高が下がり、只見ではまだ咲き始めだった桜が、会津坂下で満開となった。
きれいだったなあ……。
この後同年7月、こんどは被害の少なかった只見線の橋脚が同年7月の豪雨で流失してしまい、
只見~会津川口間は6年経った今もなおバス代行のままだ。
一刻も早い復旧を祈ります。
このブログをお読みの皆様にもぜひお力をいただければ幸いです。
「福島県・只見線復旧復興基金」
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005d/tadamiline-moushikomi.html
ほんとうは新幹線を使いたくなかったのだが、残念ながら東北本線はつながりが悪く、
やむなく郡山からは新幹線で東京へ戻る。
ちなみに、当時は仙台駅の新幹線ホーム等で大損壊が発生し、福島駅以北はまだ復旧していなかった。
(当初岩手県遠野も旅先に検討していたが上記の理由で不通のうえ、
宿の大半が復旧関係者で埋まって宿泊客を受け付けておらず、やむ無くあきらめた経緯がある)
映像はフジテレビ「夜のヒットスタジオ」より。
歌詞:Uta-Net
https://www.uta-net.com/song/1483/
東日本大震災発生直後、真っ先に千昌夫 氏に応援とテレビ出演の依頼がきたのは
台湾・香港のテレビ局からだった。
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2011年・春。
東日本大震災が起きてから、この歌を聴きながら自分なりに東北を訪ねる術を考えていた。
そうして思ったのが、比較的被害が少なかった会津地方への鉄道の旅だった。
ゴールデンウィーク中、できる限り新幹線を使わずに旅をする。
すでに緑一色の関東を北上、高崎線で高崎まで。
以下水上で乗り換えて上越線の新清水トンネルをくぐって、
季節を少し遡ったように早春の風景の上越を行き、
小出から只見線に乗る。
さらに山を登ることで雪景色になってゆく。
そして、またトンネルをくぐると福島県に入る。
午後3時過ぎ、只見に到着。
雪解け水が豊かな時期だった。
一日3便しかない路線なので、これに合わせての旅だった。
ここはかつて、僕のように北海道を思いながら首都圏で暮らす者たちが話し合っているうちに、
どこかへ行こうと旅行の話になり、一度訪ねた町だった。
あの時は夏で郡山でクルマを借り、途中夕立に降られながらのドライブだった。
その時きれいな川の水とそこにかかる鉄道の橋の風景に魅かれて、いつかまた訪ねてみたいと思った。
この宿はビジネス民宿の性格で宿泊者どうしで親睦をとる機会がなかったので、からだを休める旅に決めた。
テレビはさほど面白くもなくラジオは受信困難地区であり、夕食後は小さい電気こたつで本を読んで
眠くなったらすぐ床に就いた。
宿の人がよけいなサービスを嫌うせいか、廊下にインスタントコーヒーとマンガ本を置いてあることも
何も教えてくれなかった。(…それ位は教えて欲しかったなぁ)
宿泊者がクールなら宿のスタッフもクールなもので、朝9時には誰もいなくなり、自分もチェックアウトする。
お昼の便は午後1時(臨時便)までない。
駅の観光案内所で自転車を借り、公営温泉であったまったり、
手作りの洋菓子店でお土産を買ったり(いやー良い店でした)、
きれいなカフェで昼食をとって時間を有意義に過ごす。
只見の街、列車本数はかなり少ないけど、けっこう飽きないですよ。
またゆっくり訪ねたいものだ。
午後1時の会津若松行きの列車は臨時便で観光用のトロッコ列車だった。
そのため、トンネルが多いこの路線ではかえって寒かったなあ・・・。
進むごとに標高が下がり、只見ではまだ咲き始めだった桜が、会津坂下で満開となった。
きれいだったなあ……。
この後同年7月、こんどは被害の少なかった只見線の橋脚が同年7月の豪雨で流失してしまい、
只見~会津川口間は6年経った今もなおバス代行のままだ。
一刻も早い復旧を祈ります。
このブログをお読みの皆様にもぜひお力をいただければ幸いです。
「福島県・只見線復旧復興基金」
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005d/tadamiline-moushikomi.html
ほんとうは新幹線を使いたくなかったのだが、残念ながら東北本線はつながりが悪く、
やむなく郡山からは新幹線で東京へ戻る。
ちなみに、当時は仙台駅の新幹線ホーム等で大損壊が発生し、福島駅以北はまだ復旧していなかった。
(当初岩手県遠野も旅先に検討していたが上記の理由で不通のうえ、
宿の大半が復旧関係者で埋まって宿泊客を受け付けておらず、やむ無くあきらめた経緯がある)