魚鳥木、申すか?申さぬか?

ぎょ・ちょう・もく、申すか?申さぬか?
申す!申す! 魚⇒ニシキゴイ。鳥⇒ニホンキジ。木⇒制定無し、花は桜と菊

老子『道徳経』を翻訳してみました。62

2017年10月31日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第六十二章
原文

道者萬物之奧。善人之寳、不善人之所保。美言可以市尊、美行可以加人。人之不善、何棄之有。故立天子、置三公、雖有拱璧以先駟馬、不如坐進此道。古之所以貴此道者何。不曰求以得、有罪以免耶。故爲天下貴。

英訳文
"The way" is the source of all things. The good people value it and the not good people are protected by it. Some gain their honor by flowery words and some gain their status by hypocritical behavior. So just because people are not good, why could we forsake them? When an emperor ascends his throne or a vassal is appointed as one of the Three Excellencies, vassals present treasure on a coach. But to propose "the way" is far better than to do such thing. Why did ancient people value "the way"? It is because some realize their wish by it and some are forgiven their sin by it. So "the way" is the most sacred in the world.

書き下し文
道なる者は万物の奥なり。善人の宝にして、不善人の保(やす)んずる所なり。美言(びげん)は以(も)って尊(そん)を市(か)うべく、美行(びこう)は以って人に加うべし。人の不善なるも、何の棄つることかこれ有らん。故に天子を立て、三公(さんこう)を置くに、拱璧(こうへき)以って駟馬(しば)に先(さき)んずる有りと雖(いえ)ども、坐(ざ)して此(こ)の道を進むるに如(し)かず。古えの此の道を貴(たっと)ぶ所以(ゆえん)の者は何ぞ。求むれば以って得られ、罪あるも以って免(まぬが)ると曰(い)わずや。故に天下の貴きものと為る。

現代語訳
「道」はあらゆるものを包み込む万物の根源である。善人が大切に守るものであり、善人では無い者もこれによって守られるものである。飾り立てた言葉によって尊敬を得る者もいるし、飾り立てた行動によって人の上に立つ者もいるのだから、善人では無いというだけで、どうしてその人を見捨てる事ができるだろうか。だから天子の即位や大臣の任命の時に、豪華な宝物を四頭立ての馬車に載せて献上する事があるけれども、そんな事をするよりも座ったままで「道」を守る様に進言した方が良い。昔の人々がこの「道」を大切にした理由は何であろうか? それは「道」によって求めるものが得られ、「道」によって過ちが許されるからである。だからこそ「道」はこの世で最も貴いものとなっているのだ。

老子『道徳経』を翻訳してみました。63 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子『道徳経』を翻訳してみました。61

2017年10月30日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第六十一章
原文

大國者下流。天下之交、天下之牝。牝常以靜勝牡。以靜爲下。故大國以下小國、則取小國、小國以下大國、則取大國。故或下以取、或下而取。大國不過欲兼畜人、小國不過欲入事人。夫兩者、各得其所欲、大者宜爲下。

英訳文

A big country is, so to speak, lower reaches of a large river. All things flow into it and it accept them like a female. A female stays calm and beats a male. It is because a female stays calm and is humble to a male. If a big country is humble to small countries, the big country will get obedience from small countries. If a small country is humble to a big country, the small country will get protection by the big country. So someone gets trust with being humble and someone else gets ease with being humble. This type of big country only wants to support people of small countries and small countries only want to serve the big country. If these countries want to fulfill their wishes, a big country should be the first to be humble.

書き下し文

大国は下流なり。天下の交(こう)、天下の牝(ひん)なり。牝は常に静(せい)を以(も)って牡(ぼ)に勝つ。静を以って下ることを為せばなり。故に大国以って小国に下れば、則(すなわ)ち小国を取り、小国以って大国に下れば、則ち大国を取る。故に或(ある)いは下りて以って取り、或いは下りて而(しか)して取る。大国は兼ねて人を畜(やしな)わんと欲するに過ぎず、小国は入りて人に事(つか)えんと欲するに過ぎず。それ両者、各々(おのおの)その欲する所を得んとせば、大なる者は宜(よろし)く下ることを為すべし。

現代語訳
大国というのは、言わば大河の下流の様なものだ。天下のあらゆる物が流れ込んで来る所であり、天下の全てを受け入れる牝(メス)である。牝は常に静かにじっとしていながら牡(オス)に勝つ。それは静けさを保ちながら、牡に対してへりくだっているからなのだ。その様に大国が小国にへりくだれば小国の服従を得て、小国が大国にへりくだれば大国の保護が得られる。こうしてある者はへりくだって信頼を得て、ある者はへりくだって安心を得る。この様な大国は小国の人々も養いたいと思うだけであり、小国はそんな大国の役に立ちたいと思うだけである。これらの国々がお互いに望みを叶えようとするならば、まず力のある大国の側がへりくだるべきである。

老子『道徳経』を翻訳してみました。62 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佛説摩訶般若波羅蜜多心経

2017年10月29日 | 民俗学探究


梵字、IAST表記、漢訳、英訳、日本語訳対比
佛説摩訶般若波羅蜜多心経


1段:デーヴァナーガリー文字(ISO15924Deva) サンスクリットのPC用フォントによる原文
2段:International Alphabet of Sanskrit Transliteration(IAST)表記
3段:漢訳(小本 唐三蔵法師玄奘 649年訳)
4段:漢訳音読みがな
5段:英訳(小本 鈴木大拙訳、Manual of Zen Buddhism, 1935)
6段:日本訳(小本 インド哲学の国際的な権威東大名誉教授中村元(はじめ)、岩波文庫1960 年)


नमः सर्वज्ञाय
Namas Sarvajñāya
帰命 一切 智
きめい いちさい ち
The Prajnaparamita-Hridaya Sutra
全知者である覚った人に礼してたてまつる

आर्यावलोकितेश्वरो बोधिसत्त्वो गंभीरायां प्रज्ञापारमितायां चर्यां
āryāvalokiteśvaro bodhisattvo gaṁbhīrāyāṁ prajñāpāramitāyāṁ caryāṁ
観自在菩薩 行深 般若波羅蜜多
くわんじ ざいぼさつ ぎやう じんはんにやはらみつた
When the Bodhisattva Avalokitesvara was engaged in the practice of the deep Prajnaparamita,
求道者にして聖なる観音(聖アヴァローキテーシュヴァラ)は、深遠な智恵の完成を実践していたときに、

चरमाणो व्यवलोकयति स्म ।     
caramāṇo vyavalokayati sma |   
時 照見 
じ せうけん
he perceived:
かれは、見きわめた。

पञ्च स्कन्धास्तांश्च स्वभावशून्यान्पश्यति स्म ।
pañca skandhās tāṁś ca svabhāva-śūnyān paśyati sma |
五蘊皆空 度一切苦厄
ごうんかいくう どいちさいくやく
there are five Skandhas ; and these he saw in their self-nature to be empty.
存在するものには五つの構成要素があると、しかも、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると

इह शारिपुत्र रूपं शून्यता शून्यतैव रूपम् ।
iha śāriputra rūpaṁ śūnyatā śūnyataiva rūpam |
舍利子 色即空 空即色
しやりし しきそくくう くうそくしき
O Sariptra, form is here emptiness, emptiness is form;
シャリープトラよ。この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象である。

रूपान्न पृथक्शून्यता शून्याताया न पृथग्रूपम् ।
rūpān na pṛthak śūnyatā śūnyātāyā na pṛthag rūpam |
色不異空 空不異色
しきふいくう くうふいしき
form is no other than emptiness, emptiness is no other than form ;
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。

यद्रूपं सा शून्यता या शून्यता तद्रूपम् ।
yad rūpaṁ sā śūnyatā yā śūnyatā tad rūpam |
色即是空 空即是色
しきそくぜくう くうそくぜしき
what is form that is emptiness, what is emptiness that is form.
(このようにして)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないといいうことは、物質的現象なのである。

एवमेव वेदानासंज्ञासंस्कारविज्ञानानि ।
evam eva vedānā-saṁjñā-saṁskāra-vijñānāni |
受想行識 亦復如是
じゆさうぎやうしき やくぶにょぜ
The same can be said of sensation, thought , confection, and consciousness.
これと同じように、感覚も、表象も、意思も、認識も、全て実体がないのである。

इह शारिपुत्र सर्वधर्माःशून्यतालक्षणा
iha śāriputra sarva-dharmāḥ śūnyatā-lakṣaṇā
舍利子 是諸法空相
しやりし ぜしょほうくうそう
"O Sariptra, all things are here characterized with emptiness :
シャリープトラよ。この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。

अनुत्पन्ना अनिरुद्धा अमलाविमला नोना न परिपूर्णाः ।
anutpannā aniruddhā amalāvimalā nonā na paripūrṇāḥ |
不生不滅 不垢不淨 不增不減
ふしやうふめつ ふくふ じやう ふぞうふげん
they are not born, they are not annihilated ; they are not tainted, they are not immaculate ; they do not increase, they do not decrease.
生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。

तस्माच्चारिपुत्र शून्यतायां न रूपं
tasmāc cāriputra śūnyatāyāṁ na rūpaṁ
是故空中 無色
ぜこくうちう むしき
Therefore, O Sariptra, in emptiness there is no form,
それゆえに、シャリープトラよ 実体がないという立場においては、

न वेदना न संज्ञा न संस्कारा न विज्ञानं ।
na vedanā na saṁjñā na saṁskārā na vijñānaṁ |
無受想行識
じゆさうぎやうしき
no sensation, no thought, no confection, no consciousness ;
物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、認識もない。

न चक्षुः श्रोत्र घ्राण जिह्वा काय मनांसि
na cakṣuḥ-śrotra-ghrāṇa-jihvā-kāya-manāṁsi
無眼耳鼻舌身意
むげんにびぜつしんい
no eye, ear, nose, tongue, body, mind ;
眼もなく、(耳もなく)、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、

न रूपशब्दगन्धरसस्प्रष्टव्यधर्माः
na rūpa-śabda-gandha-rasa-spraṣṭavya-dharmāḥ
無色聲香味觸法
むしきしやうかうみそくはふ
no form, sound, colour, taste, touch, objects ;
かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。

न चक्षुर्धातुर्यावन्न मनोविज्ञानधातुः ।
na cakṣur-dhātur yāvan na mano-vijñāna-dhātuḥ |
無眼界 乃至無意識界
むげんかい ないしむいしき かい
no form, sound, colour, taste, touch, objects ;
かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。

न विद्या नाविद्या न विद्याक्षयो नाविद्याक्षयो
na vidyā nāvidyā na vidyākṣayo nāvidyākṣayo
無無明 亦無無明盡
むむみやう やくむむみやう じん
there is no knowledge, no ignorance,
さとりもなければ、迷いもなく、さとりがなくなることもなければ、迷いがなくなることもない。

यावन्न जरामरणं न जरामरणक्षयो
yāvan na jarāmaraṇaṁ na jarāmaraṇakṣayo
乃至無老死 亦無老死盡
ないしむらうし やくむらうしじん
till we come to there is no old age and death, no extinction of old age and death ;
こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。

न दुःखसमुदयनिरोधमार्गा न ज्ञानं न प्राप्तिः ।
na duḥkha-samudaya-nirodha-mārgā na jñānaṁ na prāptiḥ |
無苦集滅道 無智亦無得
むくしふめつだう むちやくむとく
there is no suffering, accumulation, annihilation, path ; there is no knowledge, no attainment,
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制してなくすことも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。

तस्मादप्राप्तित्वाद्बोधिसत्त्वानां प्रज्ञापारमितामाश्रित्य
tasmād aprāptitvād bodhisattvānāṁ prajñāpāramitām āśritya
以無所得故 菩提薩埵 依般若波罗蜜多故
いむしよとくこ ぼだいさつた ゑはんにやはらみつたこ
[and] no realisation because there is no attainment. In the mind of Bodhisattva who dwells depending on the Prajnaparamita
それゆえに、得るということがないから、諸の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。

विहरत्यचित्तावरणः ।
Viharaty a-cittāvaraṇaḥ |
心無罣礙
しんむけげ
there are no obstacles;
心を覆うものがないから、

चित्तावरणनास्तित्वादत्रस्तो विपर्यासातिक्रान्तो निष्ठनिर्वाणः ।
cittāvaraṇa-nāstitvād atrasto viparyāsātikrānto niṣṭhanirvāṇaḥ |
無罣礙故 無有恐怖 遠離顛倒夢想 究竟涅槃
むけげこ むうくふ をんりいちさいてんたうむさう くきやうねはん
and, going beyond the perceived views, he reaches final Nirvana.
恐れがなく、傾倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。

त्र्यधवव्यवस्थिताः सर्व बुद्धाः प्रज्ञापारमिताम्
tryadhavavyavasthitāḥ sarva-buddhāḥ prajñāpāramitām
三世諸佛 [依]般若波羅蜜多[故]
さんせしよぶつ ゑはんにやはらみつたこ
All the Buddhas of the past, present , and future, depending on the Prajnaparamita,
過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、

आश्रित्यानुत्तरां सम्यक्सम्बोधिं अभिसम्बुद्धाः ।
āśrityānuttarāṁ samyaksambodhiṁ abhisambuddhāḥ |
依[般若波羅蜜多]故 得阿耨多羅三藐三菩提
ゑはんにやはらみつたこ とくあのくたらさんみやくさんぼだい
attain to the highest perfect enlightenment.
智慧の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめをさとり得られた。

तसाज्ज्ञातव्यं प्रज्ञापारमितामहामन्त्रो
tasāj jñātavyaṁ prajñāpāramitā-mahāmantro
故知般若波羅蜜多咒 是大神咒
こちはんにやはらみつた ぜだいじんしゆ
Therefore, one ought to know that the Prajnaparamita is the great Mantra,
それゆえに人は知るべきである。智慧の完成の大いなる真言、

महाविद्यामन्त्रो ऽनुत्तरमन्त्रो ऽसमसममन्त्रः सर्वदुःखप्रशमनः ।
mahāvidyāmantro 'nuttaramantro 'samasama-mantraḥ sarvaduḥkhapraśamanaḥ |
是大明咒 是無上咒 是無等等咒 能除一切苦
ぜだいみやうしゆ ぜむじやうしゆ ぜむとうどう しゆ のうぢよいち さい く
the Mantra of great wisdom, the highest Mantra, the peerless Mantra, which is capable of allaying all pain ;
おおいなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、

सत्यममिथ्यत्वात्प्रज्नापारमितायामुक्तो मन्त्रः
satyam amithyatvāt prajnāpāramitāyām ukto mantraḥ
真實不虛故 說般若波羅蜜多咒
しんじつふこ こせつはんにやはらみつたしゆ
it is truth because it is not falsehood: this is the Mantra proclaimed in the Prajnaparamita
偽りがないから真実であると。その真言は、智慧の完成において

तद्यथा ।
tad yathā |
即說咒曰
そくせつしゆわち
It runs:
次のように説かれた。

गते गते पारगते परसंगते बोधि सवाहा ॥
gate gate pāragate parasaṁgate bodhi savāhā ||
掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提娑婆訶
ギャーテー ギャーテー ハラギャーテー ハラソー ギャーテー ボジソワカ
'Gate gate paragate, parasamgate, dodhi, svaha!' (O Bodhi, gone, gone to the other shore, landed at the other shore, Svaha)!
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ)

इति प्रञापारमिताहृदयं समाप्तम् ॥
iti prañāpāramitāhṛdayaṁ samāptam ||
般若波羅蜜多心經終
はんにやしんぎやう
ここに智慧の完成の心が終わった


サンスクリットの母語はアラム語で、日本語の50音図もサンスクリットを参考にしたといわれる。

正倉院に保管されていた最古の般若心経はオウギヤシに横書 きに梵字『シッタン(悉曇)文字』で表記されている。

ちなみにイエス・キリストも使ったとされるアラム語を話す人々が現在でも2万人程シリア南部の古都マアルーラに住んでいたがシリア反体制派アルカイダに占 拠され継承が危惧されている。

キリストもシャカも既成宗教を改革したという点が重要で、いずれもアラム語系統の言葉を使っていたところに興味がわく。





多言語で聞く 『般若心経』 ~イミーのBGMにのせて World in One Heart ~ Voice from Heart Sutra(サンスクリット、チベット、中国、スペイン、英語ほか)
IMMMUSIC


ホンモノにふれる真説般若心経―サンスクリット原典訳
村田 佳次郎
青萠堂





コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Black Box 伊藤 詩織 (著)

2017年10月29日 | 読んだ本
Black Box 伊藤 詩織 (著)

商品の説明(Amazonより転記)
真実は、ここにある。 なぜ、司法はこれを裁けないのか? レイプ被害を受けたジャーナリストが世に問う、 法と捜査、社会の現状。 尊敬していた人物からの、思いもよらない行為。 しかし、その事実を証明するにはーー密室、社会の受け入れ態勢、差し止められた逮捕状。 あらゆるところに〝ブラックボックス〟があった。 司法がこれを裁けないなら、何かを変えなければならない。 レイプ被害にあったジャーナリストが、自ら被害者を取り巻く現状に迫る、圧倒的ノンフィクション。

信頼していた人物からの、思いもよらない行為。しかし、その事実を証明するには―密室、社会の受け入れ態勢、差し止められた逮捕状。あらゆるところに“ブラックボックス”があった。司法がこの事件を裁けないのなら、何かを変えなければならない。レイプ被害に遭ったジャーナリストが、自ら被害者を取り巻く現状に迫る、圧倒的ノンフィクション。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
伊藤 詩織
1989年生まれ。ジャーナリスト。フリーランスで、エコノミスト、アルジャジーラ、ロイターなど、主に海外メディアで映像ニュースやドキュメンタリーを発信する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


女の後ろには、彼女のようには声を出せない
百人、千人、万人の、
同様の目にあった女性、人がいる。

この人の仕事が
「伝えること」でなかったなら、

このような被害にあうことは
なかったかもしれないが、

「伝えること」が仕事であったから、
私たちが、このことを知ることができた。

それでも、他人であり、
まして男である私には、
こうした体験の恐ろしさは理解しづらい。

だからこそ、
いのちをかけて伝えてくれていることに、
目と耳を、頭を、こころを、
使わなければいけないと感じた。



Black Box
伊藤 詩織
文藝春秋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子『道徳経』を翻訳してみました。60

2017年10月29日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第六十章
原文

治大國、若烹小鮮。以道莅天下、其鬼不神。非其鬼不神、其神不傷人。非其神不傷人、聖人亦不傷人。夫兩不相傷。故徳交歸焉。

英訳文

When you govern a big country, you should stay still like simmering small fish. If you govern the world with "the way", spirits never curse people. Not only spirits never curse people, but curses also never harm people. Not only curses never harm people, but the government of the saint who knows "the way" also never harms people. Because both spirits and humans never harm people, people benefit from these.

書き下し文

大国を治むるは、小鮮(しょうせん)を烹(に)るが若(ごと)し。道を以(も)って天下に莅(のぞ)めば、その鬼(き)も神(しん)ならず。その鬼の神ならざるに非(あら)ず、その神も人を傷(そこな)わず。その神も人を傷わざるに非ず、聖人もまた人を傷わず。それ両(ふた)つながら相い傷わず。故に徳こもごも焉(これ)に帰す。

現代語訳

大きな国を治める時には、小魚を煮る時の様に無闇にかき回さずじっとしてると良い。この様に「道」にしたがって世の中を治めるならば、鬼神が人に祟(たた)りを為す事が無い。鬼神が人に祟りを為さないだけで無く、祟りそのものが人に害を為す事も無いのだ。祟りが人に害を為す事が無いだけで無く、「道」を知った聖人の政治も人に害を為す事も無い。こうして鬼神も人も害を為す事が無いので、その恩恵が人々の身に降り注ぐのである。

老子『道徳経』を翻訳してみました。61 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少彦名神社さん 例大祭「神農祭しんのうさい」 11月22・23日の2日間開催

2017年10月28日 | 民俗学探究
日本医薬総鎮守 病気平癒・健康成就の社
少彦名(神農さん)神社
 にて
例大祭「神農祭(しんのうさい)」
が開催されます。

開催日時:

11月22・23日の2日間
午前10時~午後8時まで

22日午前9時45分前後は役員写真撮影のため
境内入場規制が行われます、ご了承ください

午後2時~3時前後は混雑が予想されます、
混雑時にも入場規制が行われます。



神農祭くすりのキャラクター大集合





少彦名(すくなひこな)神社
〒541-0045 
大阪府大阪市中央区道修町2-1-8
TEL 06(6231)6958 
FAX 06(6231)6970

ご 祭 神
少彦名命 (すくなひこなのみこと)
日本医薬の祖神 神皇彦霊神(かんむすびのかみ・万物生成の神)の子

常世の神
国造りの協力神(大国主命)、
酒神、温泉神穀霊、まじないなど
多彩な能力を持つ
 
神農炎帝 (しんのうえんてい)
中国医薬の祖神  

商売の神 
百草を嘗めて効能を確かめ、医薬と農耕を
諸人に教えた              

ご 由 緒
ここ大阪道修町(どしょうまち)は、豊臣時代頃から薬種取引の場として、薬種業者が集まるようになっていました。

江戸時代になると、幕府は道修町の薬種屋124軒を株仲間として、唐薬種や和薬種の適正検査をし、全国へ売りさばく特権を与えました。 
薬は、人命に関わるものであり、その吟味は大変難しいものがあります。 

そこで、神のご加護によって職務を正しく遂行しようと、安永9(1780)年京都の五條天神より少彦名命を仲間の寄合所にお招きし、神農炎帝王とともにお祀りしたのが始まりです。  


神農本草経の植物
クリエーター情報なし
たにぐち書店
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「師走の大祓祭」岩笛吹奏 と ひと形焼却の神事

2017年10月28日 | 民俗学探究


-岩笛吹奏と ひと形焼却の神事-
古代の精神に則り、国や社会を始め、個人などが知らない間に犯した罪や咎、触れた穢れや災いを祓い震災復興と国の繁栄、個人の安寧と幸せをご祈願して 平成30年の上半歳を迎えます

主 催:NPO法人「にっぽん文明研究所」

日 時:平成 29年 12月17日(日)
    午後12:30開場、 
    午後13:30開始~

会 場:國學院大學 院友会館 地下大ホール > 案内図
    〒150-0011 
    東京都渋谷区東4-12-8 
    TEL:03(3400)7781

①渋谷駅よりバス→都営学バス03番 東4丁目 下車
②JR恵比寿駅ターミナルより→都営学バス06番 東4丁目 下車
③JR渋谷駅より 徒歩 20分
④JR恵比寿駅より 徒歩 17分
※駐車場はございません。公共の交通機関をご利用ください。

玉串料:¥3000 以上・ご随意

神事舞:神儀古式宮舞 本部

※直会に軽食・御神酒を用意しております。 授与品:御神酒・御撤饌
※祝詞で、お名前・ご住所を奏上しますので、お申し込みの際はお知らせ下さい。

印刷用PDF≫ 29年度:師走大祓祭案内&申込み用紙

【お申込みフォーム】

当研究所の活動はNPO法第2条2項に基づき宗教の教義を広め、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とするものではございません。


神道よ!今こそ《古来の本物の道》に戻るのだ!―縄文のパワーフィールドへ (超☆わくわく 50)
ヒカルランド


陽の国の神道―“神道は日本人だけのものではない”入門
三五館




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子『道徳経』を翻訳してみました。59

2017年10月28日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第五十九章
原文

治人事天、莫若嗇。夫唯嗇、是以早服。早服、謂之重積徳。重積徳、則無不克。無不克、則莫知其極。莫知其極、可以有國。有國之母、可以長久。是謂深根固柢、長生久視之道。

英訳文

If you govern the people and obey the heaven's will, frugality is most important. The earlier you become frugal, the earlier you can follow "the way". The earlier you follow "the way", the more you pile virtues. If you piled virtues, you can overcome everything. If you can overcome everything, your merit has no limit. If your merit has no limit, you can maintain a nation. The basis of maintaining a nation is frugality. Frugality maintains a nation for a long time. This is called "the way of long life by maintaining vitality like plants take root."

書き下し文

人を治め天に事(つか)うるは、嗇(しょく)に若(し)くは莫(な)し。それ唯(た)だ嗇、ここを以(も)って早く服す。早く服するは、これを重ねて徳を積むと謂(い)う。重ねて徳を積めば、則ち克(か)たざる無し。克たざる無ければ、則ちその極(きょく)を知る莫し。その極を知る莫ければ、以って国を有(たも)つべし。国を有つの母は、以って長久なるべし。これを根を深くし、柢(てい)を固くし、長生久視(ちょうせいきゅうし)するの道と謂う。

現代語訳

人々を治めて天命に従うのなら倹約に勝るものは無い。倹約をするからこそ無駄な事をせずに早く「道」に従う事ができるのだ。早く「道」に従えば多くの徳を積み重ねる事が出来る。多くの徳が積み重なれば何者にも勝る事が出来る。何者に勝る事が出来ればその果報には際限が無い。果報に際限が無ければ国家を安定維持する事が出来る。国家を安定維持する事の母、すなわち倹約によって国は長く栄えるであろう。これを「樹木が地底に深く根を張る様に、活力を保ちながら長生きする道」と言う。

老子『道徳経』を翻訳してみました。60 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子『道徳経』を翻訳してみました。58

2017年10月27日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第五十八章
原文

其政悶悶、其民醇醇。其政察察、其民缺缺。禍兮福之所倚、福兮禍之所伏。孰知其極。其無正。正復爲奇、善復爲訞。人之迷、其日固久。是以聖人、方而不割、廉而不劌、直而不肆、光而不耀。

英訳文
If a government is loose, the people will be pure and rich. If a government is strict, the people will be sly and poor. Bad luck brings good luck. Good luck brings bad luck. No one knows the end of luck. There is no common sense in this world. A common sense here can be senseless over there. A good thing here can be dubious over there. People have not realized these and are wandering for a long time. So the saint who knows "the way" never distinguishes right and wrong though he is right, never blames others though he is innocent, never forces others though he is steady, and never attracts others' attention though he is brilliant.

書き下し文

その政(まつりごと)悶悶(もんもん)たれば、その民は醇醇(じゅんじゅん)たり。その政察察(さつさつ)たれば、その民は欠欠(けつけつ)たり。禍いは福の倚(よ)る所、福は禍いの伏(ふ)す所。孰(た)れかその極を知らん。それ正なし。正は復(ま)た奇と為(な)り、善は復た訞(よう)と為る。人の迷えるや、その日固(もと)より久し。ここを以(も)って聖人は、方(ほう)なるも而(しか)も割(さ)かず、廉(れん)なるも而も劌(すこな)わず、直なるも而も肆(の)びず、光あるも而も耀(かがや)かず。

現代語訳
政治がおおらかで曖昧であれば人々は純朴で豊かに暮らす事ができる。政治が事細かにきっちりしていると人々は利を求めてピリピリする様になる。災いは福の始まり、福は災いの始まりでこの循環がどこへ行き着くかは誰も知らない。そもそもこの世に常識なんてものは無いのだが、こちらで常識であったものがあちらでは非常識となり、こちらでの善い事があちらでは怪しげな事になる。世の人々はその事に気づかずにずっと迷い続けているのだ。だからこそ「道」を知った聖人は、品行方正でありながら善悪を区別せず、清廉でありながら他人を非難せず、真っ直ぐでありながら他人に無理強いはせず、まばゆいばかりの智恵を持ちながら目立とうとはしないのだ。

老子『道徳経』を翻訳してみました。59 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子『道徳経』を翻訳してみました。57

2017年10月26日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第五十七章
原文

以正治國、以奇用兵、以無事取天下。吾何以知其然哉。以此。夫天下多忌諱、而民彌貧。民多利器、國家滋昬。民多智慧、邪事滋起。法令滋彰、盗賊多有。故聖人云、我無爲而民自化。我好靜而民自正。我無事而民自富。我無欲而民自樸。

英訳文
Govern a country with the right way. Use clever schemes when you make a war. But to get the world, you should do nothing. Why do I think so? Like this. If there are so many laws, people will become poor. And they will use convenient tools, they will disturb order. And they will get much knowledge, cunning people of them will do wrong. And many laws will be enacted again, many people will become robbers. So the saint who knows "the way" says - "People are inspired because I do nothing. People correct themselves because I am silent. People become rich because I do nothing. People are still naive because I am unselfish."

書き下し文
正を以(も)って国を治め、奇を以って兵を用い、無事を以って天下を取る。吾れ何を以ってその然るを知るや。これを以ってなり。それ天下に忌諱(きき)多くして、民弥々(いよいよ)貧し。民に利器多くして、国家滋々(ますます)昏(みだ)る。民に知恵多くして、邪事(じゃじ)滋々起こる。法令滋々彰(あき)らかにして、盗賊多く有り。故に聖人は云(い)う、我(わ)れ無為にして民自(おのずか)ら化(か)す。我れ静を好みて民自ら正し。我れ無事にして民自ら富む。我れ無欲にして民自ら樸(ぼく)なりと。

現代語訳
国を治めるには正しいやり方で行い、戦には奇策を用いると言われるが、天下を得るには作為的な事は何もしない方が良い。私が何故そう思うのかと言うと、以下の通りである。世の中が規則や法律でがんじがらめになると自由な生産が妨げられて民衆が貧しくなり、その民衆が生活を豊かにしようと便利な道具を使うようになると国家が混乱し、そうして余計な知恵をつけた民衆の中から悪事を働くものが出るようになり、そしてさらに規則や法律が増やされてまた盗賊が増えるという悪循環に陥るからだ。だから「道」を知った聖人は以下の様に言う、「私が余計な事をしないからこそ、民衆は自ら感化される。私が静かに動かないでいるからこそ、民衆は自らを正す。私が特に何もしないからこそ、民衆は自ら豊かになる。私が無欲であるからこそ、民衆も素朴な生活を楽しめるのだ」と。

老子『道徳経』を翻訳してみました。58 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子『道徳経』を翻訳してみました。56

2017年10月25日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第五十六章
原文

知者不言、言者不知。塞其兌、閉其門、挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。是謂玄同。故不可得而親、不可得而疏。不可得而利、不可得而害。不可得而貴、不可得而賤。故爲天下貴。

英訳文

A person who truly understands does not speak. A person who speaks does not understand. A person who understands "the way" shuts his ears, eyes and mouth to prevent comings and goings of knowledge. He dulls his senses and disentangles tangles of his senses. He softens his brightness and assimilates into dust. This is called "mysterious assimilation". You cannot either make a friend of him or become estranged from him. You cannot either benefit him or damage him. You cannot either respect him or despise him. So he is the most sacred in the world.

書き下し文

知る者は言わず、言う者は知らず。その兌(あな)を塞(ふさ)ぎて、その門を閉し、その鋭(えい)を挫(くじ)いて、その紛(ふん)を解(と)き、その光を和(やわら)げて、その塵(ちり)に同(おな)じくす。これを玄同(げんどう)と謂(い)う。故に得て親しむべからず、得て疏(うと)んずべからず。得て利すべからず、得て害すべからず。得て貴(たっと)ぶべからず、得て賤(いや)しむべからず。故に天下の貴きとなる。

現代語訳

本当に理解している人はそれらについて話さない。べらべらと語りたがる者はまだ理解が足りないのだ。本当に道理が解っている人間は耳目や口を塞いで余計な知識の出入り口を閉ざし、鋭敏な感覚を鈍くして意識のもつれを解きほぐし、自らの輝きを和らげて何でもない塵と一つになる。これを神秘なる同一と言う。この同一を得た人は、近づいて親しむ事もできず、遠ざけて疎遠にする事もできない。利益を与える事もできなければ、損害を与える事もできない。敬って尊ぶ事もできなければ、卑しんで侮る事もできない。そうしてこの世で最も貴い存在となっているのだ。

老子『道徳経』を翻訳してみました。57 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子『道徳経』を翻訳してみました。55

2017年10月24日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第五十五章
原文

含徳之厚、比於赤子。蜂蠆虺蛇不螫、猛獸不據、攫鳥不搏。骨弱筋柔而握固。未知牝牡之合而全作、精之至也。終日號而不嗄、和之至也。知和曰常、知常曰明。益生曰祥、心使氣曰強。物壯則老。謂之不道。不道早已。

英訳文
A person who has inner virtue enough is like a baby. Poisonous insects and snakes don't bite babies. Beasts and birds of prey don't attack babies. A baby's bones are weak, sinews are soft, but clenched fists are hard. Though a baby does not know about sexual intercourse, his penis can become erect. That's because his vigor is in the climax. Even if a baby cries all day long, he never gets hoarse. That's because the harmony of his body is in the climax. To know harmony is to know invariable way. To know invariable way is called "clear wisdom". To unnaturally lengthen life is ominous. To urge your spirits by thought is compulsion. The stronger a thing is, the sooner it declines. This is called "Not to follow 'the way'". If you do not follow "the way", you will be ruined soon.

書き下し文
含徳(がんとく)の厚きは、赤子(せきし)に比す。蜂蠆虺蛇(ほうたいきだ)も螫(さ)さず、猛獣も拠(おそ)わず、攫鳥(かくちょう)も搏(う)たず。骨は弱く筋は柔らかくして而(しか)も握ること固し。未(いま)だ牝牡(ひんぼ)の合(ごう)を知らずして而も全(さい)の作(た)つは、精の至りなり。終日号(さけ)びて而も嗄(か)れざるは、和の至りなり。和を知るを常と曰(い)い、常を知るを明と曰う。生を益(ま)すを祥(わざわい)と曰い、心、気を使うを強と曰う。物は壮(さかん)なれば則(すなわ)ち老ゆ。これを不道と謂(い)う。不道は早く已(や)む。

現代語訳
内なる徳を豊かに備えた人の有様は、赤ん坊に例えられる。赤ん坊には毒虫や毒蛇の類が刺したり噛み付いたりせず、猛獣や猛禽も傷つけようとはしない。骨は弱く筋肉は柔らかいが拳を握れば固い。男女の交わりも知らないのに陰茎がちゃんと勃起するのは、その精力が最高だからである。一日中泣いても声がかれないのは、その身体の調和が最高だからである。調和を知る事が常の道を知る事であり、常の道を知る事は「明らかなる知恵」と呼ばれる。無理に寿命を長くしようとする事は不吉であり、頭で気力を盛り上げようとするのは無理強いである。物事は勢いがあればそれだけ衰えるのも早いものだ。これを「道を弁えない行為」と言うが、「道」を弁えていないと早々に滅びが訪れる。

老子『道徳経』を翻訳してみました。56 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子『道徳経』を翻訳してみました。54

2017年10月23日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第五十四章
原文

善建者不抜、善抱者不脱。子孫以祭祀不輟。修之於身、其徳乃眞。修之於家、其徳乃餘。修之於郷、其徳乃長。修之於邦、其徳乃豐。修之於天下、其徳乃普。故以身觀身、以家觀家、以郷觀郷、以邦觀邦、以天下觀天下。吾何以知天下然哉。以此。

英訳文
A pillar set up firmly cannot be pulled out. A thing held tightly cannot be snatched. If you follow "the way" like this, your offspring will prosper and they will continue worshipping their ancestors. If a person follows "the way", the usefulness is for sure. If a family follows "the way", the usefulness is more than enough. If a village follows "the way", the usefulness lasts long. If a country follows "the way", the usefulness is abundant. If the world follows "the way", the usefulness spreads all over the world. So when I see a person, I watch how he follows "the way". A family, a village, a country and even the world are the same. How can I know the world? Like this.

書き下し文
善く建てたるは抜けず、善く抱けるは脱せず。子孫以(も)って祭祀して輟(や)まず。これを身に修むれば、その徳は乃(すなわ)ち真なり。これを家に修むれば、その徳は乃ち余りあり。これを郷(きょう)に修むれば、その徳は乃ち長し。これを邦(くに)に修むれば、その徳は乃ち豊(ゆた)かなり。これを天下に修むれば、その徳は乃ち普(あまね)し。故に身を以って身を観(み)、家を以って家を観、郷を以って郷を観、邦を以って邦を観、天下を以って天下を観る。吾れ何を以って天下の然(しか)るを知るや。これを以ってなり。

現代語訳
しっかりと建てられた柱は簡単に抜ける事は無く、しっかり抱え込まれた物が抜け落ちる事は無い。この様に「道」をしっかり守っていれば、子孫は栄えて先祖の供養が絶える事は無いだろう。こうした「道」の実践を個人で行えばその効用は確実であり、一家で行えば効用は有り余る程である。村で行えば効用は長持ちし、国で行えば効用は豊かになる。これを天下万民が行えばその効用は広く隅々まで行き渡る。だから私は人を見るときにはその「道」の修め方を見る。一家を見る時も、村を見るときも、国を見るときも、天下を見る時も、その「道」の修め方を見るのだ。私がどうやって天下の情勢を知るかといえば、この様にしてである。

老子『道徳経』を翻訳してみました。55 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子『道徳経』を翻訳してみました。53

2017年10月22日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第五十三章
原文

使我介然有知、行於大道、唯施是畏。大道甚夷、而民好徑。朝甚除、田甚蕪、倉甚虚。服文綵、帶利劔、厭飮食、財貨有餘。是謂盗夸。非道也哉。

英訳文

If I had any unnecessary knowledge, I would be afraid of stepping into byways. The great way of life is very even, but people like to go on byways. Though the Court is tidy, fields of crops are ruined. And the national treasury is empty. But some people wear gorgeous clothes and a sharp sword. They eat their fill and have many treasures. Their deeds are the same as robbers. They are going against "the way".

書き下し文

我をして介然(かいぜん)として知有らしめば、大道(たいどう)を行くに、ただ施(ななめ)なるをこれ畏(おそ)れん。大道は甚(はなは)だ夷(たい)らかなるも、而(しか)も民は径(こみち)を好む。朝(ちょう)は甚だ除(きよ)められ、田は甚だ蕪(あ)れ、倉は甚だ虚(むな)しきに、文綵(ぶんさい)を服(ふく)し、利剣(りけん)を帯び、飲食に厭(あ)き、財貨は余り有り。これを盗(とう)の夸(おご)りと謂(い)う。道に非(あら)ざるかな。

現代語訳

もし私に少しでも余計な知識があったとしたら、大きな道を歩く時にその知識にひかれて脇道にそれる事を恐れるだろう。この人生の大きな道はとても平坦で歩きやすいのに、世の人々は少しでも近道をしようと脇道に入って自ら苦難の道を行く。朝廷は整然と掃き清められているのに、田畑は荒れるにまかせていて、米倉には少しも備蓄が無い。それなのにきらびやかな衣装を身にまとい、するどい剣を腰に帯びて、たらふく飲食して、有り余る財産を持っている輩が居る。こういう輩はいかに外見を貴く装っていても本質的に盗賊と変わりはしない。彼らは「道」から外れている。

老子『道徳経』を翻訳してみました。54 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老子『道徳経』を翻訳してみました。52

2017年10月21日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第五十二章
原文

天下有始、可以爲天下母。既得其母、以知其子。既知其子、復守其母、没身不殆。塞其兌、閉其門、終身不勤。開其兌、濟其事、終身不救。見小曰明、守柔曰強。用其光、復歸其明、無遺身殃。是謂襲常。

英訳文
Everything in this world has its beginning. I call it "the mother" for convenience' sake. If you understand "the mother", you can know her children. If you know her children and follow "the mother", you will never be in danger your whole life. If you shut your eyes and ears, and shut out unnecessary information, you will never be tired your whole life. If you open your eyes and ears, and do what is unnecessary, you will never live in peace your whole life. To notice an invisible form is "clear wisdom". To keep one's softness is "true strength". If you follow this wisdom with a gleam which illuminates everything, you can avoid all misfortunes. This is "to follow the way".

書き下し文
天下に始(はじめ)有り、以(も)って天下の母と為(な)すべし。既にその母を得て、以ってその子を知る。既にその子を知り、またその母を守らば、身を没(お)うるまで殆(あや)うからず。その兌(あな)を塞(ふさ)ぎ、その門を閉ざせば、終身勤(つか)れず。その兌を開き、その事を済(な)せば、終身救われず。小を見るを明と曰(い)い、柔を守るを強と曰う。その光を用いて、その明に復帰すれば、身の殃(わざわい)を遺(のこ)す無し。これを常に襲(よ)ると謂(い)う。

現代語訳
この世の全てには始まりがある。それを仮に万物の母と呼ぶことにする。その母の事が理解できれば、その子である万物の事が解る。子である万物を理解し、その母を守るならば、生涯危険を避ける事ができるだろう。目や耳を塞いで余計な知識を排除すれば、無駄な事をして疲れる心配も無い。目や耳を開け放って余計な知識を得ようとすれば、無駄な事ばかりして一生救われる事は無い。目や耳でとらえられぬ物を見るのを「明らかな智」といい、弱々しい立場を保つ事を「真の強さ」という。この万物を照らす光をもって明らかな智に立ち返れば、身の災いはすべて消え去っていくだろう。こうやって生きる事を「普遍の道に従う」という。

老子『道徳経』を翻訳してみました。53 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする