昨日
娘の
調子が悪く
診察をお願いしてあり
行って来ました。
夕方の診察は
久しぶり。
薬局がとても
待たされるので
まずその話をして
ここ数日の娘の不調について
医師に話しました。
緊急で見てもらいたいと
お願いしていた
先週末前の時は
もう色々やりきって
お空に帰りたいと
言うような
心境だった娘でした。
先々週の本来の診察の時に
医師にアドバイスしていただいた
ように
B型作業所での休み方
について
20分仕事したら5分
休むと言うやり方を
話して
そんなふうに出来たことは
良かったのです。
でも、家に帰り
夜になり
あれもこれも
やらなければ
ならないと思う事や
集中すると
色々やり過ぎてしまって
また休めなくなるのでした。
薬を増やしてもらって
様子を見る事になりました。
兄弟でも
友人でも
同じ病気の家族が
いて
生活を共にして
いなければ
分からないこと
あるような気が
します。
病院との関係を繋ぎながら
B型作業所のスタッフさんとの
関係を繋ぎながら
娘を夫と2人で
後
15年位
見ていくうちに
私達夫婦も
だんだん高齢化していきますが
娘と同じ病気の方が
年齢をグーっと重ねるうちに
少し落ち着いて来て
もしかしたら
私達がいなくなっても
この団地で暮らせる可能性が
あるかもしれないし
もしその可能性が無いとすれば
娘の兄が
自分の住むところの近くで
グループホームを探して
1人暮らしをさせてくれる
ようになれば
そこで
またB型作業所のような
娘が働ける場所
居場所を作って
生きて行って
欲しいと思います。
20年以上
団地に住んで思うのは
ここに越してきた時
大変だった時に
助けてくれたと思う近所の人が
何の前触れも無く
引っ越したり
知らない間に顔を見なくなったり
親しくない方でも
ご不幸があり
お亡くなりになって
葬式に行く事はある。
だが
ただ
お隣に住んでいただけ。
あまり親しくない方の
葬式に行っても
そんなに話す事も無い。
祖母や母や父
夫の両親を見送り
段々と
私も
母や夫の母の亡くなった歳に
なっている事に気づいて驚く。
いずれ
私も
この世を去る日がくると
言う事だ。
私は
娘がまだまだ精神的に幼いし
私達亡き後
娘の兄が
面倒を看てくれると思う。
だが
娘自身が困らないだけの
身の回りの事を
自分で出来るように
なっていて欲しいし
3人で過ごした思い出の中に
娘が
思い出した時に
何か
生きていく時の
希望になるような
温かい
思い出を日々
作って置きたいと思う。
私が
先回りして
やり過ぎたせいで
娘は
SOSさえ
発する事も知らずに
ここまで来てしまった。
結局
先回り
し過ぎて
それが
娘の手足を縛ってしまったかも
しれない。
見守ると言う事が
いかに
難しいかと言う事を
今更ながら
痛感している。
徐脈と言われた2年ほど前から
私はエンディングノートもつけ始めた。
正直
財産なんて無いけど
無名の一般人の
学歴も何もそう大した
事のない自分の事を
そう書く事なんて無いけど。
ここまで生きてきたことは
私は奇跡のような気がする。
11月に実母の33回忌がある。
56歳で亡くなった。
皆に可哀想と言われる。
その事にすごく
残念な気持ちだが。
せめて弟や妹には
可哀想な人と言う
言葉を言って欲しくない。
母がいたからこそ
弟も東京に出て
大学に進学出来て
今があるのだから。
妹は
母の遺言のような
まだ高校生だった彼女の事だけを
心配して
亡くなった
事を
私は今
妹が50歳になり
優しいパートナーと仲良く
過ごしていると報告したいから。
母は
見守る事が
とても得意だった。
してあげる事よりも
見守り
その人の為になるように
励まし支える事の
方が難しい事を
還暦になっても
まだまだ
学び中である。
いつまで
生きられるか
わからないけど
私が出来ることは
娘が自立出来るよう
励まし支える事。
話を聞いて聞いて
56歳で
達観していた母を見習わなければ。
母が
兄弟仲良くと言い続けたように。
私もそれを信条として
生きる希望を与えられるように
生きて行こう。
娘と最近
公園を
朝早くに歩く。
今
良く行くのは
孫が9月に
帰省した時に
毎朝行った公園。
そこに
孫より2〜3ヶ月早い
男の子が
歩きにきていて
お母さんと
白いふわふわの毛のワンちゃん。
だいぶしっかりと
歩けるようになっている。
孫も
保育園の運動会があり
そこに座って
お母さんが
抱っこしてゴールしたらしいが。
久しぶりに
明日は
娘の2箇所の病院。
いつもは
夫が仕事を休んで
付き添ってくれて
何ヶ月か
娘の2箇所の病院には
付き添わず
家でゆっくりと
自分の時間を
過ごすことが出来た。
夫も3週間近く
風邪の症状が治らないが
漢方薬を飲んで
少しずつ
良くなっている。
仕事場の若い人も
1ヶ月近く
風邪が治らない人もいるらしい。
明日は
2箇所の病院の後
いつも2人の時は
行っていた
パン屋さんの
出来立てパンを食べられると
良いが。
チーズフォンデュ
を食べたいので
明日は
病院の後は
それを楽しみに
安い商品も買って
帰ろうと思う。
今
本当に
必要なものしか
買わない生活をしている。
後何日かは
朝手作りパンを食べさせているが
明日は
小さなおにぎりを朝食にしてもらう。
明日
もしかしたら
次の朝の
夫用のパンを一つ買うかもしれない。
そこのパンを娘は好きなので
塩クロワッサンや
チョコのパウンドケーキみたいなのも
いつも割安で
購入出来るので
たぶん
それはいつも買うから
娘は
苦手な病院の診察の後の
気分転換に
なるのではないかと
思っている。
この時期に
長い入院生活をした娘だが
その体験をしたことで
娘が1番大変だった。
そして
毎日のように
見舞いに行った。
好きなおやつを買って。
2度の入院で1年近く。
親も子も
本当に
これからどうなっていくのか
分からない
暗いトンネルの中に
入ったような
日々だった。
しかし
あの時の事があるから
娘の事を
夫婦共に
見るようになってきた。
症状と言うよりも
娘の性格的な
事が
生きづらくしている
面もあるので
今日はたまたま
そう言う話をする事が出来たが。
今
スイーツを作りたいと言う
気持ちが芽生え
youtubeで
簡単に出来るスイーツを良く見るように
なった。
娘が厳選して
1人で作ってみるらしい。
自分で
好きな事を見つけ
そう言う
楽しむと言うことに
繋がっていく。
応援したい。