普段から芝居の稽古場によく顔を出す方です。
役者だったらともかく、スタッフが練習中に顔を出すのは
打合せがあるとか気になる事があるときぐらいです。
それが普通。
ですが僕はそれ以外でもよく顔を出します。
経過を見ずに作る自信がないから、であり
見ないとヒントがないから、でもあり
稽古場という雰囲気が楽しく練習をする役者が楽しいから、でもあるのです。
3つめは案外大きい。
「訪問」という堅苦しさはなく「寄る」「会いに行く」感じ。
長年の習慣のようになってます。気楽に続けられるのは楽しいからです。
もしも
掛け持ち製作する作品が今よりどっと増え忙しくなったら
稽古場に顔を出すのは大変になるし、このスタイルは続かなくなりますね。
稽古場に通うこと。
もしもそれ自体に僕の宣伝美術活動の楽しみがあるとしたら?
仕事をもっと増やした時点でそれがなくなる事に悩むだろうか。
どうにもできなくて自分のスタイルを変える?だろうか。
いやもちろん通う事以外にこそデザインの楽しみはあるんですけど。
仕事が急増しない事が当たり前のように長年このペースで作品制作してます。
でもいつか、そうでない日は来るだろうし。自分の力が及ばないところで。
自分に良い事がずっと続くとは限らないと
ほんの一例ですが考えてみました。
まあそれでも作り続けるだろうな。
役者だったらともかく、スタッフが練習中に顔を出すのは
打合せがあるとか気になる事があるときぐらいです。
それが普通。
ですが僕はそれ以外でもよく顔を出します。
経過を見ずに作る自信がないから、であり
見ないとヒントがないから、でもあり
稽古場という雰囲気が楽しく練習をする役者が楽しいから、でもあるのです。
3つめは案外大きい。
「訪問」という堅苦しさはなく「寄る」「会いに行く」感じ。
長年の習慣のようになってます。気楽に続けられるのは楽しいからです。
もしも
掛け持ち製作する作品が今よりどっと増え忙しくなったら
稽古場に顔を出すのは大変になるし、このスタイルは続かなくなりますね。
稽古場に通うこと。
もしもそれ自体に僕の宣伝美術活動の楽しみがあるとしたら?
仕事をもっと増やした時点でそれがなくなる事に悩むだろうか。
どうにもできなくて自分のスタイルを変える?だろうか。
いやもちろん通う事以外にこそデザインの楽しみはあるんですけど。
仕事が急増しない事が当たり前のように長年このペースで作品制作してます。
でもいつか、そうでない日は来るだろうし。自分の力が及ばないところで。
自分に良い事がずっと続くとは限らないと
ほんの一例ですが考えてみました。
まあそれでも作り続けるだろうな。