魚鳥木、申すか?申さぬか?

ぎょ・ちょう・もく、申すか?申さぬか?
申す!申す! 魚⇒ニシキゴイ。鳥⇒ニホンキジ。木⇒制定無し、花は桜と菊

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「46」

2018年01月09日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「46」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号046 
作者:曽禰好忠
author of waka:THE PRIEST NE-YOSHI-TADA(SŌ NE-YOSHI-TADA)

原文
由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな
(ゆらのとを わたるふなびと かぢをたえ ゆくへもしらぬ こひのみちかな)

現代訳
由良の海峡を渡る船人が、かいをなくして、行く先も決まらぬままに波間に漂っているように、わたしたちの恋の行方も、どこへ漂っていくのか思い迷っているものだ。

英訳
THE fishing-boats are tossed about,
When stormy winds blow strong;
With rudder lost, how can they reach
The port for which they long?
So runs the old love-song.

Nothing is known of the writer of this verse, but he is said to have lived in. the tenth century. The meaning, not very clearly expressed in the translation, is that the course of true love is as uncertain as the course of the rudderless fishing-boats. In the illustration we see the fishing-boat tossing about on a rough sea and the rudder duly floating away astern.

解説
 曽禰好忠(そねのよしただ・生没年不明)は平安時代中期の歌人ですが、詳しいことなどは伝わっていません。
 丹後掾(たんごのじょう)であったので曽丹後、または、これも略して曽丹などと呼ばれた人物で、「拾遺和歌集」などに好忠の和歌が残されています。

 この和歌は丹後に住む曽禰好忠が、都にいる恋人を思って詠んだ歌だと言われていますが、曽禰好忠が思い迷っている様子が、巧みな喩えで表されています。
 「ゆくへも知らぬ」は、上の句の「波に流される舟」と、次の「恋の道」とにかかっていて、不安な心の様を余情ある形で詠んでいます。

 ところで、「由良」という地名は、万葉集の頃から、紀州(和歌山県)にある由良港を指していたようで、長くそのようにとらえられていました。
 しかし、曽禰好忠が赴任していた丹後にも、由良川という名の川があるので、この和歌に詠まれているのは「由良川」ではないかと言われています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「45」

2018年01月08日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「45」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号045 
作者:謙徳公
author of waka:PRINCE KEN-TOKU(KEN-TOKU KO)

原文
哀れとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
(あはれとも いふべきひとは おもほえで みのいたづらに なりぬべきかな)

現代訳
(あなたに見捨てられた) わたしを哀れだと同情を向けてくれそうな人も、今はいように思えません。(このままあなたを恋しながら) 自分の身がむなしく消えていく日を、どうすることもできず、ただ待っているわたしなのです。

英訳
I DARE not hope my lady-love
 Will smile on me again;
She knows no Pity, and my life
 I care not to retain,
 Since all my prayers are vain.

The real name of the writer of this verse was Koretada Fujiwara; he died in the year 972, and Prince Ken-toku is his posthumous name.

Aware to mo means, in conjunction with the next line, 'that she would give me words of pity'; but aware tomo can also mean 'to meet as a friend.'

In spite of the Prince's fears, the illustration seems to suggest that his lady-love changed her mind, and came to visit him once more.

解説
 謙徳公(けんとくこう・延喜2年~天禄3年 / 924~972年)は藤原伊尹(ふじわらのこれただ・これまさ)の送名で、九条右大臣・師輔の長男で、関白・兼家の兄にあたります。
 娘の懐子の生んだ皇子が天皇になられたこともあり、天禄元年に右大臣、同二年に摂政太政大臣になりました。
 屋敷が一条にあったことから、一条摂政とも呼ばれましたが、謙徳公は和歌に優れ、「後撰和歌集」の編纂にも深く関与したと伝えられています。

 恋しい女性に届けられたこの和歌は、謙徳公の悩み苦しむ心のうちがよく表れています。
 自分の気持ちを直接訴えているわけではありませんが、恋に敗れた孤独感を詠むことによって、相手の気持ちに(深い恋心を)訴えているようです。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


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河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
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本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「44」

2018年01月07日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「44」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号044 
作者:中納言朝忠
author of waka:

原文
逢ふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
(あふことの たえてしなくば なかなかに ひとをもみをも うらみざらまし)

現代訳
あなたと会うことが一度もなかったのならば、むしろあなたのつれなさも、わたしの身の不幸も、こんなに恨むことはなかったでしょうに。(あなたに会ってしまったばっかりに、この苦しみは深まるばかりです)

英訳
TO fall in love with womankind
Is my unlucky fate;
If only it were otherwise,
I might appreciate
Some men, whom now I hate.

The writer of this verse was the son of Sadakata, a Minister-of-the-Right, and is said to have died in the year 961. The verse was composed at the instance of the Emperor Daigo, and is apparently written in praise of a life of single blessedness. The translation does not give the full force of the last two lines, which mean literally, 'I should not dislike both other people and myself too.' The illustration shows Asa-tada walking on the verandah outside his house, perhaps composing this verse.

解説
中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ・延喜10年~康保3年 / 910~966年)は、藤原公任が優れた歌人として取りあげた三十六歌仙の一人で、三条右大臣・藤原定方の子どもです。
大宰大弐などをへて、従三位権中納言にまですすみましたが、漢文にも優れ、和楽器である笙(しょう)の名手でもあったと伝えられています。

朝忠は笙の名手でもあったため、恋心を寄せる女性も多くいましたが、この和歌は、朝忠が失恋した時に詠んだ和歌だと言われています。
しかし、この和歌は、40、41番の歌と同じ、天徳四年の内裏歌合のときに詠まれているので、相手を特定したものではありません。
いずれにしても、「逢わなければ、恨むこともなかろうに」と、相手を恨むような形になっていますが、それとは反対に、「逢いたい」という気持ちが伝わってくるような和歌です。



★おススメ本★  

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河出書房新社


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本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「43」

2018年01月06日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「43」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号043 
作者:権中納言敦忠
author of waka:THE IMPERIAL ADVISER YATSU-TADA(CHŪ-NAGON YATSU-TADA)

原文
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり
(あひみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもはざりけり)

現代訳
このようにあなたに逢ってからの今の苦しい恋心にくらべると、会いたいと思っていた昔の恋心の苦しみなどは、何も物思いなどしなかったも同じようなものです。

英訳
HOW desolate my former life,
Those dismal years, ere yet
I chanced to see thee face to face
’Twere better to forget
Those days before we met.

Yatsu-tada was a member of the great Fujiwara family, and is said to have died in the year 943,

It is interesting to note in these illustrations, as in nearly all old Japanese pictures, that the artist either takes off the roof of the house or removes part of the wall when he wishes you to see what is going on indoors.

解説
権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ・延喜6年~天慶6年 / 906~943年)は醍醐、朱雀の両朝に仕えた左大臣・藤原時平の三男で、藤原敦忠(ふじわらのあつただ)のことです。

敦忠は和歌に優れ、三十六歌仙のひとりとして藤原公任が挙げていますが、源博通と並び琵琶の名手であったとも伝えられています。
「後撰和歌集」などに多くの和歌が残されていて、蔵人頭、参議を経て、九四二年、従三位中納言になっています。

敦忠は右近と愛し合っていましたが、この和歌は、その右近への思いを詠んだものと言われています。
恋心がさらりと詠まれていますが、逢う前と逢った後の物思い、それが、この和歌にさまざまな余情を与えています。




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本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
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厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
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そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「42」

2018年01月05日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「42」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号042 
作者:清原元輔
author of waka:MOTO-SUKE KIYOWARA(KIYOWARA NO MOTO-SUKE)

原文
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは
(ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すゑのまつやま なみこさじとは)

現代訳
かたく約束を交わしましたね。互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、波があの末の松山を決して越すことがないように、二人の仲も決して変わることはありますまいと。

英訳
OUR sleeves, all wet with tears, attest
That you and I agree
That to each other we'll be true,
Till Pine-tree Hill shall be
Sunk far beneath the sea.

Moto-suke lived towards the close of the tenth century, and was the son of the writer of verse No. 36. The idea of one's sleeves being wet with tears is a common one in Japanese poetry. Matsu-yama, or Pine-tree Hill, is in Northern Japan, on the boundaries between the Provinces of Rikuchū and Nambu. In the illustration the hill with the pine tree on the top appears to be just sinking beneath the waves.

解説
清原元輔(きよはらのもとすけ・延喜8年~永祚2年 / 908~990年)は清少納言の父で、清原深養父の孫あたります。
村上天皇の勅によって「後撰集」を撰んだりしたほか、「万葉集」の訓読の仕事なども手がけた人物です。
清原元輔は藤原公任が優れた歌人として選んだ三十六歌仙の一人でもあり、「枕草子」にも優れた歌人であった逸話が伝えられています。
 また、官僚としても活躍し、河内権守から国防守、さらに鋳銭長官から肥後守に任ぜられています。

この和歌は、友人が恋人に去られたとき、元輔がその気持ちを和歌に表し、相手に届けたと言われている和歌です。
自分の気持ちを直接表しているのではないのですが、互いに「波が松山を越えることがないのと同じように、心変わりもすることがない」との約束を詠むことによって、恋に悩み苦しむ気持ちがよく伝わってきます。



★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
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厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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