魚鳥木、申すか?申さぬか?

ぎょ・ちょう・もく、申すか?申さぬか?
申す!申す! 魚⇒ニシキゴイ。鳥⇒ニホンキジ。木⇒制定無し、花は桜と菊

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「9」

2017年11月30日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「9」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号009 
作者:小野小町
author of waka:KOMACHI ONO(ONO NO KOMACHI)

原文
花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに
(はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに)

現代訳
花の色もすっかり色あせてしまいました。降る長雨をぼんやりと眺めいるうちに。
(わたしの美しさも、その花の色のように、こんなにも褪せてしまいました)

英訳
THE blossom's tint is washed away
 By heavy showers of rain;
My charms, which once I prized so much,
 Are also on the wane,
 Both bloomed, alas! in vain.

The writer was a famous poetess, who lived A.D. 834-880. She is remembered for her talent, her beauty, her pride, her love of luxury, her frailty, and her miserable old age. The magic of her art is said to have overcome a severe drought, from which the country suffered in the year 866, when prayers to the Gods had proved useless.

The first and last couplets may mean either 'the blossom's tint fades away under the continued downpour of rain in the world', or 'the beauty of this flower (i.e. herself) is fading away as I grow older and older in this life'; while the third line dividing the two couplets means, that the flower's tint and her own beauty are alike only vanity. This verse, with its double meaning running throughout, is an excellent example of the characteristic Japanese play upon words.

解説
 小野小町(おののこまち・生没年不明) は平安時代のはじめ、文徳、清和天皇の頃の人で、女官として宮廷に仕えていたと伝えられています。
 参議篁の孫であるとも、小野良貞の良人であるとも言われていますが、小野小町は和歌にもすぐれ、紀貫之が選んだ六歌仙や、藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりにも数えられていて、優れた歌人でもありました。

 また、現代でも「小野小町」といえば美人の代名詞のように使われていますが、その美しさは着物を通して輝いていたと言われるほどで、小野小町には様々な伝説が伝えられているほか、謡曲や戯曲、歌舞伎などの題材にもなっています。

 ところで、小野小町は在原業平(ありわらのなりひら)のことが好きでしたが、業平はそのことに気づきませんでした。
 この和歌はそのことを嘆いてつくった和歌だと言われていますが、花を喩えに、恋心を巧みに表現しています。

 また、「いたづらに」の句が上の句にかかるとすれば、「いつの間にか、花の色も変わってしまった」ととらえることができますが、下の句にかかると解釈すれば、「空しく過ごしているうちに」というようにも取ることができます。
 このように、上の句と下の句を曖昧につなぐことで、歌全体にいっそうの趣が加えられています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
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図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「8」

2017年11月29日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「8」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号008 
作者:喜撰法師
author of waka:THE PRIEST KIZEN(KIZEN HŌSHI)

原文
わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり
(わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ よをうぢやまと ひとはいふなり)

現代訳
私の草庵は都の東南にあって、そこで静かにくらしている。しかし世間の人たちは(私が世の中から隠れ)この宇治の山に住んでいるのだと噂しているようだ。

英訳
MY home is near the Capital,
 My humble cottage bare
Lies south-east on Mount Uji; so
 The people all declare
 My life's a 'Hill of Care'.

The priest Kizen lived on Mount Uji, which lies south-east of Kyōto, at this time the Capital. The word uji or ushi means 'sorrow'; so he says that, as he lives on Mount Sorrow, his friends say his life is 'a mountain of sorrows '. Notice also the two words yama to in the fourth line, which, if read as one word, form the ancient name of Japan. In the picture we see the priest sitting alone in his little hut, his poverty being shown by the patches on the roof.

解説
 喜撰法師(きせんほうし)は、 僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、小野小町、大伴黒主などと共に、紀貫之が選んだ六歌仙のひとりにあげられてる優れた歌人でもありました。
 しかし、平安時代のはじめ頃の人だと伝えられていますが、生没年など、喜撰法師の詳しいことは分かっていません。
 出家して真言宗の僧となり、山城国(京都府)の乙訓郡(宇治あたり)に住んでいたと言われていて、「基泉」とか「撰喜」などとも表記されることがあるようです。
 また、有名な歌人なのですが、喜撰法師が詠んだと言われている歌の中では、この一首だけが、確実に本人の作だとも言われています。

 あるとき都で「喜撰法師は失恋したので宇治の山で暮らしている」という噂がたちましたが、この和歌は、その時に都の人に届けた和歌だと言われています。




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河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
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本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
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これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「7」

2017年11月28日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「7」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号007
作者:阿倍仲麻呂
author of waka:NAKAMARO ABE(ABE NO NAKAMARO)

原文
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
(あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも)

現代訳
大空を振り仰いで眺めると、美しい月が出ているが、あの月はきっと故郷である春日の三笠の山に出た月と同じ月だろう。(ああ、本当に恋しいことだなあ)

英訳
WHILE gazing up into the sky,
 My thoughts have wandered far;
Methinks I see the rising moon
 Above Mount Mikasa
 At far-off Kasuga.

The poet, when sixteen years of age, was sent with two others to China, to discover the secret of the Chinese calendar, and on the night before sailing for home his friends gave him a farewell banquet. It was a beautiful moonlight night, and after dinner he composed this verse. Another account, however, says that the Emperor of China, becoming suspicious, caused him to be invited to a dinner at the top of a high pagoda, and then had the stairs removed, in order that he might be left to die of hunger. Nakamaro is said to have bitten his hand and written this verse with his blood, after which he appears to have escaped and fled to Annam. Kasuga, pronounced Kasunga, is a famous temple at the foot of Mount Mikasa, near Nara, the poet's home; the verse was written in the year 726, and the author died in 780.

解説
 阿部仲麻呂(あべのなかまろ/大宝元年~宝亀元年 / 701~770年)は大和の国に生まれ、若くして優れた学才を現し、仲麻呂十六才の時に遣唐使・多治比県守に従って、留学生として唐に渡りました。

 玄宗皇帝に仕え、李白や王維らの著名人と交際し、文名が高かったと伝えられています。
 三十年近くの滞在の後、仲麻呂が五十一歳の時、宗皇帝に帰国を願い出て帰路に着きましたが、その途中で嵐にあい安南に辿り着きました。
 阿部仲麻呂は後に再び長安に帰り、唐の地で亡くなりました。

 この和歌もよく知られているもののひとつですが、仲麻呂の帰国を祝って、明州(現・ニンポー)の町で宴会が開かれた時に詠まれたものだと伝えられています。
 広い夜空の情景に浮かんだ月を介して、阿部仲麻呂の故郷への思いがとてもよく表現されていますが、この歌は、藤原公任(きんとう)の「和漢朗詠集」などにも収録されていて、自然の情景と人の情念が見事に詠まれています。




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百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


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これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「6」

2017年11月27日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「6」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号006 
作者:中納言家持
author of waka:THE IMPERIAL ADVISER YAKAMOCHI(CHŪ-NAGON YAKAMOCHI)

原文
鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける
(かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける)

現代訳
かささぎが渡したという天上の橋のように見える宮中の階段であるが、その上に降りた真っ白い霜を見ると、夜も随分と更けたのだなあ。

英訳
WHEN on the Magpies' Bridge I see
 The Hoar-frost King has cast
His sparkling mantle, well I know
 The night is nearly past,
 Daylight approaches fast.

The author of this verse was Governor of the Province of Kōshū, and Viceroy of the more or less uncivilized northern and eastern parts of Japan; he died A.D. 785. There was a bridge or passageway in the Imperial Palace at Kyōto called the Magpies' Bridge, but there is also an allusion here to the old legend about the Weaver and Herdsman. It is said, that the Weaver (the star Vega) was a maiden, who dwelt on one side of the River of the Milky Way, and who was employed in making clothes for the Gods. But one day the Sun took pity upon her, and gave her in marriage to the Herdboy (the star Aquila), who lived on the other side of the river. But as the result of this was that the supply of clothes fell short, she was only permitted to visit her husband once a year, viz. on the seventh night of the seventh month; and on this night, it is said, the magpies in a dense flock form a bridge for her across the river. The hoar frost forms just before day breaks. The illustration shows the Herdboy crossing on the Bridge of Magpies to his bride.

解説
 「万葉集」の編者の一人でもある中納言家持(養老2年~延暦4年 / 718~785年) は、大伴旅人の子どもで、大伴家持(おおとものやかもち)といいます。
 大伴家持は元来武人として朝廷に仕える高い家柄で、家持も天平十八年(746年)、越中の守に任ぜられました。
 また、家持は歌人としても優れていて、藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりとしても数えられています。
 長歌や短歌など、数多くの歌が「万葉集」にも伝わっていて、長歌46首、短歌431首、その他3首が残っています。

 恒武天皇の時代、延暦元年(782年)に、氷上川継の叛の関係を疑われ宮位を除かれましたが、すぐに復し、中納言兼東宮大夫持節征夷将軍となり、陸奥で亡くなったと伝えられています。

 この和歌にある「かささぎの渡せる橋」とは、七夕の夜、天の川にかかる橋のことで、多くのかささぎが翼を重ね、一年に一度、天の川に橋をかけ、織姫を彦星の元に渡らせるという伝説からきています。
 その後、宮中にある御殿と御殿とを結ぶ橋や階段などを、天上に例えて「かささぎの橋」と呼ぶようになりました。

 この歌は、大伴家持が冬の宮中で宿直(とのい)をしているとき、降りた霜を見て詠んだのだろうと言われています。
 まさに冬の夜の静けさが伝わってくるようですが、霜の美しさだけでなく、かささぎが渡すという天上の橋の物語が、この歌に一層のロマンを与えています。



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河出書房新社


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歌林苑


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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「5」

2017年11月26日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「5」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号005 
作者:猿丸大夫
author of waka:SARU MARU, A SHINTO OFFICIAL(SARU MARU TAIU)

原文
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき
(おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき)

現代訳
奥深い山の中で、(一面に散りしいた)紅葉をふみわけて鳴いている鹿の声を聞くときは、この秋の寂しさが、いっそう悲しく感じられることだ。

英訳
HEAR the stag's pathetic call
 Far up the mountain side,
While tramping o'er the maple leaves
 Wind-scattered far and wide
 This sad, sad autumn tide.

Very little is known of this writer, but he probably lived not later than A.D. 800. Stags and the crimson leaves of the maple are frequently used symbolically of autumn.

解説
 猿丸大夫(さるまるだゆう)は藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりに上げられていますが、生没年など詳しいことは伝わっていません。
 奈良時代の人とも、平安時代初期の人とも言われていますが、猿丸大夫が実際にいたかどうかも分かっていません。
 この和歌も「古今和歌集」では「読み人しらず」となっていて、猿丸大夫の和歌なのかどうかも分かっていませんが、「百人一首」の中では猿丸大夫の詠んだものとされています。

 この和歌は、ある秋のこと、是貞親王(これさだしんのう)のお屋敷でひらかれた歌合せのときに作られた和歌だと言われていますが、冬を迎えようとする秋の寂しさがよく伝わってきます。



★おススメ本★  

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河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「4」

2017年11月25日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「4」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号004 
作者:山部赤人
author of waka:AKAHITO YAMABE(YAMABE NO AKAHITO)

原文
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ
(たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ)

現代訳
田子の浦の海岸に出てみると、雪をかぶったまっ白な富士の山が見事に見えるが、その高い峰には、今もしきりに雪がふり続けている。(あぁ、なんと素晴らしい景色なのだろう)

英訳
I STARTED off along the shore,
 The sea shore at Tago,
And saw the white and glist’ning peak
 Of Fuji all aglow
 Through falling flakes of snow.

Akahito Yamabe lived about A.D. 700, and was one of the greatest of the early poets; he was contemporary with Kaki-no-Moto, the writer of the previous verse, and like him was deified as a God of Poetry. Tago is a seaside place in the Province of Izu, famous for its beautiful view of Mount Fuji.

解説
 山部赤人(やまべのあかひと)は奈良時代の初めの頃の歌人で、元明、元正、聖武などの天皇に仕えました。
 生没年など詳しいことは伝わっていませんが、官吏として天皇に従い、吉野や紀伊などを旅をしながら、自然を詠んだ優れた和歌をたくさん残していています。
 また、柿本人麻呂と並ぶ歌人としてよく知られていて、「万葉集」にも五十首ほどの和歌が伝わっているほか、「勅撰集」にも49の歌が収められています。

 山部赤人は、天皇の共をして駿河の国を旅していたとき富士山を見ましたが、このとき「帝にお見せできるような和歌をつくっておくように」と随行の人に言われ、この和歌はそのときに詠まれたものだと伝えられています。
 よく知られている和歌のひとつで、自然の風情を見事に表現しています。

 また、この歌の原歌は、「万葉集」にある「田児の浦 ゆうち出てて見れば 真白にぞ 不尽(ふじ)の高嶺に 雪は降りける」という和歌で、ここでは、雪が積もる雄大な富士の様子を詠っています。
 しかし、「新古今集」では「降りつつ」として、やわらかな表現になっています。



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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「3」

2017年11月24日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「3」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号003 
作者:持統天皇
author of waka:THE NOBLEMAN KAKI-NO-MOTO(KAKI-NO-MOTO NO HITOMARO)

原文
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
(あしびきの やまどりのをの しだりをの ながながしよを ひとりかもねむ)

現代訳
夜になると、雄と雌が離れて寝るという山鳥だが、その山鳥の長く垂れ下がった尾のように、こんなにも長い長い夜を、私もまた、(あなたと離れて)ひとり寂しく寝るのだろうか。

英訳
LONG is the mountain pheasant's tail
 That curves down in its flight;
But longer still, it seems to me,
 Left in my lonely plight,
 Is this unending night.

The writer was a foundling, picked up and adopted by Abaye at the foot of a persimmon tree, which is in Japanese kaki, from which he got his name. He was an attendant on the Emperor Mommu, who reigned A.D. 697-707, and was one of the great poets of the early days of Japan; he is known as the rival of Akahito Yamabe (see next verse), and after death was deified as a God of Poetry. There is a temple erected in his honour at Ichi-no-Moto, and another at Akashi, not far from Kobe; he died in the year 737.

In the fourth line nagashi may be taken as the adjective 'long', or the verb 'to drift along'; and yo may mean either 'night' or 'life'; so that this line, which I have taken as 'long, long is the night', may also mean 'my life is drifting, drifting along'. Yamadori (pheasant) is literally 'mountain bird', and ashibiki is a pillow-word for mountain, which is itself the first half of the word for pheasant.

解説
 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)は持統、文武の両天皇に仕えた優れた宮廷歌人ですが、生没年(660年頃から720年頃と言われています)や官位など、詳しいことは伝わっていません。

 柿本人麻呂は天皇をたたえる和歌を数多く残していますが、挽歌(死んだ人を悲しむ和歌)や相聞歌(互いにやり取りをする和歌)など、各種の和歌にも通じ、特に相聞歌では特に優れた和歌を多く残しています。
 和銅三年頃、 石見の国で亡くなったとも伝えられていますが、山部赤人と共に優れた歌人として名を残し、「三十六歌仙人」のひとりにも挙げられています。
 「万葉集」も多くの和歌が残されていますが、「勅撰集」にも240首以上の歌が収められています。

 人麻呂には、密かに思いを寄せる女性がありましたが、その女性は天皇に仕える人だったので、人麻呂はそのことを打ち明けらず、この和歌をつくったと言われています。
 山鳥を題材にして、自らの恋心を見事に表現していますが、上三句に繰り返される「の」の響きは、恋のわびしさだけでなく、秋の夜長を優雅に詠んでいます。



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これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「2」

2017年11月23日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「2」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号002 
作者:持統天皇
author of waka:THE EMPRESS JITŌ(JITŌ TENNŌ)

原文
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
(はるすぎて なつきにけらし しろたへの ころもほすてふ あまのかぐやま)

現代訳
もう春は過ぎ去り、いつのまにか夏が来てしまったようですね。香具山には、あんなにたくさんのまっ白な着物が干されているのですから。

英訳
THE spring has gone, the summer's come,
 And I can just descry
The peak of Ama-no-kagu,
 Where angels of the sky
 Spread their white robes to dry.

The Empress Jitō reigned A.D. 690-696, during which time saké was first made and drunk in Japan; she was the daughter of the Emperor Tenchi, the writer of the previous verse, and she married the Emperor Temmu, ascending the throne herself on his death. The poem refers to a snow-capped mountain just visible on the horizon. One of the Nō dramas relates, that an angel once came to a pine forest on the coast near Okitsu, and, hanging her feather mantle on a pine tree, climbed a neighbouring mountain to view Mount Fuji; a fisherman, however, found the robe and was about to carry it off with him, when the angel reappeared and begged him to give it her, as without it she could not return to the moon where she lived. He only consented to do so, however, on condition that she would dance for him; and this she accordingly did, draped in her feathery robe on the sandy beach under the shade of the pine trees; after which she floated heavenward, and was lost to view.

解説
「万葉集」の歌人としてもよく知られている持統天皇(じとうてんのう・大化元年~大宝2年 / 645~702年)は、天智天皇の第二皇女で、叔父である大海人皇子(おおあまのおうじ・後の天武天皇)の后となられ、持統天皇の弟・大友皇子(おおとものおうじ)と大海人皇子が争う「壬申の乱」の時には、夫である大海人皇子と行軍を共になされました。
 天武天皇(大海人皇子)崩御の後、皇后として四年間政治をとったあと帝位につき、 第四十一代の天皇となられました。
 また、持統天皇は即位の後、都を飛鳥から大和国の藤原宮(奈良県橿原市)に移されました。

 この和歌にある「白妙の衣」は、もちろん「白い衣」のことですが、初夏の山の緑と白色の衣との対比が夏の到来の喜びを表していて、すがすがしい感動を与えてくれます。
 原歌になっているのは、「万葉集」にある「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣乾かしたり 天の香具山」と言われていますが、百人一首では、「来にれらし」、「ほすてふ」のように語調がやわらかく、穏やかな調べになっています。

 ところで、この和歌は、香具山に積もった雪を、白い衣に見立ててつくった和歌だという説や、初夏に咲く卯の花をたとえているという説などもありますが、いずれにしても、自然の移り変わりと人々の営みを女性らしく巧みに詠まれていて、百人一首の中でもよく知られている和歌のひとつです。



★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!

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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「1」

2017年11月22日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「1」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号001 
作者:天智天皇
author of waka:THE EMPEROR TENCHI(TENCHI TENNŌ)

原文
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
(あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ)

現代訳
秋の田の側につくった仮小屋に泊まってみると、屋根をふいた苫の目があらいので、その隙間から忍びこむ冷たい夜露が、私の着物の袖をすっかりと濡らしてしまっているなぁ。

英訳
OUT in the fields this autumn day
 They're busy reaping grain ;
I sought for shelter ’neath this roof,
 But fear I sought in vain,—
My sleeve is wet with rain.

The Emperor Tenchi reigned from A.D. 668 to 671, his capital was Otsu, not far from Kyōto, and he is chiefly remembered for his kindness and benevolence. It is related, that one day he was scaring birds away, while the harvesters were gathering in the crop, and, when a shower of rain came on, he took shelter in a neighbouring hut; it was, however, thatched only with coarse rushes, which did not afford him much protection, and this is the incident on which the verse is founded.

The picture shows the harvesters hard at work in the field, and the hut where the Emperor took shelter.


解説

 第三十八代の天皇、天智天皇(てんちてんのう・推古34年~天智10年/626~671年)は舒明天皇の第二皇子で、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と呼ばれた皇太子時代、中臣鎌足(なかとみのかまたり)とともに蘇我氏を減し、大化の新政を行われたことはよく知られています。
 その後、都を近江(今の滋賀県)の大津に移し、668年、天智天皇として即位されました。
 日本最古の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成し、公地公民制が導入されるための基礎を築かれましたが、日本ではじめて水時計を作らせたことなどもよく知られています。
 また、 天智天皇は「万葉集」に四首の歌が伝わっていますが、「日本書紀」などにも歌が伝わっている、優れた歌人でもあられました。

 ある秋の日、天智天皇は草花が咲く御所の庭を歩かれていましたが、そこの草花にかかった夜露を見られて、「この夜露は農民たちも冷たく濡らしていることだろう…」とお思いになられ、この和歌を作られたと伝えられています。
 人々を思う優しい心が表れていて、百人一首の最初の和歌でもあり、よく知られている和歌のひとつです。
 結語の「つつ」は、いまだ尚袖が濡れていることを表していて、聞く人の心に余韻を残しています。

 ところで、この和歌の原型は、「万葉集」に収められている「秋田刈る 仮庵(かりいお)を作り 我が居れば 衣手寒く 露ぞおきにける」と言われています。
 「万葉集」では「読人知らず」になっていて、当時の農民たちが、民謡のように口ずさんだものだったと言われています。
 その後時代が下り、いつしか、民を思う理想的な指導者としての天智天皇の和歌として定着したのだとも言われています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


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※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!

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『日本民俗』 小川直之 (著, 監修)

2017年11月21日 | 読んだ本
『日本民俗』 小川直之 (著, 監修)

日本民俗
小川直之 (著, 監修)
株式会社クレス出版


内容紹介
折口信夫主宰 日本民俗協会発行の雑誌「日本民俗」の第一号から最終第三十三号を収録、復刻した書籍です。 第一号(通号第1号)~第十二号(通号第12号) 第二巻第一号(通号第13号)~第二巻第十二号(通号第24号) 第三巻第一号(通号第25・26号)~第三巻第五・六号(通号29・30号) 第三十一号(通号第31号)~第三十三号(通号第33号)

出版社からのコメント
民間伝承研究が一部の識者ではなく、その志ある多くの人たちも参加できるようになるのは、これを掲載、集積する専門雑誌が刊行されるようになってからである。現在の日本民俗学につながるこうした雑誌の始まりは、大正二年(一九一三)に柳田國男と高木敏雄が編集を行った月刊誌『郷土研究』であった。これが大正六年(一九一七)に四巻一二号をもって休刊すると、翌大正七年(一九一八)には、折口信夫が『土俗と伝説』を発刊する。しかし、これも刊行は四号で途絶える。その後、大正十四年(一九二五)には柳田國男を中心に『民族』が発刊され、昭和初期には民俗藝術の会による『民俗藝術』、折口信夫を中心とする民俗学会の『民俗学』と続いていく。 (中略) 今回、複製版を刊行する『日本民俗』は、右のような動向のもとで発刊されている。これを機関誌とする日本民俗協会は、折口信夫による主宰で昭和九年(一九三四)十二月に発足し、『日本民俗』は北野博美を編輯兼発行者として、翌十年八月に第一号が発刊される。複製版の刊行は、従来からその存在は知られていたが、一号から三三号までの全号を所蔵する大学・公共図書館は稀で、その利用が困難であったのを解消し、民俗学や民俗芸能研究などの研究に資することを目的としている。 『日本民俗』の内容について、その要点をあげると次のようにいえる。 1『日本民俗』の内容は芸能分野を中心とし、各地に伝承されている芸能の調査記録・論述が掲載されるとともに、現在一般化している「民俗芸能」という用語はこの雑誌に初めて登場する。 2日本民俗協会などが主催した根子(秋田県)番楽・金砂(茨城県)田楽公演記録、日本青年館の全国郷土舞踊民謡大会の曲目資料、黒川能の研究と公演記録、南部神楽(八戸市)公演記録、東北六県郷土舞踊大会記録など、民俗芸能公演の記録と資料を多く掲載する。 3芸能公演として特記できる昭和十一年(一九三六)の「琉球古典芸能」公演を詳細に掲載する。折口、伊波普猷、比嘉春潮、東恩納寛惇、小寺融吉などの執筆による、琉球芸能の内容、組踊(執心鐘入)台本、印象記、座談会記録、琉球芸能の論述などを掲載する。 4芸能分野のほか、今和次郎らによる民家研究を図入りで連載する。 先にあげた昭和十年(一九三五)創刊までの民俗学関係の研究誌のうち、『日本民俗』は利用が困難であったが、複製刊行によって、当時の研究動向や民俗芸能などの現況、詳細不明だった芸能公演内容が把握できるようになる。さらに日本民俗協会は、松本学を中心とする日本文化聯盟の傘下にあって、昭和初期から戦中期における作家や芸術家なども含む幅広い文化団体とその活動の一端が、本複製版によって捉えることができる。 (刊行のことばより抜粋)

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丸山 久美子 氏 講演会のお知らせ 『ルター宗教改革500年によせて 』

2017年11月20日 | 民俗学探究
丸山 久美子 氏 講演会のお知らせ『ルター宗教改革500年によせて 』

NPO法人 「にっぽん文明研究所」 が後援する講演会のお知らせです。

今回は、16世紀にキリスト教のローマカトリック教会から分離してプロテスタントが誕生する宗教改革がテーマです。 この宗教改革を興した中心人物がドイツ生まれの神学者マルティン・ルターです。ルターとその背景を永年ご研究の丸山久美子先生にお話して頂きます。古代日本では罪咎穢れの祓が儀式化されるまで物品を差し出す賠償的行為が祓でした。16世紀にカトリックは“罪の償い“を軽くする免罪符の贖(しょく)宥(ゆう)状(じょう)を販売します。集まった資金は大聖堂建設や十字軍遠征費に使われますが、これに異議を唱えたのがルターでした。プロテスタントが辿った五百年の歴史をお聴きに、ぜひお出で下さい。 (奈良 泰秀)


テーマ:『ルター宗教改革500年によせて 』
日  時:平成29年 12月14日(木) 午後1:30開始~4:00(午後1:00開場)

会 場:アルカディア市ヶ谷(私学会館)
*会場室名は当日案内板でご確認ください。主催は宗教新聞社です。

〒102-0073 東京都千代田区九段北4-2-25  電話03(3261)9921
JR中央線(各駅停車)、地下鉄有楽町線・南北線、都営地下鉄新宿線 各市ヶ谷駅下車 徒歩2分

入場料:1,000円

【講師プロフィール】  
丸山 久美子(まるやま くみこ) 東京都出身。青山学院大学大学院心理学修士課程、統計数理研究所統計技員養成所専攻科修了。東京大学大学院教育心理学研究科特別研究生。国際交流基金特別長期派遣留学生として、米国イリノイ大学に留学。青山学院大学文学部助手・講師、盛岡大学助教授、教授、聖学院大学教授、ドイツ・ケルン大学客員教授(1995-96)、北陸学院大学教授などを歴任。林知己夫賞受賞(行動統計学会、2009年)著書に『心理統計学―トポロジーの世界を科学する』(アートアンドブレーン)、『北森嘉蔵伝』(教友社)、ほか多数。


※定員になり次第締め切りとさせていただきます。
※入場料は当日受付でお支払ください。

主催:宗教新聞社  後援:にっぽん文明研究所  講演会

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老子『道徳経』を翻訳してみました。81

2017年11月19日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第八十一章
原文

信言不美、美言不信。善者不辯、辯者不善。知者不博、博者不知。聖人不積。既以爲人己愈有、既以與人己愈多。天之道利而不害、聖人之道爲而不爭。

英訳文
Reliable words are plain, and decorated words are unreliable. Good people are reticent, and talkative people are not good. Wise people are not erudite, and erudite people are not wise. The saint who knows "the way" does not save up. He acts for others and gets important things. He gives to others and gets richness of the heart. Heaven's way benefits all things without harming them. The saint accomplishes everything without competing with others.

書き下し文
信言(しんげん)は美ならず、美言(びげん)は信ならず。善なる者は弁(べん)ぜず、弁ずる者は善ならず。知る者は博(ひろ)からず、博き者は知らず。聖人は積まず。既(ことごと)く以(も)って人の為にして己(おのれ)愈々(いよいよ)有し、既く以って人に与えて己愈々多し。天の道は利して而(しか)して害せず、聖人の道は為(な)して而して争わず。

現代語訳
信頼に足る言葉には飾り気がなく、耳障りの良い言葉は信頼するに足りない。善人とは多くを語らないもので、おしゃべりな人は善人とは言えない。本当に知恵がある人は物知りでは無いし、物知りな人に大した知恵は無い。そうして「道」を知った聖人は蓄えをせず、人々のために行動して大切なものを手に入れ、人々に何もかも与えてかえって心は豊かになる。天は万物を潤しながらも害を与える事はなく、聖人は他人と争わずに物事を成し遂げる。

老子『道徳経』を翻訳してみました。終わり。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社


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老子『道徳経』を翻訳してみました。80

2017年11月18日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第八十章
原文

小國寡民。使有什伯之器而不用、使民重死而不遠徙、雖有舟輿、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。使人復結繩而用之、甘其食、美其服、安其居、樂其俗、鄰國相望、雞犬之聲相聞、民至老死、不相往來。

英訳文
A small country with a small population: Even though there are convenient tools, people do not use them. They value their lives and do not travel. Even though there are ships and vehicles, people do not ride on them. Even though there are arms and armors, people do not wear them. They enjoy old-fashioned life. They enjoy their meals, clothes, and houses. Because they enjoy their life, even if they can see a neighboring country and hear its voice of domestic animals, they do not come and go each others until they get old and die. It is a utopia in the human world.

書き下し文

小国寡民(しょうこくかみん)。什伯(じゅうはく)の器(き)有るも而(しか)も用いざらしめ、民をして死を重んじて而して遠く徙(うつ)らざらしめば、舟輿(しゅうよ)有りと雖(いえど)も、これに乗る所無く、甲兵(こうへい)有りと雖も、これを陳(つら)ぬる所無なからん。人をして復(ま)た縄を結びて而してこれを用いしめ、その食を甘(うま)しとし、その服を美とし、その居に安んじ、その俗を楽しましめば、隣国(りんごく)相い望み、雞犬(けいけん)の声相い聞こゆるも、民は老死に至るまで、相い往来(おうらい)せざらん。

現代語訳

人口の少ない小さな国がある。便利な道具があっても誰も使わず、人々は命を大切にして危険な遠出をしたりせず、船や車はあるが誰も乗らず、鎧や武器はあるが誰も身に着けない。人々は昔ながらの素朴な暮らしを送り、その日の食事を美味しく食べ、着ている衣服を立派だと思い、自分の住居で安らかに暮らす。そんな暮らしを楽しんでいるので、隣の国がすぐ近くに見えて、その鶏や犬の鳴き声が聞こえるほどであっても、人々は老いて死ぬまで、お互いの国を行き交う事もない。これこそ人の世の理想郷である。

老子『道徳経』を翻訳してみました。81 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社


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老子『道徳経』を翻訳してみました。79

2017年11月17日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第七十九章
原文

和大怨必有餘怨。安可以爲善。是以聖人執左契、而不責於人。有徳司契、無徳司徹。天道無親、常與善人。

英訳文
If you reconcile a serious dispute by compulsion, hatred will remain inevitably. It is not justice by no means. So the saint who knows "the way" never claims to others though he has legal rights. Virtuous people only keep bonds, the others collect debts with no mercy. Heaven's way never shows partiality, it always supports good people.

書き下し文
大怨(たいえん)を和すれば必ず余怨(よえん)あり。安(いずく)んぞ以(も)って善と為(な)すべけんや。ここを以って聖人は左契(さけい)を執(と)りて、而(しか)も人を責めず。徳有るものは契(けい)を司(つかさど)り、徳無きものは徹(てつ)を司る。天道は親(しん)無し、常に善人に与(くみ)す。

現代語訳
深刻な怨みからくる争いを無理やり和解させても必ず火種がくすぶり続けるものだ。どうしてそれが善い事だと言えるだろうか。だからこそ「道」を知った聖人は、例え契約や法によって正義が自分にあっても相手を責めたりはしない。徳のある者は債券を管理するだけ、徳の無い者は無慈悲に取り立てを行うと言われる事である。天のやり方にはえいこひいきが無く、いつも善人の味方をする。

老子『道徳経』を翻訳してみました。80 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社

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老子『道徳経』を翻訳してみました。78

2017年11月16日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


第七十八章
原文

天下莫柔弱於水。而攻堅強者、莫之能勝。以其無以易之。弱之勝強、柔之勝剛、天下莫不知、莫能行。是以聖人云、受國之垢、是謂社稷主、受國不祥、是謂天下王。正言若反。

英訳文
Water is the softest and weakest thing in the world. But it can break hard and strong things well. It is because water does not change its nature easily. People know that the weak can defeat the strong and the soft can overcome the hard. But they cannot do such things practically. So the saint who knows "the way" says, "A man who accepts national disgrace by himself, is the lord of the nation. A man who accepts national disaster by himself, is the lord of the world." The truth sounds opposite to common sense.

書き下し文

天下に水より柔弱(じゅうじゃく)なるは莫(な)し。而(しか)も堅強(けんきょう)を攻むる者、これに能(よ)く勝る莫し。その以(も)ってこれを易(か)うるもの無きを以ってなり。弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下知らざる莫きも、能く行なう莫し。ここを以って聖人は云(い)う、国の垢を受く、これを社稷(しゃしょく)の主と謂(い)い、国の不祥(ふしょう)を受く、これを天下の王と謂うと。正言(せいげん)は反(はん)するが若(ごと)し。

現代語訳

この世に水よりも柔らかく弱々しいものは無いが、それでいて固く強いものを打ち破ることにおいて水に勝るものも無い。その性質を変えることのできるものが存在しないからである。弱いものが強いものに勝ち、柔よく剛を制すとは世によく知られたことだが、それを行うとなると難しい。そこで「道」を知った聖人は言うのだ、「国家の屈辱を甘んじてその身に受ける者、その人が国家の主であり。国家の災いを甘んじてその身に受ける者、その人が天下の王である」と。本当に正しい言葉は普通とは逆の様に聞こえるものだ。

老子『道徳経』を翻訳してみました。79 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社
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