自分が知っていること、そしてできるものは宣伝美術(グラフィックデザイン)です。
写真も一端のものなら自分で撮れます。字や絵も書(描)きます。
ただ、デザインする対象(例えば僕の場合演劇など)となると知らないものの方が多いです。
舞台、演技、演出にしてもそうだし、扱われる題材までいくとほぼ無限大。ほぼ知らない。
刀の斬り合い。野球の駆け引き。大企業の働き方。女性の機微。
年老いた苦悩。美しい文章の追求。外国。物理。歴史。宇宙・・・
作るものの調査や勉強はしてます。それもデザインの楽しみの一つでもあるので。
でもそれが間違っていた場合。ありえますね。絶対あるともいう。
ある立場からすると失礼であった場合。ありえますね。
できるだけそうならないようにデザインするしチェックもしてもらいますが、
それでも知らないものは知らないし、自分も相手も勘付かないものは勘付かない。
今のところ小さい間違いはたくさんしてきてますが、炎上するレベルの失策はありません。
でもいずれそんな日が来る、そんなものを作ってしまう「可能性」は必ずある。
SNSが拡散するスピードと範囲が強烈に広がって、過去のものでも発掘されたり燃えあがるのを見ると
最近はものを作るのが怖い時代になったなと思います。
着物屋さんや阪急の広告の騒動を見てそう感じたりするなど。
写真も一端のものなら自分で撮れます。字や絵も書(描)きます。
ただ、デザインする対象(例えば僕の場合演劇など)となると知らないものの方が多いです。
舞台、演技、演出にしてもそうだし、扱われる題材までいくとほぼ無限大。ほぼ知らない。
刀の斬り合い。野球の駆け引き。大企業の働き方。女性の機微。
年老いた苦悩。美しい文章の追求。外国。物理。歴史。宇宙・・・
作るものの調査や勉強はしてます。それもデザインの楽しみの一つでもあるので。
でもそれが間違っていた場合。ありえますね。絶対あるともいう。
ある立場からすると失礼であった場合。ありえますね。
できるだけそうならないようにデザインするしチェックもしてもらいますが、
それでも知らないものは知らないし、自分も相手も勘付かないものは勘付かない。
今のところ小さい間違いはたくさんしてきてますが、炎上するレベルの失策はありません。
でもいずれそんな日が来る、そんなものを作ってしまう「可能性」は必ずある。
SNSが拡散するスピードと範囲が強烈に広がって、過去のものでも発掘されたり燃えあがるのを見ると
最近はものを作るのが怖い時代になったなと思います。
着物屋さんや阪急の広告の騒動を見てそう感じたりするなど。