うすい山荘の歴史
臼井(占部)家のルーツは桓武天皇にさかのぼる。京の都平安京を建てた天皇である。
臼井の名は常安の代に現在の千葉県印旛沼の近くの臼井庄を領したところから始まった。
臼井の地名は現在も残っており、常安は1114年(永久2年)にここに居を構えたという。
源頼朝と臼井氏──筑前国碓井荘を受領するまで
臼井氏は千葉介・上総介などとともに頼朝に仕えた。
頼朝の挙兵時は勿論、その後の平氏追討の時も西国に転戦し、又奥州の戦にも参戦している。
『臼井氏系圖』には臼井常安が「文治の頃源頼朝に随い勲功有り文治3年(1187年)筑前国嘉麻郡馬見荘、碓井荘500町を賜る」と書かれている。
千葉氏とともに奮戦した功績を認められてのことと思われる。
この時常安は元々の所領であった千葉臼井荘と同じ名前の領地を得て喜んだという話である。
西暦1623年に、
臼井の船が航行中に、秋穂の小林家と遭遇し、
当時、山口県に蘭学医の医師が居なかったので、
小林家の頼みを受け、秋穂に住む、
これが、秋穂のうすい山荘の始まりである。
今、うすい山荘、臼井 博隆(秋穂12代目)、
天然車えび料理専門、
うすい山荘、臼井博隆
電話 083-984-2426