当家のルーツは、千葉県北部にある千葉県佐倉市の臼井城跡があります。
初代 臼井常康氏である。
臼井常安又は常康(臼井家初代)桓武天皇第11代の後裔。
臼井常康氏は、臼井城の初代の城主であり、
臼井城は、西暦1141年~490年間続きました。
九州筑前国の「臼井氏由来記」を転記する。
臼井氏の祖が臼井常安であることは、
どの文献においても変わりない。
江戸時代の初期から、
1623年、山口県山口市秋穂の地で
臼井(うすい)医院として開院し400年近く続きました。
山口県秋穂で12代目当主、
臼井博隆(うすい山荘2代目) (初代、臼井常康氏から数えると56代目)
1623年、秋穂の初代
太平の世へと向かう江戸時代初期
瀬戸内海・秋穂の沖合を臼井家の乗った大船が航行中、秋穂の回船問屋・小林家の船と遭遇し、
小林家の当主のたっての頼みを受け、山口県秋穂で医者のいなかった秋穂で医業を開く、
(キリスト教の信仰を持っていたと伝えられている)
以来、代々、長州藩の藩医として召し抱えられる。
長州藩は、「三本の矢」の逸話で知られる毛利元就の末裔、毛利家を藩主とする。
臼井氏は本姓は千葉といい平氏である。
祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわしんのう)(786~853)である。
臼井(うすい)家の元祖、臼井六郎常康(1106~1186)です。
千葉県にあった臼井(うすい)城の当主でした。
臼井の名は常安の代に現在の千葉県印旛沼の近くの臼井庄を領したところから始まった。
臼井の地名は現在2021年(令和3年)も残っており、常安は1114年(永久2年)にここに居を構えたという。
医業と車えび料理…かけ離れているようで、当地・秋穂の風土への愛着に基づくことには変わりありません。
幼い頃に医師であった父を、そして戦争で多くのものを失った母が一念発揮して開いた当店。
妻と引き継いだ時には秋穂名物の・車えびは、養殖・天然ともに知名度が低く「なにもない」と言えるような状態でした。
しかし皆様のお力添えもあり、今ではお客様が増え、現在では「この味が忘れられない」と重ねてご来店になるお得意様が絶えません。(2020年12月現在)
福岡県福岡市の西日本新聞社のうすい山荘の日曜版の記事が昭和58年9月18日に出て以降、8年かかって私博隆の2人で全国的に車えび料理を有名にすることができました。