(府中市郷土の森博物館のアジサイ 6月21日撮影)
ということで、11年半に及んだ独身寮の生活ですが、結構快適だったのかもしれません。夏などエアコンもなく、扇風機だけ、TVはありましたが、冷蔵庫も電子レンジもない生活だったから、今どきの若者なら、快適とはとても言えませんが・・・。
日々の生活について詳しくは覚えていませんが、山梨の2年間を除けば、朝夕の食事がそれなりに美味しかったことが快適と思えた一番の理由かもしれません。休日を除けば、大半の時間が会社での仕事、寮では寝るだけですから、食事は大事だったんだと今はそんな気がします。
寮での生活の一番の思い出は同期が4,5人いたので、彼らと休日を一緒に過ごしたことでしょうか。 入社後ほぼ近い時期の休日に皆と当時はやっていた歌謡曲で有名になった「伊勢佐木町」に早速出かけました。『こんなもの!』という印象でしたね。
山登りが趣味の岡君とは、2年目の夏休みに穂高・槍の縦走をしたのは良い思い出です。山といえば、自宅通勤でしたが、久保君がワンゲル部出身で、冬には群馬県の水上にあった大学の山小屋に寮の仲間と行って、久保君の指導でスキーをやったのも、青春してたな!と良い思い出です。
私の寮での役割は休日の食事当番です。学生時代は下宿で自炊していたので料理は得意だったのです。寮では冬のストーブも禁止だったので、室内では火は使えないのですが、違反して電熱器や登山用の石油コンロを使って料理を作っていました。作ったのはすき焼きが多かったですね。それと一番思えているのは、槙君が教えてくれた山形の地元料理「ひっぱりうどん」でした。
この料理いたって簡単な料理です。基本は茹でたうどんのつけ麺です。ポイントはタレです。準備するのは納豆、ネギのみじん切り、刻みのり、醤油、これらを混ぜて、うどんのゆで汁を少し入れるだけのものです。
これを4,5人の寮生が鍋をうどんの鍋を囲んで食べるのです。ともかく、どうということもない料理でしたが、やたら美味しかったです。今でも冬になると時に作ります。槙君、どうしてくでしょうね?
と、楽しんだ寮生活ですが、何といってもお年頃、結婚で次第に抜けて、結果的に残ったのは、金原君と私の二人だけでした。この二人だけの寮生活が7年程続きました。
そして、遂に私にも退寮の時期が訪れます。きっかけは金原君の結婚でした。彼から結婚の話を聞いて、さすがに焦りました。
焦ると人間何とかなるものですね。彼の話聞いて半年後には私の結婚も決まりました。結果、寮から5分の社宅に入居したのは、金原君とほぼ同時期でした。
寮での話まだあるのですが、新人時代の話から乖離してしまいましたので、この程度でやめておきます。
(新入社員時代:つづく)