(神代植物公園のアジサイ 6月8日撮影)
新人時代限定ではありませんが、今日は独身寮でのことを少し振返ってみたいと思います。
独身寮は横浜の郊外にありました。入社試験で利用したので、入社で初めて知ったわけではありませんが、横浜といっても、ともかく田舎でした。
最寄り駅は相鉄線の「三ツ境」そこから徒歩だと15分ほど、今はどうでしょうか、周辺には畑も多く、徒歩5分ほどに社宅があったのですが、その近くには養鶏場や牛舎もありました。
もっとも、今は三ツ境駅は駅ビルもオシャレに変貌しています。相鉄線はJRや東急と相互乗り入れして都心まで1本で繋がって、今は田舎と言ったらお叱りを受けそうですね。
そんな独身寮に入社と同時に昭和47年(1972年)4月に入寮、結婚して昭和58年(1983年)11月に退寮するまで11年半ほどお世話になることになります。(途中2年ほど山梨の工場に転勤になって、そこでも独身寮生活だったので、その2年も含みます。山梨転勤の話はまたしたいと思います。)
入寮したのは、鉄筋コンクリート3階建で2棟あった南側最上階南東角部屋10畳という最高の条件の部屋でしたが、ここは2人部屋でした。
入社日の2日前に入寮したのだと思います。入寮した日は一人でした。『この広さで一人、良いね!』と思った記憶がありますが、翌日同期の山本君が入寮してきてこの思いは簡単に裏切られます。
入寮した日のことでよく覚えているのですが、部屋に入ってしばらくして、隣に入寮した槙君が缶ビールを2本持って訪ねてきたのです。
山本君は営業所属で、勤務地も神田にあった営業所、しかも半年で退寮したということもあって、考えてみると特別な思い出もないのですが、槙君とはその後それなりの付き合いが出来ることとなりました。
ということで、入寮早々から槙君、山本君の二人の同期と知り合って、独身寮生活がスタートしました。
本日はここまでで、続きます。