公私共々において、怒りに囚われて、
悶々とした日々が続いていた。
イライラ、カリカリ、キリキリ
ムカムカ等の感情が振り払っても
まとわりついて離れず、
爆発一歩手前。
日本が銃社会でなかったことに
心密かに胸をなでおろす。
もし、そうであったなら
引き金を引いていたかもしれない。
原因は何だと問われると、
自分自身を否定された
ような類い。
そう、よくあること。
穏やかに否定されれば、ここまでの
怒りはなかったかもしれないが、
糾弾に近い言葉でかつ痛い所
突かれた。
けれど、怒りは、ねかせておくしかない。
下手に感情的になって反論すると
とんでもない方向に事が転がって
行く可能性がある。
暫くはその人から離れるしかない。
(距離ではなく心理的に)
するとどうだろう。
本当に怒りは小さく
なったような気がする。
勿論ゼロにはなろうはずもなく
倍返しの機会を探してはいるが、、、。
怒りは、ねかせて倍返しの
チャンスを伺う。
このような奥義を
早く会得していたとしたら
短気は損気ばかりの私の
人生も少しはマシなっていたかもね。
ああ、そうだ。迷いも同様。
迷っている内は、決断はせずに
少し、ねかせておく。
心が定まって自然と迷いは
消え去って行く。
早くこの奥義を会得していたら、
霧の中をさまよい歩くような
人生を送らなかったかもね。
なんてね。