芥川の続きとして編纂。
個人的に、救い難きを救うのが宗教の役目と考えてるので、芥川龍之介の描くお釈迦様は蜘蛛の糸だけで極悪人を救おうとした点で、最初から納得いかなかった。
なんともケチくさいお釈迦様だ。(勿論、小説としてのキャラであるが)
その点、惚れ惚れするのが、弥勒菩薩。
古代インドではマイトレーヤ、慈悲から生まれた者を意味している、仏となることを約束された未来仏である。釈迦が没して56億7千万年後にこの世に現れ、釈迦の教えで救われなかった人々を救済するといわれている。ちなみに56億7千万年後とは、比喩であろうが、太陽(太陽系)が消滅する長さとほぼ一致しているようだ。
弥勒の現在は仏教世界の中央にそびえる須弥山(しゅみせん)の上空にある兜率天(とそつてん)という天界で修行中と言われ、
その姿は、右足を曲げて左膝の上に乗せ、右手の指を頬に当てて物思いにふけるような半跏思惟像であり、これは将来どのようにして人々を救えばよいか「思い悩んでいる」とされている。
なんと!
「救い難き者たち」を救うために、56億年考えている(真摯に悩んでいる)訳である。
極悪人とも言えない、老若男女構わず、要するに「意に沿わない者たち」を一瞬で溺死させたり、焼き殺したり、永遠の灼熱に幽閉したりする存在とは、何とも相反する姿である。
では、その姿(特性)は、特定の人物が想像しただけの空虚な存在なのであろうか?
一概にそう言えないのが、心の世界の味わい深いところである。
続く