(神代植物公園の大温室にて 8月22日撮影)
出勤日は覚えていませんが、1976年の10月上旬に山梨工場調度課に初出勤しました。
4年半の社会人経験がありますから、新入社員のようなドキドキの初出勤ではなかったと思います。残念ながらその日のことは何も覚えていません。
それと、転勤といっても、全く何も知らないところに転勤したわけではなかったからだと思います。というのも、同じ調達部門ということで、同課には定期的に打合せに行っていて、課長をはじめ主だった人とは顔なじみだったからだと思います。
詳しくは覚えていませんが、課員は安田課長をはじめ10名ほどでした。思いだせるのは男性が6名(安田課長、土屋、三枝、川手、沢田、私)女性5名(竹内、名取、名取、岩間、?)でした。それと、詳しく思い出せないですが、2,3年前から始まった注文伝票のコンピュータ処理のための、データ入力のパンチャーの女性が別に数名いた気がします。
私の担当は当面特にありませんでした。当時起こっていたトラブル内容は覚えていませんが、ともかく問題点の発見とその対策が私の任務ということでの赴任したので、課長の補佐的な仕事でした。
安田課長とは、本社時代に、課長が別工場の調度課の担当で仕事上のやり取りがあって、馴染があり、「自由にやっていいから」と任せていてくれました。
ということで、赴任当時は調度課での皆さんの仕事の内容をざっと覚えることに努めたのですが、見えてきたのは、データ入力の際の入力ミスのトラブルでした。それと、加工外注といって、図面にもとづいて外部の業者に部品を発注する業務で、品質不良などのトラブルが多いことでした。
そんなこともあって、まずはこれらの問題に手を付けることとしました。
本日はここまでです。次回はコンピュータのお話です。
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