↑桃の花とももこです。
ももこの毛ぶきは、最後の年が一番良かった気がします。
4日に渡って記事にしてきたアニマルコミュニケーションも、今回で終わりです。
こういう話が苦手な方は、どうかこの記事はスルーしてくださいませ。
ももこには、聞きたいことがたくさんありました。
印象としては、ももこはずいぶんと穏やかでした。
亡くなってからもう2年近くたっているせいもあったのでしょうか。
この家はももこと住むために買ったのにっていったら、それはちがうよって冷静に否定されました。
犬を飼うため、ももこだけのためではなかったと認めさせられました。
そしたらももこは、にこってしたそうです。
とても意外だったのは、ももこがとてもテキパキした印象だったことでした。
ももこは反応が1テンポ遅い子だったんです。
たとえば、おしまいっていったら、一拍おいて、伏せをするような子だったんです。だからのんびり屋のマイペースってずっと思っていました。
このときに、あーあの間は、考えてから行動してたからあいてたってことがわかりました。(汗)
病気のことをききました。
ももこは左の後ろ脚が骨肉腫で骨折して、立てなくなっていたんです。
ものすごく痛かったっていってました。
でもずっと隠してたともいってました。
ももこは自分の容姿がとても自慢だったようで、痛くてもずっとそのままでいたかったといってました。
脚を切ってまで長生きしたいとは思わなかったようです。
これは、私たちはとてもショックでした。
今でこの衝撃ですから、もっと前に聞いていたら、ちょっと立ち直れなかったかもしれません。
なぜなら、股関節ではなくて骨肉腫とセカンドオピニオンを聞きに行った病院の検査でわかったとき、選択肢として断脚を薦められて・・・・悩んだ結果、それでもももこの命が助かるなら、断脚しようともも父と私は決心したんです。
手術の日も決めて・・・・
脚がなくなるってわかったとき、ももこは
もういいかっ
って思ったそうです。そして、本当はがんばればもう少し長く生きられたけど、がんばるのをやめたそうです。
言われてみれば、お医者さまを変えて断脚が決まってからおよそ1週間で逝ってしまったんですよね。ももこ。
4本脚のままで・・・。
私はどんな姿になってもそばにいたいと願い、ももこは、その姿にたえられなかったようです。
確かにももこは立てなくなってもいい笑顔してました。明るかった。
ももこのためと思って決めたことが、ももこの意志に反してたんだと思うと
なんとも悲しくなってしまいました。
ももこはもうどこも痛くないから、悲しまないでって。ももこのためを思ってくれて決めたことっていうのはわかってるっていってくれましたけど、なかなかつらかったです。
もも父が傍にいない数分の間にいってしまった理由は、ももこらしい答えでした。
(もも父はこのことをものすごく気に病んでいます。なぜあの時ももこのそばをはなれたのか、なぜひとりで逝かせてしまったのか、今だに悔やんでいます。)
ごめんなさい。本当はそばにいてほしかったけど、ぱたぱたと命を終える準備をしだしたら、もう、ももこの意志でも体の機能がコントロールできなくて、もう数呼吸していたら、もも父に傍にいてもらえたんだけど、それができなかったのって。
もも父にごめんなさいって何度もいってました。
そして、今はそのことをとても悔やんでいるもも父の心配を、とてもしていました。
さくらについては、手のかかる子だったとのこと。
そうか、ももこがさくらの面倒をみてくれていたから、もも父と私は楽だったんだーって思いました。
さくらは物分かりのいい子って思ってました。知らないことだらけでした。
もも父には、今のままでいてくださいとのこと。
私には、お散歩はちゃんと長くしてあげて(ごめんよー手抜きがばれてました)と痛いところをつっこまれました。
また会えるって聞いたら、まだ生まれ変わるつもりないの。もうちょっとゆっくり考えるとのこと。
そっか、ももこと会えるのはもっとずっと先なんですね。
残念です。
ももこ親分に手下のさくらって感じだったんでしょうか。
姉さん肌の妹肌
ぴったりの相性だったようです。
白と黒。
静と動。
いっつもいっしょだったものね。ありがとうももこ、いろいろとさくらの面倒を
みてくれて。
他にも色々とももこは話してくれました。
移動が多い生活だったってそういえばいってました。よく考えたら、ももこが来てから4回引っ越ししてました。
旅行もたくさんいって楽しかったっていってくれました。
ログハウス風のところがお気に入りっていってましたが、これについては、ログハウス風って結構あるので、どこのことか今だにわかりません。
それからももこはもも父にコートのブラッシングをしてもらうのが大好きだったそうです。
それからアレルギーもちのももこのために色々と、ももこにあうごはんをさがしてくれたこともうれしかったっていってくれました。
ありがとう。
ももこ。
至らない私たちだったけど、ももこといっしょに過ごせて私たちもとても幸せでした。
このセッションを受けて、もし、この先裕次郎やひなたが病気やけがをしてそのことで何か決断をせまられたとき、セッションを受けてどうしてほしいのか聞く時間の余裕があれば、聞いてあげたいなと思いました。
やっぱり、ももこやさくらの話をすると湿っぽくなってしまいますね。
明日からはお気楽犬バカ親ばか、炸裂させます!
あっ、でも明日は雨、それもかなり激しそうですね。
おうちでまったりかな~
ももこの毛ぶきは、最後の年が一番良かった気がします。
4日に渡って記事にしてきたアニマルコミュニケーションも、今回で終わりです。
こういう話が苦手な方は、どうかこの記事はスルーしてくださいませ。
ももこには、聞きたいことがたくさんありました。
印象としては、ももこはずいぶんと穏やかでした。
亡くなってからもう2年近くたっているせいもあったのでしょうか。
この家はももこと住むために買ったのにっていったら、それはちがうよって冷静に否定されました。
犬を飼うため、ももこだけのためではなかったと認めさせられました。
そしたらももこは、にこってしたそうです。
とても意外だったのは、ももこがとてもテキパキした印象だったことでした。
ももこは反応が1テンポ遅い子だったんです。
たとえば、おしまいっていったら、一拍おいて、伏せをするような子だったんです。だからのんびり屋のマイペースってずっと思っていました。
このときに、あーあの間は、考えてから行動してたからあいてたってことがわかりました。(汗)
病気のことをききました。
ももこは左の後ろ脚が骨肉腫で骨折して、立てなくなっていたんです。
ものすごく痛かったっていってました。
でもずっと隠してたともいってました。
ももこは自分の容姿がとても自慢だったようで、痛くてもずっとそのままでいたかったといってました。
脚を切ってまで長生きしたいとは思わなかったようです。
これは、私たちはとてもショックでした。
今でこの衝撃ですから、もっと前に聞いていたら、ちょっと立ち直れなかったかもしれません。
なぜなら、股関節ではなくて骨肉腫とセカンドオピニオンを聞きに行った病院の検査でわかったとき、選択肢として断脚を薦められて・・・・悩んだ結果、それでもももこの命が助かるなら、断脚しようともも父と私は決心したんです。
手術の日も決めて・・・・
脚がなくなるってわかったとき、ももこは
もういいかっ
って思ったそうです。そして、本当はがんばればもう少し長く生きられたけど、がんばるのをやめたそうです。
言われてみれば、お医者さまを変えて断脚が決まってからおよそ1週間で逝ってしまったんですよね。ももこ。
4本脚のままで・・・。
私はどんな姿になってもそばにいたいと願い、ももこは、その姿にたえられなかったようです。
確かにももこは立てなくなってもいい笑顔してました。明るかった。
ももこのためと思って決めたことが、ももこの意志に反してたんだと思うと
なんとも悲しくなってしまいました。
ももこはもうどこも痛くないから、悲しまないでって。ももこのためを思ってくれて決めたことっていうのはわかってるっていってくれましたけど、なかなかつらかったです。
もも父が傍にいない数分の間にいってしまった理由は、ももこらしい答えでした。
(もも父はこのことをものすごく気に病んでいます。なぜあの時ももこのそばをはなれたのか、なぜひとりで逝かせてしまったのか、今だに悔やんでいます。)
ごめんなさい。本当はそばにいてほしかったけど、ぱたぱたと命を終える準備をしだしたら、もう、ももこの意志でも体の機能がコントロールできなくて、もう数呼吸していたら、もも父に傍にいてもらえたんだけど、それができなかったのって。
もも父にごめんなさいって何度もいってました。
そして、今はそのことをとても悔やんでいるもも父の心配を、とてもしていました。
さくらについては、手のかかる子だったとのこと。
そうか、ももこがさくらの面倒をみてくれていたから、もも父と私は楽だったんだーって思いました。
さくらは物分かりのいい子って思ってました。知らないことだらけでした。
もも父には、今のままでいてくださいとのこと。
私には、お散歩はちゃんと長くしてあげて(ごめんよー手抜きがばれてました)と痛いところをつっこまれました。
また会えるって聞いたら、まだ生まれ変わるつもりないの。もうちょっとゆっくり考えるとのこと。
そっか、ももこと会えるのはもっとずっと先なんですね。
残念です。
ももこ親分に手下のさくらって感じだったんでしょうか。
姉さん肌の妹肌
ぴったりの相性だったようです。
白と黒。
静と動。
いっつもいっしょだったものね。ありがとうももこ、いろいろとさくらの面倒を
みてくれて。
他にも色々とももこは話してくれました。
移動が多い生活だったってそういえばいってました。よく考えたら、ももこが来てから4回引っ越ししてました。
旅行もたくさんいって楽しかったっていってくれました。
ログハウス風のところがお気に入りっていってましたが、これについては、ログハウス風って結構あるので、どこのことか今だにわかりません。
それからももこはもも父にコートのブラッシングをしてもらうのが大好きだったそうです。
それからアレルギーもちのももこのために色々と、ももこにあうごはんをさがしてくれたこともうれしかったっていってくれました。
ありがとう。
ももこ。
至らない私たちだったけど、ももこといっしょに過ごせて私たちもとても幸せでした。
このセッションを受けて、もし、この先裕次郎やひなたが病気やけがをしてそのことで何か決断をせまられたとき、セッションを受けてどうしてほしいのか聞く時間の余裕があれば、聞いてあげたいなと思いました。
やっぱり、ももこやさくらの話をすると湿っぽくなってしまいますね。
明日からはお気楽犬バカ親ばか、炸裂させます!
あっ、でも明日は雨、それもかなり激しそうですね。
おうちでまったりかな~
そのことが今も気にかかっているというのはおなじですもんね。
それにももこちゃん、痛くて辛いのにそれを見せないように頑張っていたというのも、けなげで泣けてきますね。でも最後は自分の意思をとおして、自分の望む形で逝ったこと、
ももこちゃんらしかったんでしょうね。
ももこちゃん、さくらちゃん、それぞれ、何歳だったのですか?
大型犬の子は、長く患うことが少なく、突然アッとなくなってしまうことが多いようですね。近所にいたニューファンのこが、そうでした。飼い主さんは動けなくなったら動かせないし、どうしようって心配されてたんですけど、そんな煩わせることもなく。。、
私も、機会があればニーナのことを是非聞いてみたいなと思います。
今日はナナの命日です。天気よくなればお墓へいってきます。
みんな優しくて。。。言葉ないです。
気持ち聞けてよかったですね
このシリーズへコメント毎回ありがとうございました。
そうですね、ももこのことがきっかけでしたね。
さくらに関してはどちらかというとちゃんと空へ行けたのかが心配でした(^^;
信じる信じないと色々と主義があると思いますが、ももこらしい決断だったと今は思えますので、信じたいと思います。
それから、犬と暮らすのって素敵なことだなって再認識させられました。
わんこは本当にけなげですね。
お星様になっても私たちの心配をしてくれる子がほとんどと聞きました。ニーナちゃんもきっとEmiさんのことを心配してますよ。ママを悲しませてごめんなさいって。
先代犬は2匹とも12歳で虹の橋へ行きました。
ももこが歩けなくなった時、たまたま持病で私は休職していて、自宅にずっといたので、動かない脚を補助しての散歩で苦労はありましたが、まったく動けなくなったのは、なくなる2日ぐらい前からでしたね。
さくらなんて、看病をする間がありませんでしたから、本当にあっという間に逝ってしまいました。
もうちょっと面倒みさせてくれてもいいのにって思えるくらいに、具合が悪くなってから逝ってしまうまでがうちの場合もとても短かったです。
毎回このシリーズの記事にコメント、ありがとうございました。
まだまだ若いわんこには、老後のことなんて思わせるところなんてこれっぽっちもありませんが、彼らは確実にわたしたちの何倍も早く歳を取っていきます。
だからこそ、今のわんことの生活を楽しんで行きたいと思います。
sorusioさんも、若いソルト君とシオン君との今を思いっきり楽しんでくださいね。(まーすでに存分楽しんでいらっしゃいますよね(笑))