(府中市郷土の森博物館のアジサイ 6月21日撮影)
もう一人の怖いおじさんは、上司の樋口部長です。
もう50年も前の話ですから、当時は当たり前でしたが、いまなら間違いなくパワハラ上司と大問題になるでしょう。もっとも、当時でも他部署からやりすぎ、とクレームもあって、それを「他部門は口だすな!」とはねのけたという話もあったほどの部長でした。もっとも、こんな上司、樋口部長に限らず当たり前のようにいた時代ではありました。
そんな樋口部長から、直接仕事の指示はないのですが、時々声を掛けられました。具体的な内容は忘れていますが、何やら文章にまとめたものを時々提出していました。
ともかく怖い部長で、女性以外の部員は全員呼ばれて怒られていたので、恐る恐る提出するのですが、まずは何も言われず突っ返されます。
最初は何故か分からないので、「どこが駄目ですか」と聞くのですが、何も答えてくれません。困っていると、課長や主任が席に戻るように声をかけてくれます。「もう一度見直せ」という意味だよ、と教えてくれます。
一応見直して、提出すると、再び突っ返されます。困ったときは、課長や主任にも相談しますが、こんなことが3回はくりかえされます。
その結果、やっと部長からの直接の具体的な指摘があって、4,5回目にはやっとOKがもらえました。
そうなのです、これは部長の教育法だったのです。考えてみるといい時代だったですね。今なら、こんな悠長な教育はしていられません。本社機構ということあったと思いますが、当時は、仕事が忙しくて連日残業、などということはない時代でした。
もっとも、この教育法、2年後に主任者試験があったのですが、その時に大いに役立つことになります。
それにしても、1年後に担当業務が変わるのですが、それからは部長からも直接仕事の指示が出るようになり、私にとっての怖いおじさんがいっそう強まることになります。
ともかく、最初は、具体的な問題点の指摘をされないので、なぜ怒られているのかも分からないのはいつものことでした。
名前を呼ばれて部長の指示を受けるのですが、〇〇〇〇君と君付けの時はまだ大した用事ではないのです。ちょっと問題があると、君が抜けて〇〇〇〇と呼び捨てになります。大問題の時は、〇〇と名字の頭2文字だけで呼ばれます。この時はさあ大変です。「はい!」とすぐ部長の前に跳んでいきます。そんな時は課長も一緒に跳んできます。
ともかく、怖かったですね。特に、担当変更後は、部長の目が常に光っているように感じ、いつ呼ばれるかと背中をぞくぞくさせて仕事をしていました。
本社資材部での仕事は4年半でしたので、樋口部長の下での仕事もそれだけ続いたのですが、「飴とムチ」というように、飴の部分もあった4年半でした。そのお話はまたしたいと思います。
(つづく)