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悪霊の100年 ファシズム計画

2019-04-22 20:26:22 | 日記
邪教カルトマフィア外道、天命尊徳会の降臨

1942年  岡山県英田郡美作で 牧野常二郎により 天命尊徳会が 岡山県内の教職員の関係者により 宗教団体の在家集団として 結成集会が  僅か21名により 平和主義、人類の栄光と 人間尊重教育等の 人間修業道場、中 行われた。

1942年の時代は 南太平洋戦線で苦戦中の中 国内では 金属製品、米の供出が ピーク越える 時期であり  平和主義等  逮捕 監禁される  時代背景でありました。 

故に 結成集会もある農家の作業場で 秘密結社のように  内密に行わました。 内枠は 教職員活動の中 平和主義、人間尊重主義等
禁止された 非合法活動 として地下活動になります。  津山市、岡山市、鳥取市、神戸市、大阪 遠くは 米子、松江、萩、広島
福岡、大分、愛媛、高松からも参加者がありました。  宗教の在家集団の集まりです  

岡山県内には不受布施派の日蓮系寺院がたくさんありました。
牧野常二郎の
本山寺は茨城県鉾田市にある日蓮日興派の 興門派の一寺院 中石寺でした。 この宗教寺院は 身延山久遠寺、富士大石寺、と同じ時期に 派生した 千葉成田妙本寺の別格本山寺でした。  妙本寺の住職は幼少時代を美作で過ごし 中石寺に 住職として赴任していました。 牧野常二郎と 住職安倍日朝は 小学校低学年まで 家が 美作土居で 幼友達という間柄でした。 

牧野常二郎の平和主義の基本は子ども達を戦争で 失いたくない この一点だけでした。 
その平和を日蓮大聖人の 法華経に見いだし平和主義、人道の一大教職員による団体を目指しておりました。 牧野の東京時代の弟子に 戸口城内、名島雄一郎と二人が 東京時代の教え子関係になります。 中石寺の信徒で 興門派の曼荼羅 御本尊さまを いただいていました。 興門派の御本尊さまの力は 目を見張る威力、功徳がありました。 戸口城内は肺を患っていて 完治させていました。 宗教は慰めのものと  いうことが  当たり前の時代に病が祈って治している。 この実体験が 中石寺の御本尊さまに対す 絶対的確信になりました。  

1943年頃に  戸口城内は山木進一と 大阪 梅田の 闇市で 友人紹介で 出会っています。 山木進一は その時の戸口城内の 豪放磊落な人間 質問に対してすべて回答した 

質問の一つに  死後の生命は有るか否か これに明確な回答を得ていました。  それ以降 山木進一は大阪から 岡山市津島の戸口城内宅に毎週通いつめる 生活をしています。

山木は  敗戦直後から 戸口城内宅に 付き人となり 西日本を中心に折伏の 大進撃を 牧野常二郎から指令されていました。 

牧野常二郎は 治安維持法違反、不敬罪で 岡山県警に逮捕され 大阪刑務所に収監されていました。  彼は 敗戦の前月に 1945年七月深夜に 栄養失調と 癌により 急死しました。 牧野常二郎の 生前の 願業は平和日本社会、子ども達の満足な食事、 国家は 子ども達の未来を考えた 教育を 18歳まで 無費用にするものでした。  その基本を日蓮大聖人の仏教思想を基礎にしたのです。

戸口城内は牧野常二郎の死を敗戦後  知り

英田郡美作土居の生家に 津山線で向かい ました。汽車の中で は涙が枯れることはありませんでした。



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