天空海闊

或る夏

小3の夏のこと、
近所で親しくしていた同い年の男の子が亡くなった。
りっちゃんと呼んでいたが、メンコの名手であった。
気風良く、自分のものをわけてくれたりした。

ある日学校から帰る途中、男の子の家から
「りつお~」と、声が響いた。

狂ったように嗚咽する母親に抱かれた、
見覚えのある横顔と手が不自然に白く
揺れているのが一瞬見えた。

近所の子ら数人で池に泳ぎに行き、皆と一緒に飛び込みんだまま浮かんでこなくて、

大人が駆けつけた時は手遅れであった。

水中メガネを外そうとしたのか、顔に沢山引っ掻いた痕があったと聞いた。

それから数日後、蚊帳で寝ていた私に
母親が目を赤くしながら語った。

「今、りっちゃんが帰ってきたよ」
「丸い小さな光があの家の屋根で消えた・・」

その後、父親の吹く何ともいえない尺八の音が、夕方になると聞こえていた。

この時期になると時々思い出す。




人々がこの移行(死)を迎える方法は、それぞれの年齢、
それぞれの文化、それぞれの時代や場所によって無限に
変化する。それを見たり、研究したり、学んだり、理解する
ことは、人の誕生と同じくらい大きな奇跡である。
というのは、死は人間の本性、人間の戦いと生存、そして
何よりも人間の霊的進化を理解する扉なのだから。
死こそ「なぜ?」とか「どこに?」という、すべての苦痛と
美を伴う生の究極の目的を知る唯一の手がかりを与えてくれる。
              E・キュブラー・ロス












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