ホイッスルバード あいざわぶん

生きて競馬を楽しむということ

そもそも祝祭日に興味がない私はカレンダーに近付き、
やっと「勤労感謝の日」なのだと理解した。
長いこと競馬屋だった私は、簡単に言えばサービス業
だから、皆さんがお休みの日には働いていることが多く、
赤い数字の日を覚えるつもりもなかったのだ。

 ・・・ 勤労者の皆さん、お疲れ様です ・・・

木曜の16時は土・日開催のJRA(日本中央競馬界)の
各レースの出走登録最終日になっている。
登録しても抽籤(くじ)の結果で出られない場合もあるが、
おおよそのメンバーがわかり、予想がたてやすくなる。

日曜・東京競馬場「国際GⅠ ジャパンカップ 2400m」が
待ち遠しい私は今(15時)、その発表を待っている。
そして(今年もジャパンカップと有馬記念が観られる)と、
感慨深い年齢になったのだ、と気付いている。

第1回ジャパンカップが開催されたのが1981年。
既に私は競馬屋だったので、地方競馬新聞に携わって
いるのを卑下していた。
実はJPのセレモニーに参加したかったし、TV観戦では
なくて東京競馬場で観られる立場で居たかったのだ。

記憶に鮮明なのは、インドから参戦した馬がロバ並みの
大差遅れでゴールしたこと。(観てて目が点になった)
更に驚いたのは後日知ったのだが、インドの厩務員(馬
の世話をするのが仕事の人)だけはセレモニー会場に
入れなかったこと。つまりカースト制度があるから身分が
低い厩務員を馬主と調教師は同席を許さなかったのだ。

日本の馬はなかなか勝てなかったのだが、今じゃ日本の
馬が勝って当たり前になっていて、これが実に嬉しい。

第1回目の開催時に、寺山修司はまだ生きていた。
私が競馬屋になったとき、後から寺山修司を思い出した。
(あっ、彼の影響が大きかったのだろうな)と。
で、短歌の世界に興味を持ち、自分も詠むようになって
から、(あっ、これも彼の影響なのだろう)と気付いた。

だから私にとって、寺山修司は最も影響があった人。
でも、馬券の買い方だけは全く影響を受けなかった。
だから今も競馬を続けていられるのである。

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