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お山にお宮がたちました

鞍馬寺と牛若丸

子供の頃、母に牛若丸の絵本を読んでもらった記憶があります。

学校で習った時も牛若丸と源義経を繋げることなく、イメージを膨らませる事なく、ただ学びとして試験の点を取るためだけに暗記した記憶がよみがえります。

だから、ダメなのよ。全く残ってないんです。勉強をもっと面白くしなきゃと思います。

そんな私が鞍馬寺に源義経が預けられた話を知り、調べまくりました。保育園児だった頃、読んで貰った弁慶と牛若丸の話を思い出して何だか感慨深いなぁとなりました。笑


弁慶と牛若丸の動画はこちら(YOU TUBEより)


弁慶が999本の刀を奪い1000本目に牛若丸の刀を奪おうとしたが奪えず牛若丸の家来になった話です。



11歳の時に鞍馬寺に預けられた幼少名牛若丸こと源義経は鞍馬寺の天狗さんに武芸を磨いてもらったとか。そりゃ神懸かりますよね。




以下Wikipediaより


河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる)と呼ばれた。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷・屋島・壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となった。その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によって怒りを買い、このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼った。しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ、現在の岩手県平泉町にある衣川館で自刃した。


この紹介では自害したとありますが、生きて蝦夷に行ってアイヌの王様になったとかモンゴルに渡りチンギスハンになったとかいう伝説もあったりして、調べると面白いです。


事実は小説より奇なり。真実はわからないけど、人物のイメージを膨らまして歴史を学ぶと頭の中で歴史が動き始めます。源義経の魅力。鞍馬寺で幼少期を過ごした牛若丸だからこそ神懸かりともいえる力を手にしたのではないかとも思います。

私が教師だったら、牛若丸の絵本を読み、弁慶と牛若丸の動画をみせて、そして鞍馬寺の写真をみせ、牛若丸が鞍馬天狗に武芸を習い鍛えられた話をします。そして、源義経の魅力を伝え、神仏の尊さを話し歴史を教えます。そして、生徒の興味をそそり、あとの細部は自分達で探究してみなさいと話して、もし私が知らないような面白い話を見つけたら先生にも教えてね加点になりますと伝えます。笑笑。

なーんて、教師じゃないからそんな事はできないけど、そんな先生がいたら私も歴史とか大好きになってたかもしれません。




コメント一覧

marco8080さま
コメント有難う御座います。

私の中では猿田彦大神も天狗さんなのかなと思っています。山神様を祀る神社の基をつくられたのが渡来人なのですね。それは東へやって来たといわれる失われた10支族のことですか?

日本の不思議さが好きで調べた事があります。でも、やっぱりわかりません。

古代の渡来人が日本の礎をつくる手伝いをし、天狗とよばれる精霊になったのかなと思っています。

お宮ができた近くの山にも天狗高原があります。素敵なところですよ。日本って本当に素敵な国ですね。
コメント有難うございました!
marco8080
天狗とは記紀以前の日本の古代に大陸から来た渡来人だったと言われて居るのですね。だから鼻が高い。所謂、山を神聖視し修行を重ねる日本各地の神社の基を作った司祭級の渡来し日本に同化した人々。彼らは理想の国造りに政治にも、経験的によく熟知して決して表にはでることはなく(藤原氏のように介入し始めた人がいたが)、時の有能者をサポートしてきたのです。深く調べるとこの国の不思議さが理解されてきます。
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