milkの毎日

61歳の私が何気ない毎日の事をつぶやいて穏やかに家族と過ごしています

従妹と話をして思うこと

2024-05-24 12:40:00 | 日記
実家の空き家も新しい方に

引き渡して

次は

祖母が建立して58年

経とうとする目前の

10月に

墓終いを終え

父が檀家だった納骨堂に

移すことに決まり

県外から泊まりがけで

妹夫婦たちと

同じホテルに泊まる従妹と

最近

昔の話をしたり

墓終いの段取りを

弟がしてくれていて

それに則って

どう言う風に

していくのかを

話したり

している。

母は

私が10代の頃から

何回も入院していて

病気が悪くなって

亡くなっていくまで

色々な病院に付き添って

段々と

母と娘の立場が

変わり

でも

小さい頃から

あまり甘えたり出来なかった

私にとって

最後の病院と

その一つ前の

病院の

付き添い介護は

苦しい事も多かったけど

従妹も還暦になり

いろいろな体験を経て

感じてくれることや

私が覚えていることを

話して行くことで

従妹と叔母さんの

関係性も

良くなって行って

私の体験は

心の澱だったけど。

兄弟ではなく

従妹と叔母に伝えることで

私自身も

やっと

心の氷が溶けるみたいに

これから

もっと歳を取り

いつか亡くなって行く時に

手放せる事が出来るかもと

思えるようになってきた。

ずーっと

自分の中で

モヤモヤとして

きついことが多かった。

生まれる前の

前世で

徳を積んでいなかったのだと思う。

実家の片付け

墓終いと

兄弟だけで

大人になってから

会う機会が持て

少し離れていた

気持ちが

少しまた近づいて

良い距離感になり

また

都内の生活の方が

長くなって行く

兄弟にとっても

心の中に

故郷を思い出せる日が

出てきていると思う。

50代60代になり

親も亡くなり

また介護する立場になり

これから

自分たちも

いずれ

老いていくのだと言う

事実にも目を向け始めている。

明治生まれの祖母も

従妹が度々

言うように

家から見える

桜島が

私も最近本当に

愛おしく思えて

車で娘と

団地から降りていく

坂の途中に

左側に綺麗に見えると

ホッとしたりする。

こう言う気持ちで

明治生まれの祖母も

35年間

あの寒い実家で

50代半ばから

頑張って私達孫の事

日常の事

暮らしを丁寧に

節約して

生きていたんだなあと

感慨深く思うことだった。

2歳

2024-05-20 04:44:00 | 日記
孫の誕生日を

お家で祝ってもらったようだ。

2人目も

もうすぐ産まれる大きな

お腹で

孫の好きなアンパンマンの

ケーキを手作りされ

あちらのお母さんは

折り紙で冠を作って下さって

私達は


たまたまテレビ電話があり

「〇〇くん

2歳のお誕生日

おめでとう」と

言うと

お嫁さんが代わりに

ありがとうと言って下さった。

これから

彼も


2ヶ月ほどすると

お兄ちゃんになるが。

昨日の朝も

2年ほど寝ていたベッドは

次の子へ

譲られることになるので

パパと寝ていて

朝早く目が覚めたのか

私が何曲も

孫の要望に応じて

家カラオケで

アンパンマンなど歌っているすきに

さっさとベッドに潜り込み

私の歌を子守唄に

寝る体制に

入っていて

パパが気づき

バイバイした。

その時の顔も

ニンマリとして

見つかったかと

言う感じだった。

これからもよろしくね。

父のトランペット

2024-05-18 04:22:00 | 日記
30年以上前

孫もいないからだから

たぶん40年以上前だと思う。

トランペットの先に

ついている円錐状のマウスピースを

口の下に置いてプープーと

練習していた父。

私も中学校のクラブ活動の

時間に興味本位で入った

吹奏楽のあいているのが

クラリネットで

それもなかなか吹けるように

なるのに時間がかかり

父はトランペットは習って

いなかったと思う。

付属の布とオイルとクリームを

少量付けては隅々まで磨き

今回ハードケースの中を開けてみて

とても綺麗だったし

ハードケースの中の

青い布とゴールドのトランペットが

とても良い感じで輝いて見えた。

写真を撮り

6〜7枚載せてみた。

3名の方が

興味を持たれているみたいで

ほとんどトランペットとしての

音を奏でていないので

吹ける方が

この楽器の音色を楽しんで

使っていただけたら

父もあの世で

喜んでいるのではないかと

思う。

兄弟

2024-05-13 08:33:00 | 日記
今回

3人で

お寺での年忌

その後の

ランチ

あまりに話が長くなり

弟と妹は

一旦実家の方に行き

実家のお墓の管理している

方に出す書類があったり

また2月にあった友人達と

それぞれ

夕方から夜にかけて

飲んだり話をしたり

するようで。

昨日は雨の中

フェリーに乗り

弟と妹2人

妹所望の

ドレッシング

買えたのでしょうか?

今日は弟1人

また最終的な

契約を済ませて

実家の家は

私達の物ではなく

新しい人のもとに

渡ります。

8月

今度は

お墓終いの時に

また会う事になります。

今回

初めて聞く話など

良い事も悪い事もありました。

しかし

それぞれ

兄弟も

大人になり

社会人になり

これからの人生や

子供が私のところも

親になって

子育てをしながら

私達の年代くらいに

なったとき

この家の事

墓の事

お願いしなければ

ならないかもしれません。

そうなって

今回

父の死後

12年かけ

少しずつ

片付け

草刈りも年に三回以上

最後の片付けも

業者の方が驚かれるくらい

全て出して

捨てられるものは

清掃工場へ

捨てに行きました。

そう言う事も含めて

祖母が何故か取っていた

弟の高校生の時の学ラン。

小さめな箱に

弟の学ランを入れていました。

祖母の字でした。

何でそうしたのか

わかりません。

でも

弟はその話を聞いて

良かったと思います。

と言うのも認知症になった30年ほど前

父と祖母が

弟の家に行ったことがありました。

弟の小学生の時の

写真も持参して。

祖母は

少しずつ認知症が進んで

あんなに可愛がり

どこに行くにも

連れて行っていた

弟の顔がわからず

「ご親切に

泊めて下さり

ありがとうございます」と言ったのです。

普段は

あまりそう言う

言葉を使わない人でしたが

逆に

認知症になり

本当は真面目で優しい

人だったのでは

ないかと思います。

だからこそ

私達兄弟を

孫ではなく

子供のように思って

育ててくれたのだと思います。

父の13回忌

2024-05-11 21:14:00 | 日記
久しぶりに

列車に乗り

電車を乗り継ぎ

檀家のお寺に行きました。

和尚さんの息子さん

地元大学卒業後

仏教大学の通信で勉強中。

2人での読経

そして

認知症になる前の祖母の姿が

他の檀家さんやもう亡くなられた

先代の和尚さんと一緒に

大勢の檀家さんたちと

写っている中に

いました。

最後に

先代から引き継いだ今の

和尚さんからも

祖母の話父の話も

聞けました。

明日

実家の売却の手続きは完全に

終わり

また

墓の焼き直しの為の

書類も役所に出し

8月には

その時は

兄弟3人だけでなく

それぞれの配偶者や

弟の長男も参加し

和尚さんに墓じまいの為の

お経をあげていただきます。

また

納骨堂もお寺の4階の

どこにするのか決まってはいて

今回兄弟だけで

他の方の

納骨堂な感じを見させていただいて

開封しなければ

お酒も置いていたり

写真や手紙

小ぶりな造花など

弟から聞いていたのとは

違い

改めて

よく見る事もできて

中央には

お線香を上げるところもありました。

妹夫婦は

夫の方のお墓があるようですが、

将来的には

兄家族と一緒に

何かあれば

そこに入る事が出来るようです。

私達家族も弟が

どうかと言いましたが

宗派が違うことや

県外に息子家族がいるので

たぶんそちらの方の納骨堂とか

見て回る日も

くるかもしれません。

従妹も

これから

また弟や妹と一緒に

飲む機会が

あれば

将来的には

また遊びにくる事も

あるかもしれません。

祖母や両親が

残してくれた

家をお隣の叔母さんが

購入して下さり

本当に良かったです。

またお墓参りも

生花や線香を7月までは

私達家族で行き

お墓のすぐ隣の草もむしり

たまには

購入して

下さった

叔母さんに

挨拶に行こうかと

思います。

ご先祖様

本当に

ありがとうございます。